たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_スイス・グリンデルワルド

2017年09月11日 19時30分01秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
 失業者となって11日目、短期集中のエネルギーのそがれ方は半端ではなく気力が戻ってくるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。自分の部屋にずっといるとちっそくしそう、一日中ひきこまったまま部屋にいるなんてわたしには考えられず、歯医者さんの通院を兼ねて息抜きに外出して、食事とお茶。お金がかかっても、ストレスになっても外に出て人と会うことは大切。

 部屋の中は思い出と共にまだまだぐっちゃぐっちゃであちらもこちらもモノ、モノ、ほこり、ほこり。少しずつがんばって断捨離中。

 スイスで購入した絵葉書が出てきました。自分でもすっかり忘れていました。グリンデルワルドからスイスアルプスをのぞむ絵葉書。きれいですね。ここに鉄道を通そうなってすごいことスイスの人は考えたもんだとあらためて思います。20歳の頃、今井通子さんの『私の北壁』『続私の北壁』を愛読し、講演を聴いたこともあるので、アイガーのお腹を登山鉄道で抜けた時は本当に不思議な心持ちでした。この旅の前に本を読み返したかったですが時間がありませんでした。今ならできるかな。




上のはがきの住所欄








上のはがきの住所欄







上のはがきの住所欄






上のはがきの住所欄



熊沢誠『女性労働と企業社会』より(5)

2017年09月11日 15時27分26秒 | 本あれこれ
「ノルマ達成の心労

1992年、田代真弓(仮名)は、私立大学の経済学部を卒業して、希望どおり大手の旅行会社に就職した。勁い(つよい) 性格の彼女はどこまでも働いてゆくつもりだったけれども、迷いの末、99年には退職している。

 大都市の支店で、はじめは旅館や関係業者からのセールス担当者と折衝する団体旅行の手配の職務についた。しかしやがてその仕事にも慣れ、田代は94年12月、希望して店頭カウンターの営業に移る。それ以来、別の大都市の支店に転じはしたが、同じ職務で働いてきた。一方、彼女は94年8月に結婚し、翌年には女児を出産している。「お腹の大きい問」は電話の受付を担当した。退職勧奨はなかったが、もと社員で同じ仕事をするパートタイマ ー、時給1,400円の「エキスパートメイト」(仮称)になるようにくりかえし勧められはした、「子供が病気にでもなれば心配で仕事が手につかないだろう」と。当時、この会社のOLは3割ほどが結婚で、残りのうち6割ほどが出産前後で退職していたとい う。

 田代はしかし、8ケ月の育児体業をとって働き続けた。繁忙の毎日だった。朝7時に起床。8時半、家を出て子供を託児所に預け、9時45分には出社。勤務は10時15分から19時までであるが、残業もあって退社はふつう20時、会議のときなどは21時だった。遅いときは夫が託児所へ子供を迎えに行く。月に6―7万円の託児料だった。21時30分ごろから食事、入浴、そして翌日の食事の下ごしらえ。夫も忙しく家事の分担もままならなかった。就寝は午前1時になる。洗濯や掃除は土・日にまとめた。若さと健康と、「私は元気!」という自己暗示が支える毎日だった。その気力をもって田代真弓は、96年に一種のコース制――コー スによって30歳で3・2万円、40歳で4・1万円、50歳で4・6万円の本給格差がつく――導入の際にも、総合職的なコースを選んでいる。98年には、旅行業取扱い主任の資格も取得した。

 そんな田代がついに退職を決意した主な理由は、誰もが推測する「仕事と家庭の両立」の難しさではなかったと彼女は言う。低賃金でもない。98年には彼女の年収480万円ほどに達していた。また前項の高村由美の場合のように、性別職務分離が明瞭で女性の仕事が補助業務に限定されていたからでもない。長い眼でみれば、この会社にも男は外回りの営業、女はカウンター営業という偏りはあったけれども、同じ課では男女間で仕事内容に差はなく、女性が周辺の雑務を行う慣行もなかった。また田代の仕事には、入ったばかりの男性にはない企業まわりがいくらか含まれていた。

 本当の理由は、むしろ上のことの裏面ともいうべき、勤続とともにますます重くなる「目標(ノルマ)を果たすことの心労であつた。ノルマは、この会社では、支店に降りた予算を各課に分割し、課のなかでは課長が社歴などを考慮して個人に割当てるというかたちで決まる。退社前の田代が負っていた1年あたりのノルマは、国内旅行あわせて利益収入2,400万円、これは売上げベースでは約2億円にあたる。それにこの会社の旅行カード30件とデパート共通商品券100万円分であった。これらの数値の達成度は、カウンターにあってはほとんど個人差が出ないように思われるけれども、実際には接遇の積極性、説明の説得性、電話での勧誘などによってかなり異なってくる。達成の督励は、カウンター業務ではとくにカードと商品券についてきつかったという。まことにきびしいノルマといえよう。

 田代は努力して旅行契約の約85%ほど、カードと商品券は100%達成している。この成績は、したがって査定は、彼女の最後のグレードであった主任のなかでは良好であり、その結果、成績が反映されるボーナスは平均より2万円ほど高かった。しかし精神的にはきつい。数字を考えると胃が痛んだ。それにどこまでも耐えてゆける自信はもてなかった。その上、ボーナスは、支店全体が前年度予算を達成できなかった場合には懲罰的に大きく減額される。よくがんばった田代の賞与も、他支店の同期の人とくらべるとときに約10な報酬システムは能力主義原理に肯定的な田代にも割切れなかった。ちなみにさまざまの課題万円も低かった。そんな報酬システムは能力主義原理に肯定的な田代にも割切れなかった。ちなみにさまざまの課題について従来からわりあい健全な機能を果たしてきたこの会社の労働組合も、ノルマの水準とこの「集団主義的」な報償のかたちには、近年とくになにも発言はしていない。

 ノルマが達成できなければ退職を迫られるほど競争主義的な会社ではない。ノルマの数字など気にしなければ、そしてボーナスの若干の低下に耐えさえすれば、田代真弓はさらに勤続を重ねることができただろう。しかし真摯な田代は、一方では男女雇用機会均等と能力主義の理念をまっすぐに受けとめ、他方では過重なノルマ設定にみるきびしい経営環境に促されて、男女間で内容に差のない仕事に挑戦した。ある意味ではこれは一つの挫折のストーリーではあれ、ふりかえって思いを誘うのは、この甘えのない若いワーキングマザーの気力がなしえたこと、なしえなかったことについてである。(以上、私自身のききとり1999‐2000)。」

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第二章企業社会のジェンダー状況_五つのライフヒストリー、2000年10月20日、岩波新書発行、34-35頁より引用しています。)




女性労働と企業社会 (岩波新書)
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