赤毛のアンちゃん

赤毛の柴犬アンちゃんは2014年11月、14年5カ月の生涯を閉じました。『決してリードは放しま宣言』発信中のブログです♪

67年目の夏、広島原爆の日

2012-08-06 19:23:42 | 祈念日


2012年8月6日
67回目の原爆の日を迎えました。

2011年3月、私たちはまた大きな惨劇を繰り返しました。
ともに人間の愚かさであったことはいうまでもありません。

世界中から戦争と核兵器、そして原発がなくなる日が来ることを
祈念し黙祷を捧げます。

<広島原爆の日>市民守るエネルギー政策を 平和宣言で訴え
毎日新聞 8月6日(月)10時4分配信

広島は6日、米軍による原爆投下から67回目の原爆の日を迎えた。
広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が開かれ、
松井一実・広島市長は平和宣言で、東京電力福島第1原発事故を受け、
「市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策の一刻も早い確立」を
政府に求めた。
原爆投下直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」の
援護対象区域の拡大への政治判断も訴えた。

平和記念公園には未明から大勢の人が訪れ、犠牲者を悼んだ。
午前8時からあった式典には、過去2番目に多い71カ国の代表のほか、
被爆者や遺族、市民ら約5万人が参列した。
米英仏はいずれも3年連続で代表が出席。
原発事故の被災地から、福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長が
初めて参列した。

松井市長は平和宣言で、
被爆者で原水爆禁止日本国民会議(原水禁)議長などを務めた
故森滝市郎氏の言葉「核と人類は共存できない」を昨年に続いて引用する一方、
「脱原発」の是非には踏み込まなかった。

公募で選んだ3人の被爆体験談を引用し、市民生活が一瞬で失われた様子を紹介、
原爆被害の悲惨さと核兵器廃絶の願いを伝えた。
被災者と広島の人々の姿を重ね、
「必ず訪れる明日への希望を信じてください」と呼びかけた。
更に設立30年を迎えるNGO「平和市長会議」(会長・松井市長)や、
平均年齢78.1歳になる被爆者の体験を継承するための「伝承者養成事業」に触れ、
「被爆の実相を風化させず、
国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを共有していく」と誓った。

野田佳彦首相はあいさつで「脱原発依存の基本方針の下、
中長期的に国民が安心できるエネルギー構成の確立を目指す」と述べた。

式典では、松井市長と遺族代表2人が、
この1年で死亡が確認された被爆者ら5729人の名前などを記した
原爆死没者名簿を、原爆慰霊碑の奉安箱に納めた。
名簿は2冊増えて102冊となり、登載者は計28万959人となった。
原爆投下時刻の午前8時15分、参列者が黙とうをささげた。

「こども代表」の小学6年、三保竜己(りゅうき)君(11)と遠藤真優(まゆ)さん(12)が
「平和は私たちでつくるもの。
仲間とともに、行動していく」などとする「平和への誓い」を読み上げた。
【加藤小夜】

平和宣言



2007年8月に綴った追悼の旅の記録です。
ぜひもう一度ごらんください。


(2007年撮影)

特集●62年目の夏
特集●62年目の夏[1]ヒロシマへ
特集●62年目の夏[2] この地に立って その1
特集●62年目の夏[3] この地に立って その2
特集●62年目の夏[4] この地に立って その3
特集●62年目の夏[5] ヒロシマからナガサキへ
特集●62年目の夏[最終回] 平和への礎



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