たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

へんに緊張の一週間でした

2017年09月08日 23時08分32秒 | 日記
 ささやかな有給休暇の開始から8日目、ヘンに気をはった一週間が終わりました。金曜日の夜、長かったのか短かったのか。今日の午後は『レオナルドダヴィンチ展』に行ってきました。複製写真ですが、『モナ・リザ』と再会できたし、短い一生の間に人がなせる最大限のことをなしえたダヴィンチの天才ぶりにあらためて感銘を受けました。写真OKだったのでいっぱい撮ってきました。後日おいおい載せていければと思います。楽しかったです。なんかお金使ってばかりですが誰とも会わずにこの部屋にずっといてはおかしくなってしまうし、そんなことわたしにはできなくってエネルギー充電のためには心を満たしてくれるものを求めていきたいので心の健康をたもっていくための必要経費かな。ここに引きこもっていることができてしまったら心が病んでいるということでしょう。不健康極まりない。ご近所にそんな人がいて音丸聞こえ状態は緊張させられます。気にしないようにと思ってもいやでも昼間やたらと荷物や郵便が届いている様子が聞こえてしまうのでいやですね。ちょっとだけ遅寝、遅起きの生活。以前のように2時過ぎに就寝するとかそんな極端なことはしていないです。ちょっとだけずれこみ。2カ月半の短期集中のエネルギーの削がれ方は半端なくって思い出しただけでも、自分よくやったなって吐きそうです。いやあすさまじかった。よくやりましたよ、ほんとに。水曜日にスパに行ったらどっと疲れが出ました。あかすりやったとき、すごく疲れていますか?ってきかれました。体が冷えていたようです。冷房キンキンに体がついていかないし、そしゃそうでしょう。こんなに疲れているんだって自覚するのは大切なことなのであとでつらくなりましたが自覚できる機会となってよかったと思います。断捨離は自分の部屋でしかできないのでお昼まではなんとかがんばって少しずつ断捨離。お昼を食べるために外に出たらあとは夜まで帰ってきません。ご近所が不気味だから帰ってこれないですよ。月曜日と火曜日と水曜日はほんとに用向きがあり、あとは放浪。できるだけブログを書きたいし、長い間読めていなかった本を読んだりしたいし、久しぶりに『赤毛のアン』の原書にも触れました。時間があるときでないとやれないことをできるだけやりたい、大切に過ごしたいです。振り返るとクソな会社から使い捨てにされて三年半が過ぎました。直後から1年10カ月、社会に戻ることができなかった日々は大きいです。損害賠償を求めようとしたことが正解だったのかどうか、答えはありません。まだやり直せるのでしょうか、わたし。失業給付を受けられる二か月でわたし次の居場所に出会うことができるのでしょうか。失業者で収入なしでは弟に対して圧倒的に弱い立場なのでなんとかしたいですがさりとて今はまだ新しいことがなにも入ってきません。社会から取り残された感のままヘンに緊張しながら一週間は終わりました。ちょっと金銭的なことで人に嘘つかれてすっごいイライラしていて、その原因が解消されるにはまだ時間がかかりそうでいつになるのかわかんないのでこのイライラはまだ続きます。体に悪いです。うまーい営業トークを真に受けたわたしほんとに間抜け。あーはやく解消したい。明日の夜は一路さんのコンサート。同世代、宝塚の二番手時代から拝見しているのでまるで懐かしい人に会いにいくような心持ちです。私自身もよくがんばってきたよ、という気持ちで楽しみたいです。今日は観劇ブログを書こうとしていましたが書けませんでした。また明日以降。ブログをとおしていろいろと振り返りの旅は続いていきます。

 写真は久しぶりにかわいいイケメンな清史郎君。2012年『エリザベート』の時、帝劇で購入しました。子役ながら帝劇の売店に大人と並んでグッズコーナーがあった清史郎君。生後数カ月からお仕事しているだけあってさすがですね。

 清史郎君の写真と共に徒然日記でした。


追記)夏の終わりに、ほころびがでてきたお洋服三枚にお礼を言ってお別れしました。5年ぐらい着たかな。ネット通販とお店で買った時のことをいまでもおぼえています。ストレスまみれでイライラしている自分がたまらなくみじめでした。クソな会社での苦労と、使い捨てにされてから社会から孤立しながら放浪した日々の苦労がしみついています。こうして少しずつ、少しずつ、お別れしていきながら体にしみついた苦労の日々のつらさを洗い流していきたいです。まだまだあるので少しずつね。モノを増やしたくないのでこの夏も新しい服は買いませんでした。わたし、クソな会社を罪人のようにそっと去ったまま、けじめの「お世話させていただきました」という挨拶ができていないことに気持ちをひきずられてきましたが、人生の時間には限りがあるのでどうでもよくなってきました。お世話させていただいた彼らと会うことは二度とないわけだし、わたしの替わりなんかいくらでもいたわけでもう忘れているだろうし、状況が落ち着いたら数人にメールを送ろうかと思ったりしていましたがばかばかしいのでもうやめます。恩を仇で返されたかたちになりましたが誰もなにがあったのか理解することはできないし、今さら理解を求めたところでなにがどうというわけでもないし、ばかばかしいので忘れていきたいです、少しずつ、少しずつね・・・。