たんぽぽの心の旅のアルバム

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通信教育レポートー教育思想史

2023年08月27日 15時07分03秒 | 日記

課題:ヨーロッパ18世紀は別名、「教育の世紀」と呼ばれている。なぜそうよばれるのかを、前の時代の教育思想や教育観のちがいに留意しながら論じなさい。

 

 ヨーロッパ18世紀の教育は、ドイツを中心に絶対主義体制の下で近代市民社会を担う人間を形成する教育へと大きく進展した。フランケは、17世紀の終わりから18世紀にかけて、短期間に次々と教育姿勢を設立し、統一的な学校組織を作ることに尽力した。フランケの学校の教育方法は、17世紀の”実学主義”の流れを汲んで、”古い人文主義”に反対している。古い人文主義は、中世の教会支配から解放されて、純粋に人間的な人格を形成していこうとするルネッサンス期において、ギリシア・ローマ古典の文章を模倣することを中心とした。模倣することによって、真の人文主義者の教養に属する一切のものが伝達される、と考えられた。近代自然主義科学が成立した17世紀にこうした形式的な方法は衰え、実学主義が中心となった。実学主義者は、言葉によるよりも自然と感覚と方法的確実さを基礎にした知識を教育に取り入れることを主張した。

 

 実学主義の影響を受けたフランケの学校では、文法上の規則はできる限り周知の実例に即して説明され、講読に際しては、今まで以上に事実的理解ということを重視した。また、のちに実科学校設立へと結びつく実践的な科目の教育も行った。しかし、彼は“敬虔主義者”であったから、科学的方面よりも、宗教的方面を強調している。彼の教育の目的は、子供を信仰心へと導き、神への畏敬と愛を呼び覚ますことであった。そのためには、子供が自然に持っている堕落の種を摘み取り、根本から改め直すようにしなくてはならない。よって、子供を監視することを最も重要視した。が、敬虔主義は次第に偽善的になっていき、代って“啓蒙主義”がドイツ精神の土壌となる。

 

 啓蒙主義とは、既成の宗教的な、あるいは国家的な権威から解放されようと努める精神的な活動の総称をいう。理性の万能を信じ、理性に基づく知的な活動によって宇宙の全てから人間の精神の奥底に至るまで知り尽くすことができると信じる思想であった。人間理性の啓蒙は、宗教的な束縛から解放されて、人間の精神的な活動の根底にまで迫り、普遍的な人間性を問うことから始まった。

 

 イギリスの哲学社ロックは、人間はもともと理性的な存在である、と考えた。彼は、先ず人間を社会が形成される以前の自然状態から捉え直した。人間本来の自然状態は、平和と秩序のある状態である。この状態において、人間はすでに自由・平等であり、生命や行為の自由、私的所有権といった”自然権”を所有している。なぜなら人間は本来理性をもつ存在だからである。彼の理想とする人間像は、勤勉にして理性的、である。自律した理性的人間が、自然や事物に対して労働を提供し、自己の利益を追求すると同時に、他者との関係の中で秩序ある社会を形成していく。このような社会の担い手を育成する教育を、大人の手によって積極的に行わなければならない。ロックによれば、人間の精神は本来白紙であり、経験によっていかようにも書き込むことができる。悪徳や欠陥は後天的なものなのである。従って、理性が未発達の幼児期には、大人の理性に従うことによって本能的な欲求を抑える習慣を身に付けなければならない。この正しい習慣化が、本来理性的な存在である人間の、健全な精神を伸ばしていく。人間は、理性の声が最高とするものに従わなければならない。その理性を大人の束縛と訓練によって養っていくところに教育の意義はある。

 

 このように自然的な欲求を否定したロックに対して、フランスのルソーは、自然のままに任せる消極的な教育を提唱した。ロックから人間の普遍性を捉えることを学んだルソーは、ロックが追求しなかった人間性をさらに掘り下げていった。彼は、神から与えられた人間の本質は”善”である、と考えた。「万物をつくる者の手をはなれるときすべてはよいものであるが、人間の手にうつるとすべてが悪くなる」1)のである。社会が人間を堕落させる。教育によって社会の悪徳から人間の本質である善を守っていくことができる。「人間は教育によって作られる」2)。大人は、理性が未発達の幼児期の教育を消極的に行わなければならない。教育は、子供の自然な心身の発達に合わせて行われるべきであり、子供の自然な発達のためにできるだけ良い条件を与えてやることができるにすぎないものである。

 

 ルソーは子供の初期(12歳)までにおける教育を三種に分けた。「能力と器官の内部的発展」3)は「自然の教育」4)に、経験による学習は「事物の教育」5)に委ねられる。そして、「内部的発展をいかに利用すべきか」6)を「人間の教育」7)によって学ぶ。完全な教育は、この三つの調和の上に成立する。そこで、教育は人間の力の及ばない「自然の教育」に合わせて人間の手で”消極的に行う”しかないのである。教師は、子供の自然的な欲求や本能に従わなければならない。ここには、人間が自然に、自発的に、心身共に年齢に適した発達をしていくことへの信頼がある。「子供が心理を理解できるような年齢に達してから、自ら心理にいたる道をとらせ、善を受する能力をもつようになってから、善への道をとらせる」8)。ルソーにおける教育は、”自然に帰る”ことができる最善の手段なのである。

 

 ルソーの合自然的な教育の理想は、ドイツでは、”汎愛主義者”と呼ばれる人々によって現実化された。彼らは、教育の目的一般及び教育の労作、特に人間の幸福を考察した。その中心人物バゼドウは、教育を人間と国家の福祉を実現するための有効な手段である、と捉えた。その方法は、強健な体の育成を目指した鍛錬、近代語・数学・物理学等の実用的な知識の教授を中心とした。これは、思想面では、ルソーの普遍的な人間性の追求・合自然的教育という考え方を継承しつつ、実学主義的な方法である。こうして、人間の理性を呼び起こし、国家的な幸福と人類愛の実現を図ろうとした。続くザルツマンは、子供の精神的な発展を重視した教育方法を展開した。周囲の自然に対して独特の観察の眼を鋭くさせることを第一とし、思考力・判断力を養い、自分の力で判断することを身に付けさせることを目指した。

 

 啓蒙主義の完成者はドイツのカントである。彼は、ルソーよりもさらに深く人間の根底に迫っていき、人間を”認識における主体”と位置づけた。人間は自己の思想を自己自身から自発的に発展させていく存在なのである。それまで、人間の認識主観は客観体に従属し、これを模写するもののごとく考えられていたのをカントは覆した。カントの自律的な人格の形成を目指す考え方は、常識的にいわれる”善”を検討することから始まった。この世の中で、無条件に絶対的に善といえるものは、”善意志”のほかに何もない。善意志をもった人間の行為の結果がどのようであっても善意志そのものに変わりはない。さらに、その行為の動機が、道徳法則に対する純粋な尊敬の念をもつものである時にのみ、その行為は動的な価値=道徳性を持つ。さらに、道徳法則は無条件に必ず守るもの、である。以上から、道徳法則はあらゆる欲望や条件を断ち切って、それらを超えた普遍的な法則に無条件に従うことを定言的に命令するものでなくてはならない。そこでカントは、道徳法則を、なんじの意志の確立が、つねに同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ、という定言命令として方式化した。そして、行為の内容よりも行為の仕方を重視し、道徳法則に適うよう行為しなければならない、とした。行為の仕方に明確な法則をもたせてこそ、道徳法則は普遍的・必然的な法則となることができる。行為の善悪は、道徳法則に合致するか否かによって明確に決定される。

 

 では、この道徳法則と義務の根源はどこにあるのか?それは、人間の内にある理性にある。内なる理性の声が、打算や誘惑にかられてなすべき義務を逃れようとする時、その怠け心を責め、断固義務を果たすべきことを命ずる。理性は、利己的な自分を打ち倒し、道徳法則の前に謙虚にさせ、積極的に普遍法則の実践を命令するのである。人間は、理性によって自分を内面から律することができるのである。内なる理性の声を頼りに己を律し、己を超えた最高善に至るのが人間の本分であり、理想である。こうした自律的な各個人が最高善を目指しつつ、互いの人格を尊重し合って生きる調和ある社会を世界的規模で築くことが、カントの理想であった。よって、彼の教育観も理想的なものであった。

 

 以上のように、ロックに始まりカントで結実した啓蒙主義は、人間の精神を宗教から解放し、理性的存在である人間の主体性の原理を確立した。このような人間を育成する教育も自ずと宗教から解放された。17世紀の近代自然科学に触発された教育への実学主義的な取り組みは18世紀の啓蒙思想を以て大きく進展した。プロイセンでは、フリードリヒ2世によって、学校が教会を離れ、国家の管理の下で教育が行われるようになった。

 

 18世紀の末に、啓蒙主義の理性的な人間理解にさらに感性をも尊重しようとする動きが出てきた。それは、理性と感性のどちらも人間の自然として尊重し、両方が調和したより豊かな人間性の実現を理想とした。しかも、普遍的な人間性と共に各自の個性も尊重しようとした。その理想のモデルとして、古代ギリシア文化を研究した。この新たな精神運動を、古い人文主義に対して、”新人文主義”と呼ぶ。古い人文主義では、ギリシア語・ラテン語を習得すること自体が目的だったが、新人文主義では、より豊かな人間形成のために古典研究を行う。古典作品には、洗練された美しい感覚と自分の意志を明白に言うことのできる知的な能力と道徳的にすぐれた原則を見出すことができる、と彼らは考えた。

 

 以上、人間本来の自律性を取り戻したことによって新たな教育観が生れた18世紀は、教育思想上大きな転換期だったのである。

 

=引用文献=

1)~8)ルソー、今野一雄訳『エミール(上)』岩波文庫、23~25頁より

 

=参考文献=

田中克佳編著『教育史』(川島書店)

岩田朝一著『ロックの教育思想』(学宛社)

古川哲史他著『現代倫理社会』(清水書院:1973年初版高校検定済教科書)

 

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平成11年に書いたレポート、評価はA、講師評は「返送が遅れ、たいへん申し訳ありませんでした。さて、たんぽぽさんのレポートは、多くの点でたいへん優れたものでした。特に、啓蒙思想、近代市民社会の成立への着目は、適切な視点でした。今後のご活躍を期待します。」でした。