たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

花組『邪馬台国の風』

2017年09月16日 18時56分33秒 | 宝塚
 宝塚花組『邪馬台国の風』『Sante!!』、8月5日(土)15時30分~、8月20日(日)11時~、8月27日(日)千穐楽ライブビューイングと3回観劇することができました。花組公演があったから乗り切ることができた8月、心のエネルギーが満たされてほんとにありがたかったです。この3回がなかったらわたし、涸れて倒れてしまっていたことでしょう。明日海さんと花組に感謝、感謝。

『邪馬台国の風』、大劇場公演から演出に変化があったようですが、わたしのなかでは安心してみることのできる宝塚らしい、なかなかに面白い作品となりました。ネットでの評判がよくなかったのでどんな舞台なのだろうとおそるおそるというところがありました。自分の目でみないとわからないものですね。千穐楽は、花組のみなさんの芝居の熱量も半端なかったです。みなさん楽しみながらやっていらっしゃるのかなと感じました。細かいところでは、タケヒコがどうやって薬草と冷たい水で明神探湯(くがたち)に勝利したのかわかっていないでずが、ツボとなるポイントもいくつかあり、物足りなさを感じるところもありますが楽しめました。

 この作品のいいところ、ツィッターでつぶやいている方がいらっしゃいましたが、明日海さん演じるタケヒコが少女時代マナとして出会った仙名さん演じるヒミコが女王として生きることを後押しする、女性が自立して生きることの背中を押す、城妃さん演じる女性兵士イサカに対して、邪馬台国の男役さん演じる男性兵士たちが女性であることを理由とした差別的なことばがいう場面がないところ。瀬戸さん演じる奴国の王ヨリヒクが、ヒミコが女王として政を行うことになった時、「巫女を女王にたてるだと!女のいうことなんかきけるか!」って言う場面がありましたが女性であることを理由とする差別的な台詞はそこだけかな。

 一度は霊力を失い諸国の王たちによって処刑されることとなったヒミコを、タケヒコは連れて逃げようとしましたがヒミコが霊力を取り戻した時、国を治めることがあなたの役割だと言います。そして邪馬台国が安泰すると同時に自分の邪馬台国の兵士としての役割は終わったと知ったタケヒコは、あらたなる場所を求め、ヒミコに「邪馬台国に風が吹くとき、それはわたしがあなたを思っている時だ」といって魏の国(中国大陸)へ旅立っていきます。このラストシーン、サヨナラ公演みたいだっていう声が休憩時間に聞こえましたがわたしは大好きです。銀橋を歩きながら歌う、アルファ波をもつ明日海さんの歌声に癒されました。

「人はそれぞれに宿令をもつ
 この地に生まれ 何をなすべきか
 その定めに気付いた者には
 天が力を与える
 いのちの瞬きのあいだに
 なすべきことをなせ
 いのちの瞬きあいだに
 なすべきことをなせ
 
「この地のめぐみ
全ての人に 与えられるよう」

  いのちの瞬きのあいだに
 なすべきことをなせ」


 オタクにしかわからない話でした。明日あらためてもう少し詳しく書くつもりです。またまた連投失礼しました。宝塚は楽しいです。この世にいる間の生きる楽しみ。舞台は心の糧。18日(月)11時開演の月組公演に間に合うように行けることが今のわたしのささやかな目標です。



熊沢誠『女性労働と企業社会』より(8)

2017年09月16日 17時54分17秒 | 本あれこれ
「エピローグ‐二章2節(5つのライフヒストリー)の女性たち・その後

  同棲が結婚と同じように社会的に保障されているノルウェーでは、いま生まれる子供の2人に1人は婚外子で、子供のいる世帯の20%はシングルマザー家庭。その立場でも、女性の平均月収の半分ほどになるシングルマザー手当てなど国からの援助を給料に加えれば、ふつうに生きてゆける。「シングルマザーの多い社会を「不道徳」と非難できるだろうか。シングルマザーの少ない日本のような国は、中絶を陰に陽に強いる社会でもある・・・(『熊本日日新聞』2001年1月5日)。共同通信社の飯田裕美子は、最近こんな取材記事を書いている。

  1999年に旅行会社を退社した田代真弓は、雇用保険の教育訓練制度をつかって社会保険労務士の資格取得の勉強に通っている。退職後しばらくすると、もう仕事に行きたくなった。5歳になる娘にも、なにかはできる女性になるよう見本を示したい。さらに勉強して資格をふやし、数年は社会保険労務士事務所で経験を積んで、ゆくゆくは自分の事務所を開きたいと思う。

   高村由美は、住友金属を退職後、大学に入り、苦学して大学院に進学していま社会学を学んでいる。在職中、彼女は「勤務し続ける中で状況を少しでも改善していこうと考えることができなかった」。けれども彼女は入社3年目に、JK(自主管理)活動女子リーダー会の場で、その事務局を担当する、のちに住友金属男女賃金差別訴訟の原告の一人になる北川清子に会っている。北川は大阪本社で最初の「結婚しても出産しても退職しなかった女性」にほかならないが、 高村がはじめてみた「補助業務ではない仕事を主な職務にしている女性」でもあった。在職しながらこの職場を変えるという、当時の自分にはできなかった営みに挑戦する原告たちに心情を託して、高村はさきに紹介した裁判の陳述書を書き、2000年5月には大阪地裁の証言台にも立った。

  矢谷康子は、なお働きながら、企画職への「転換試験」にも挑戦しながら、住友系三社性差別裁判の原告の1人として、なかまとともに拡がりをもった闊達なアッピールを続けている。国連特別総会「女性2000年会議」の開かれたニューヨークにも訴えに赴いた。結審・判決の日もそう遠くない。

  2000年3月、およそ2年の闘いの末、森田電エパート労組は大阪地裁堺支部での和解に応じた。指名解雇は撤回、9人のうち5人は、高卒の新入社員扱いながら正社員として雇用、 4人は希望退職、パート組合に解決金500万円(退職者への退職金に充当)という内容である(『読売新聞』2000年3月15日)。いくつかの譲歩はあれ、それは大きな達成だった。注目すべきことに、5人と4人のふりわけは会社の人選によってではなく、なかまの話しあいによって決定されている。5人のなかにはたとえば、8年の正社員勤務、17年のパート勤務ののち、ふたたび正社員としてなじみの工場で働き続ける人もあった。」

(熊沢誠著『女性労働と企業社会』第五章ジェンダー差別に対抗する営み_パートタイマーの明日、2000年10月20日、岩波新書発行、218‐220頁より引用しています。)


女性労働と企業社会 (岩波新書)
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