たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出写真_ルーヴル美術館_ミロのヴィーナス

2017年09月01日 18時45分02秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 2008年9月11日(木)、ツアーのフリータイムに前年同様、一人でルーヴル美術館の日本人向けツアーに参加しました。わたしの中で前年のリベンジをしたいような気持ちがありました。

 なにをどこまで書いてしまったのかすっかり忘れており、ようやく復習して久しぶりにアップ。気がつけばもう9年前ですか。クソ会社で必死に必死に働いていた頃でした。二人分労働のストレスにまみれながら、言葉にしようのない辛さを誰にも話すことができず、誰にも辛さを分かってもらないまま、あとはよろしくね、って言って海外出張に出かける奴らを見送っている自分がみじめでみじめで仕方なくって、こうして遠い空のもとへ、地球の裏側へ飛び立たないではいられませんでした。出発前、男性の添乗員さんから挨拶の電話を携帯にもらったときも、昼休みにようやく出られた時余裕がなくってなくってつっかかるような言い方しかできませんでした。仕事辛くって仕方なくすみません、って謝りました。そんな日々を今でも体が記憶しています。同じことを何度も書いているような気がしますが、色々とありつつも苦しみ抜きながらやっと出かけた旅はわたしの中でかけがえのないもの。ルーブル美術館ツアー、テンションがあがって楽しくってたまらなかった記憶があります。

 ミロのヴィーナス、正面からみるのとは全く違う後ろ姿の表情に魅了されて何度も何度も後ろに回って鑑賞しました。後ろ姿にたくましいエネルギーを感じました。上手く言えませんがなんだか自分の体に響いてくるものがあってすごく心が震えました。なんだろうなあ、その時その場で出会わなければ味わうことのできないなにかがありました。

 当時持っていた解像度の低い携帯で撮った写真なので全くたいしたことはありません。もっと素敵に撮れた写真がネットの中にはあふれかえっていると思いますがわたしだけのミロのヴィーナス。モナリザの間のように、日テレがお金を出してミロのヴィーナスの間が創られるという話があったのにまだできていませんねとガイドさんがおっしゃっていました。その後創られたんでしょうか。


「ミロのヴィーナスは、1820年4月8日に小作農であったヨルゴス・ケントロタス(Yorgos Kentrotas)によってオスマン帝国統治下のエーゲ海にあるミロス島で発見された。彼は最初、官吏に見つからぬようにヴィーナス像を隠していたが、トルコ人の官吏に発見され没収された。

後に、フランス海軍提督ジュール・デュモン・デュルヴィルは、この像を見て価値を認め、フランス大使に頼みこんでトルコ政府から買い上げた。これは修復された後にルイ18世に献上された。ルイ18世はこれをルーヴル美術館に寄付し、現在でもそこで管理されている。

以後、ルーヴルを出て海外へ渡ったことはただ1度、1964年4月~6月、日本の東京都(国立西洋美術館)京都府(京都市美術館)で行われた特別展示のみである。この際、日本への輸送時に一部破損が生じ、展示までに急遽修復されている。

1900年頃にルーヴルで一度だけ型取りされており、現在もその型を元にレプリカや縮小モデルが作られている。」(ウィキペディアより)











金曜日の朝

2017年09月01日 08時55分36秒 | 日記
 一気に涼しくなりました。昨夜は一時に就寝。今日からエンドレスの夏休み?秋休み?ですからどうしてもゆっくりしてしまいます。平日なので妙に緊張しつつなんとか7時間近く眠れたかなあ。緊張感であまり眠れなかったという話もなんだかしてきていたので寝てくださいねって、机を並べた人たちから声をかけられました。たった一か月でしたが苦楽を共にしたというのは大きいですね。なんかもっとずっと一緒にいたような感覚で契約さえあればもう少し手伝えるのになあという気持ちも残りました。教えてもらっていた人からは、結末がすごく気になる件、またどこかで会える時には必ず教えますね、またきっと会えますよ、って言われました。ありがとうございました、記録を細かく書いてくれてほんとに助かります、って言われました。

 昨日の閲覧8位だった2015年12月8日の記事、「つぶやからずにいられなくって」

http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/70ddd4a752c60ccf260b4b798a1274d4?fm=entry_awp


 自分でも読み返しました。ここまでよくきたなあとあらためて思いました。クソ会社から使い捨てにされて1年10カ月立ち直れなかった日々は大きかったです。2年前の12月にはまだこんなんだったわたしがたまたま運にめぐまれてよかったのかどうかわかりませんが、正規雇用ではないけれど仕事できた、しかも事務職ではなく、今年に入ってからはかなりハードな援助職、面談も訪問も行いました。教えてもらいながら助け合いながらできました。そもそもお互いにフォローし合わないとできない仕事なのでみんなで声を掛け合いながら、情報を共有しながらやっています。冷静に考えると机を並べた人たちに恵まれた方なのかもしれません。どちらの就労場所も人間関係がすごく悪かった時期があったと聞きました。今もいろいろあるのでしょうが表立ってそういう空気は感じませんでした。せっかくこうして少し慣れてきた仕事、アルバイトだけど1年やれるところがあればやろうかなと思ったり思わなかったり、もちろん通勤可能圏内でね。わたしがその気になれば需要はあるみたいなのでどうしようかな。

就労場所は日中の居場所。わたし、就労場所を離れたらほんとにただのヘンテコおばさんにしか見えないみたい。人の目なんかどうでもいいですけどね、自分のための人生、一回きりの人生、これからどうしようかな。

 まずは心身共にお休みが必要。今日はがんばってハローワーク。そのあとはカフェでPCできるといいな。出かけたら暗くならないと戻れません。陽が短くなってきていてほっとしています。ご近所は安定の引きこもりのオッサン。こういう人にどんどん医療費がかかっているであろうことを知ってしまったのでなんだか複雑な気持ちです。本当に必要なところに必要な分だけ回っていくのってむずかしいです。本当はルポ書きたいですがそんなことでは生活できず、どうしようかな。