たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_ルーヴル美術館_「民衆を導く自由の女神」

2017年09月06日 18時18分53秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 雨の一日、2カ月半でエネルギーをそがれた疲れがきていますが、部屋にはいられないので今日も午後は放浪の旅に出ています。データを持ち出しているUSBが読み込めなくてちょっと焦り。なんだかまだまだ色々とぐちゃぐちゃ、たまりにたまったものを整理していくのに時間がかかっています。少しずつ少しずつ整理中。やっとここまでたどり着いた感です。

 2008年9月11日(木)に訪れたルーヴル美術館から、ドラクロワの描いた『民衆を導く自由の女神』。相変わらず解像度低すぎ。こんなへっぽこ写真ではなくても素晴らしいものがネットにはたくさんありますが、わたしの思い出はこの写真と共にあります。こうして振り返っていると、広い広いルーヴル美術館のにおい、空気感が体の中によみがえってきます。女神の右前に描かれている少年は、『レ・ミゼラブル』のガブローシュのモデルになったと言われています。絵の下の方をご覧ください、というガイドさんの声が今も耳に残っています。亡骸の山、衝撃的でした。


「民衆を導く自由の女神(みんしゅうをみちびくじゆうのめがみ、

 仏: La Liberté guidant le peuple)は、ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画。1830年に起きたフランス7月革命を主題としている。

 中心に描かれている、銃剣つきマスケット銃を左手に持ちフランス国旗を目印に右手で掲げ民衆を導く果敢な女性は、フランスのシンボルである、マリアンヌの姿の代表例の一つである。絵画としてのスタイル、フランス7月革命というテーマから、絵画におけるロマン主義の代表作と言える。

 原題のLa Liberté guidant le peupleから分かるように、女性は自由を、乳房は母性すなわち祖国を、という具合に、ドラクロワはこの絵を様々な理念を比喩(アレゴリー)で表現している。一方で、彼女が被るフリギア帽は、フランス革命の間に自由を象徴するようになった。やはり、マスケット銃を携えて女性に続くシルクハットの男性は、ドラクロワ自身であると説明される事が多い。女性の左隣の二丁拳銃の少年については、誰をイメージしたのかは不明。

 1831年5月のサロン展に出品され、フランス政府は革命を記念するためとしてこの作品を3,000フランで買い上げたが、翌1832年の六月暴動以降、あまりにも政治的で扇動的であるという理由から、1848年革命までの16年間は恒常的な展示は行われなかったという。1874年から今日に至るまで、ルーヴル美術館に収蔵されている。なお、フランス国外に貸し出されたのは、イギリス・アメリカ・日本の3か国のみである。

 2013年2月に、来館者に黒のフェルトペンで落書きされてしまう被害に遭うが、翌日には修復されている[1]。表面にはワニスが塗ってあり、落書きが下の絵の具には浸透していなかったため、修復が可能だった。なお、落書きは「AE911」と書かれており、アメリカ同時多発テロ事件や、その陰謀説などが関わっている可能性が指摘されている。

 1999年に「日本におけるフランス年」の文化財海外交流展の一環として、この絵画がルーブルから東京国立博物館に1ヶ月間貸し出された。この際に、日本からフランスに貸し出されたのが、法隆寺の百済観音像である。

 日本でも「日本におけるフランス年」を記念してこの絵画の記念切手が発行されたが[3] 、フランス本国では、ドラクロワの肖像と共に、旧100フラン紙幣にその一部が描かれた。
なお、日本への運送には大型貨物機のエアバス ベルーガが使われた。

 日本では慣習的に『民衆を導く自由の女神』と題されることが多いが、原題の La Liberté guidant le peuple は、正確には「民衆を導く自由」(自由 Liberté はアレゴリー)という意味である。このためこの絵画を『民衆を導く自由』として紹介する文献も存在する。」(ウィキペディアより)


 ルーヴル美術館のサイトにはさらに詳細な解説が掲載されています。

read:http://www.louvre.fr/jp/oeuvre-notices/%E3%80%8A7%E6%9C%8828%E6%97%A5%EF%BC%8D%E6%B0%91%E8%A1%86%E3%82%92%E5%B0%8E%E3%81%8F%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%A5%9E%E3%80%8B