「1986年9月9日(火)晴
7時:起床・朝食
9時20分:車で雫石ユースホステルを出発
9時30分:小岩井農場 乳業工場見学後遊歩道散策 ベンチでぼんやりする。
12時15分:小岩井農場をバスで出発
12時50分:盛岡着
13時6分:東北本線一ノ関行乗車
13時45分:花巻着
レンタサイクルで宮沢賢治記念館へ、坂道がきつかった。
道をまちがえちゃったのでイギリス海岸には行けなかった。
16時34分:花巻発釜石線釜石行乗車、
車中『クスコーブドリの伝記』(宮沢賢治)を読む
17時46分:遠野着
18時35分:国鉄バス岩手山口行乗車
18時50分:似田貝下車 遠野ユースホステル着
今日も一日いいお天気。
二度目の小岩井農場からは澄み切った空に浮かぶ岩手山がくっきりとみえた。
午後は予定を変えて花巻に行ったけれどしんどかった。宮沢賢治記念館までの道のり、坂道-道はまちがえるし汗ぐっしょりになった。なかなかいい雰囲気だったけれど。
いろんなことに長けていた宮沢賢治は天才、文学だけでなく仏教・物理・科学・地学・天体等。そして底に流れているのは全て北の人々の貧しい生活、土なんだという気がする。今はまだうまくいえないけれどずいぶん学ぶことがあるのではないか。展示されていた原稿の字が、みんな子供のようだったのが印象的。リュックに入れてきた童話集を読んでみた。たまたま伝えたいものが童話というかたちになって表れた。童話ってなんだろう、あらためて考えさせられた。まだよくわからない。
そしてあこがれの遠野。明日歩いてみようかな、ちょっと大変そうだけど。
ユースホステルは常連が多いみたいでちょっと違和感あるなあ。
おっと、そろそろ寝る時間だ。おやすみなさい。
PM11時10分遠野ユースホステル」
震災のあとご遺体を捜索して手厚く葬り弔う日本、そこには自ずと育まれてきた独自の死生観、共生観があったはずなのに、西欧社会の強欲が引き起こしたコロナ騒動に、どこの国よりも見事にひっかかった結果、とうに捨て去ってしまっていたことがあらわになりました。今の腐り果てた日本の姿を、宮沢賢治は天からどんな気持ちでみているでしょうか。わたしたちは賢治から学び直すべきことがたくさんあるように思います。少しずつ出会いなおしていきたいです。
『東北学/文化と震災からの復興』=2回目 - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)
わたしの受講メモから。
「剣舞(ケンバイ)、少年たちが侍姿で踊る。宮沢賢治が詩に書いている。打つも果てるもひとつの命。
垂直に宇宙に向かって行く文化、西とは明らかに違う。
深い悲しみが奥底にある。
小さな祭壇や霊場が被災地にはみられる。
死者たちへの鎮魂なしに復興はありえない。
どうやって魂を沈めたらいいのか誰にもわからない。
夕方になると海に向かっている女性たち。家族が帰ってくるかもしれない。
被災地のあちこちで幽霊がでる、という話がある。
遠野物語、99話。
供養・鎮魂を行うことは死者との和解。
「死者との和解」なくして生きていけない。幽霊と出会っている。
「死者との和解」は宗教の役割。
神社はたくさん生き残っている。
生と死をめぐるテーマ。
共生-亡くなった人たち、今生きている人たち、これから生まれる人たちを含んだ共生。 ヨーロッパにはない独自の文化。
被災地は祈りに包まれている。
宗教をあらためて問い直す。21世紀の震災をきっかけとした私たちのテーマ。」