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▲発達にリスクのある子どもたちとの関わり(発達支援センターができるまで)

発達障がいの子どものママさんから、私の今までの活動をまとめて書いてほしいと言われ、書いてみました。

1.はじめての関わり「○○ちゃん」

 ○○ちゃんの成長と共に、私の発達障がいへの知識が広がり、課題も広がったように思います。

 私が○○ちゃんと出会ったのは、15年くらい前で、私が活動する「れんこん村の自然体験隊」の活動に参加されたのが最初だったと思います。○○ちゃんは、まだおむつをしていたと思います。

 当時、私は、「発達障がい」の知識が全くありませんでした。
 ご両親が一生懸命な方で、「いろんな経験をさせたい」と私に伝えて下さり、その後、自然体験の活動に参加されるようになりました。この出会いがきっかけで私の発達障がいの勉強が始まりました。勉強会に参加したり、東近江市などいろんな発達支援センターの見学に行きました。本も読みました。地域の方が「発達障がい」のことを理解すれば、この子たちは地域で生きていけると、市内で勉強会もみんなと一緒に開催してきました。

2.学校でのケース会議を実現し、福祉部局と教育部局の連携

 ○○ちゃんは、少人数の児童クラブがよいからと、夏休みは「児童クラブれんこん村」に通ってきて、ケース会議なども開きながら、私も一緒に成長を見守ってきました。

 当時、学校現場には「発達障がい」の知識や関わり方のノウハウがほとんどありませんでした。
 日頃のそれぞれの場での生活の様子を共有したいと、○○ちゃんのご両親の要望で、「ご両親」・「わかば」・「学校」・「児童クラブれんこん村」で、初めて佐屋小学校でケース会議が実現しました。

 今では、こうしたケース会議は、社会福祉協議会の相談事業に相談すれば、実現できるしくみになっています。ご相談してみて下さい。

3.保育園とわかば、市民団体との連携

 その後、「わかば」の佐伯先生が頑張り、わかばと保育園との連携や、保育士や学校教師が「発達障がい」について学ぶための研修会を開催し、広げていって下さいました。私もこうした場に参加し、学び続けました。

4.発達支援センター設置の合意を得たのに・・・頓挫

 一歩一歩、しくみをみんなと改善してはきましたが、私は、わかばだけでは不十分。生まれたときから大人になるまで、一貫して関われるしくみが必要!ということで、発達支援センター設立の要望を議会でし続けました。その結果、佐屋北保育園内に発達支援センターを作る約束を得ることができました
 しかし、その後、佐屋北保育園の廃園が決まり、それと同時に発達支援センター計画も消え去り、担当職員に聞いても、「そんな計画知らない」と言われ、異動により、全く埋もれた計画になってしまいました。


5.へこたれず実現を求め、再度議会でセンター設置を勝ち取る!

 またゼロからの出発でした。

 でもあったのです!愛西市が県に提出した書類に「発達支援センターを作ります」という一言が・・・。私は、沼の中からダイヤモンドをみつけたような気持ちで、それを元に、一般質問で取り上げ、発達支援センター建設を勝ち取ることができました。

6.市民参加で発達支援センターをつくりたい

 でも、私にはまだやることがありました。

 箱物だけできても、十分な福祉が提供できるわけではありません。保護者のみなさんの意見を反映した施設であるべきです。保護者のみなさんも意見のとりまとめをされ、市長へ要望を届けられる橋渡しをさせて頂きました。その後も、市は保護者との話し合いを繰り返し、100%とまではいきませんが、かなりの意見が反映されたセンターになりそうです。

7.大人になっても相談できる「発達支援センター」を!実現!

 最初は、こどものためだけのセンター計画でした。
 継続して相談できる場所であること、大人になってから発達障がいに気づく方が増えていることから、大人になっても専門相談ができるセンターにしてほしいと要望を続けました。結果、0歳から大人までみんなが相談できる場所の実現にたどり着くことができました

みつこが思う今後の課題
 
 昨日の議会での答弁を聞くところ、非常勤職員が多いようです。

 責任ある体制には、直営かつある程度の正規職員が必要です。ここをしっかりと訴えていきたいと思います。

 まだまだ頑張ります。●●ちゃん、困ったことがあったらいつでも言ってきてね。

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