さて、第三代の前田利直が1710年12月13日に死去すると、
跡を継いだのが加賀藩主・前田綱紀の五男、利章(としあきら)。
こいつがまた放蕩三昧な生活を繰り返して藩財政を悪化させ、
さらには凶作が原因で正徳2年(1712年)に百姓一揆が起こり、
享保17年(1732年)には幕命による江戸城改修工事による出費でさらに藩財政を悪化させた。
元文2年(1737年)9月6日に大聖寺で死去した。享年47。
で次が利章の長男、利道。
素行についての記録はないものの、
東海道吉田大橋架け替えの二度の手伝普請や
領内の災害などにより、藩の財政は逼迫した・・・とあり
良いことはなかったようです。
そして次の六代目が利精(としあき)
こいつがまたとんでもない奴で
遊廓に頻繁に通って女狂いとなり、
無頼と交じって好き放題にふるまうなど、
無法を繰り返すようになる。
これが江戸城内・幕閣にまで聞こえ始めると
加賀藩はほっとけなくなって強制隠居!
とまぁ、三代以降90年間、不幸が続く大聖寺藩なのです。
このあとも10万石への高直しや
幽霊藩主なんてエピソードがあるのですが、
それはまた別の機会に。
ところで、ろくでもない事ばかり続く大聖寺藩ですが、
人間臭いというか何というか、他の藩でも似たようなことが起きただろうし、
たまには良いことや面白いことがあって、笑っていた時期も
あったんじゃなかろうか、などと想像して
嫌いじゃない大聖寺の歴史です。
跡を継いだのが加賀藩主・前田綱紀の五男、利章(としあきら)。
こいつがまた放蕩三昧な生活を繰り返して藩財政を悪化させ、
さらには凶作が原因で正徳2年(1712年)に百姓一揆が起こり、
享保17年(1732年)には幕命による江戸城改修工事による出費でさらに藩財政を悪化させた。
元文2年(1737年)9月6日に大聖寺で死去した。享年47。
で次が利章の長男、利道。
素行についての記録はないものの、
東海道吉田大橋架け替えの二度の手伝普請や
領内の災害などにより、藩の財政は逼迫した・・・とあり
良いことはなかったようです。
そして次の六代目が利精(としあき)
こいつがまたとんでもない奴で
遊廓に頻繁に通って女狂いとなり、
無頼と交じって好き放題にふるまうなど、
無法を繰り返すようになる。
これが江戸城内・幕閣にまで聞こえ始めると
加賀藩はほっとけなくなって強制隠居!
とまぁ、三代以降90年間、不幸が続く大聖寺藩なのです。
このあとも10万石への高直しや
幽霊藩主なんてエピソードがあるのですが、
それはまた別の機会に。
ところで、ろくでもない事ばかり続く大聖寺藩ですが、
人間臭いというか何というか、他の藩でも似たようなことが起きただろうし、
たまには良いことや面白いことがあって、笑っていた時期も
あったんじゃなかろうか、などと想像して
嫌いじゃない大聖寺の歴史です。
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