たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

想いは秋の空高く

2017年09月30日 21時33分33秒 | 日記
 朝から曇り空の一日。明日から10月なんて早いですね。失業者となって一か月、ようやくまた働かねばという気力も戻りつつあり、一昨日と昨日で準備した書類をお昼を食べたうどん屋さんで最終的に封して、ポストに投函しました。この部屋の中ではやりたくたい、やれないので出来うる限り外で作業。そのあと、元気になりましたの報告をしたくて、二年ぶりにお寺さんのグリーフケアにお邪魔しました。フルタイムで働いているときはへばってしまって土曜日に片道一時間半余りの旅は遠いのでなかなか行くことができませんでした。失業中時間はあるのでようやく行くことができました。二年前、自分は自死遺族で父とも母ともお別れをしている身なれど、いちばん辛かったのは、話せる場がなくってだれかにきいてほしかったのは、13年も働いた会社から派遣だったために使い捨てにされ損害賠償を求めたら弁護士が出てきてズタズタにされ、心身ともにすり減りつくし、社会への怒りと悔しさのマグマが噴火しながらどうにも身動き取れなくなった辛さでした。使い捨てというかたちで日中の居場所と収入を失った辛さでした。住職に事前にそう伝えてお話させてもらいました。それから二年・・・。

 二年前の12月末、精魂尽き果て妹と両親が眠るお墓の前で毎日泣いていたこと、いつどうやって終わるのか全くわからなかったそんな日々は結果的に一か月で終わったこと、思ってもみなかったかたちで社会へ戻ることができたこと、10年前に合格した精神保健福祉士の資格を生かせる機会がめぐってきて今年はウルトラハードな仕事を経験し契約満了までなんとかやれたこと、家族への見方も変わってきて勉強になることが多いので、いやがられる仕事だし色々と矛盾もわかっているけれどまたハードな仕事をやろうとしていることなど話しました。最後に二年前死別ではないグリーフの話をさせてもらえたお礼をお伝えしました。昨夜も思い返していましたが、お寺さんとご縁がつながったのは使い捨てにされて労働紛争になってしまってからのわたしなのですり減った顔しかみせていなかったんですよね。こうしてなんとか一応社会に戻り、しかもかなりハードな仕事で戻り、元気になったわたしでまた二年前会った方々にお会いできてほんとよかったです。辛かったわたしの顔をおぼえてくださっている方々も、はじめてお会いした方々も、すごいですねえ、よかったですね、って声かけてくれました。なんだかほんとに不思議です。うまく言えませんが、なんでこれでもかこれでもかって試練がやってくるわたしの人生、なんだろうって思ったこともありますが色々あったことで色々と教えられました。妹も母もたくさんのことをわたしに気づかせてくれました。まだ傷は深いのでいいたくありませんが使い捨てにされ労働紛争まで気づいたらいってしまったことも、こんなことがなければ知ることのなかったことの連続。社会の色が違ってみえました。そんなわたしが、もちろん面接では一切言えませんが、結果的に援助職で社会へ戻る道にたどり着いたことに意味があるのかもしれません。振り回されている最中はそんなきれいなこと言ってられませんけどね、なにが幸せなのか、どう生きたら幸せなのかということはいつも考えさせられます。そんな仕事にもう少し携わってみることが妹の導きなのかもしれません。不安定だしほんとはアルバイトっていう雇用形態でやる仕事ではないし、これが正解なのかわかりませんけれど、そのあとは本書きたいなあ、絵本屋さんやりたいなあと絵空事を思い浮かべながらもう少し進んでみます。7年前の父との別れから試練の連続、はじめてのことばかりの連続。なんでこんな苦しいことばっかりなの、っていうわたしの人生。その分深く生きることができているのかな。楽しい時の幸せ感もまた深い。心の中のパズルがバラバラで無理に合わせようとしていたことはちぐはぐなままだったのか、気がついたらなんとなくあってきている感。まあなんとか体がもつ範囲でもう少し生き延びてみます。

 写真は秋のプリンス・エドワード島、曇り空のケープ・トライオン岬。ぐちゃぐちゃになっている写真、チェンネルに少しずつ整理中です。明日はまた思い出日記を書ければと思います。


 連日ブログの訪問者が100人を超えるようになりました。過去の記事を少しずつ読んでくださったりしているのかな。ありがとうございます。よろしかったらまた訪問してください。