たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

アンデルセン『絵のない絵本』_第一夜

2015年12月07日 23時44分05秒 | いわさきちひろさん
『まるごとちひろ美術館』展に原画が展示されていました。「インドの少女」。美しい一枚でした。希望のもてるお話です。

「「ゆうべのことだがね。」と、月が話してくれました。
「わたしはインドの澄みきった空をすべっていって、ガンジス川に自分の姿を映して見たのですよ。わたしの光が、かめの甲らみたいにもりあがった、年とったプラタナスの木の並んだ垣根の網目をぬけていったときです。しげみの中から、カモシカのように身がるで、イブのように美しいひとりのインドのむすめが、走りでてきました。このむすめは、どこか空気の精みたいでいて、いかにもインドのむすめらしく、ぴちぴちした生命力にあふれていましたっけ。わたしには、そのうすい肌をとおして、心の中までがすいて見えました。はいていたサンダルはとげだらけのつる草にひきさかれていましたが、むすめはかまわず先をいそいでいきます。川へやってきて、のどのかわきをしずめた野獣も、びっくりしてとびすさりました。むすめが、手に赤あかともえるランプを、持っていたからです。風にふき消されまいと、むすめは炎を手でかばっていましが、そのほそい指をすかして、みずみずしい血が流れているのが、はっきりと見えましたよ。むすめは川岸におりると、ランプを、そっと水の上にのせました。ランプは流れをくだっていきます。炎はいまにも消えそうになって揺らぎましたが、また燃えあがりました。むすめの絹糸のふさのような長いまつげのかげに、きらきらと輝く黒い目は、深い思いをこめて、その炎を追ってゆきました。

 むすめは知っていたのです-もしそのランプが、自分の目に見えるかぎり、消えずにいるならば、いとしい人はまだ生きているのだし、もし途中で消えるなら、いとしい人はもう死んでいるのだということを。ランプが燃えあがって風に揺らぐたびに、むすめの心臓も燃えあがってふるえました。むすめはそこにひざまずいていのりました。かたわらの草の中には、気味のわるいへびがいたのですが、むすめはただもう神様と婚約者のことしか考えていませんでした。『あの人は生きている!』と、むすめは喜びの声をあげました。すると、あたりの山からも、こだまがかえってきました。『あの人は生きている!』」

(『絵のない絵本』訳・山室静 画・岩崎ちひろ 昭和41年初版、昭和58年55刷、童心社より)



絵のない絵本 (若い人の絵本)
アンデルセン
童心社

人生の果実が実る時を信じたい

2015年12月07日 00時02分41秒 | 祈り
若松英輔 ‏@yomutokaku · 20時間20時間前
真剣にやっても成果を得られるとは限らない。ただ、私達が日頃「成果」と呼ぶものとは全く別の、「人生の果実」ともいうべきものは、真剣に生きた日々がなければけっして実らない。その果実は、他の人には見えない。本人だけが手にでき、魂の糧にすることができる。それは人生を深みから祝福さえする。

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昨夜から、自分はなんでこんなに苦労ばっかりしているんだろうって思ったらすごく悲しくなってしまいました。人によっては私はまだ恵まれている、と言われることもあります。でも、わたしの中では本当に七転八倒の連続。生きるってこういうことなんでしょうか。

こんな励ましではない励ましの言葉に出会うと気持ちが救われます。妹のお別れから23年。助けてやれなかった分まで一生懸命生きていきたいという想いで精一杯やってきているつもりなのになんだか気がついたらつまづいてばっかりいます。失われた10年の歳月の大きさにぞっとしています。自己責任だって言われてしまえばそれまでのことですが、会社に返してくれって言いたい気持ちがあります。会社にだって責任があるはずなのに、責任なしにしてしまっている社会への怒りと悔しさがぶりかえしてはまた小さくなっての繰り返しで、一向に抜け出すことができずにどうしようもない感じです。
これから先の見通しが一向にたたないのでなおさら悔しくなってしまっています。
なんか散々苦労させられた挙句恩を仇で100倍ぐらいにして返された被害者意識ばっかりです。働いていた時からそうでした。
一歩を踏み出せるときが来るのでしょうか。
今はただ不安で不安でしょうがなく、社会から孤立したまま気持ちだけが追い詰められてきています。目に見える成果とは違う「人生の果実」が実る時を信じたいです。

誤解を承知で毎日長文になりますが、ストレスをため込みながら働くみじめさに時には打ちひしがれていた日々をまた振り返ってみたいと思います。

「2012年8月26日(日)

毎日暑い。妹と父、それぞれが死んでしまった夏の終わりの暑さを思い出し、いやな気持ちになる。命日が近づいてまた法事にも出なければならずイライラしている。
家と土地の話を弟としなければならない。私はこれからどうすればいいのか。きかれたってわからない。本当にわからない。

新幹線のチケットが行方不明。
買ったそばからわからない。他のことを考えていたせいか実感として何も思い出せない。
ボケるにはまだ早いはずだが、どうしてしまったのか。
PCをずっとみているせいもあるのかな。目がチカチカ。
でも地震が続いているし、いつ今もっている物をあきらめて逃げなければならないのだろうと思うと落ち着かない。
だって、人ってほんとに死ぬんだ。
トラウマを背負って生きるってしんどい。あらためて思うこの頃。
背中が重すぎる。私には無理だ。
色々と楽しみたいことはある。
あまり会社の業務をがんばっても仕方ない。退職金いっぱいもらってもいいぐらい働いているが、現実と契約はかけ離れ過ぎている。
何かしなければならない。そういう思いにとらわれているだけで、なにもできないんだね。色々思うけど、なあんにもしていない。このまま、つまんないことで時は過ぎて行ってやがて死んでいくんだね。『赤毛のアン』と『若草物語』と『あしながおじさん』と『ジェイン・エア』を原語で読みたい。他にも読みたい本はある。ちょっとずつ、できる時にね、やっていこう」

今も毎日PCを見ていますが、会社で目がチカチカしてどうしようもないような表作成とかしながら、メールもチェックしては文章を一生懸命考えて気を遣いながら返信したりなど膨大な量の業務をこなさなければならなかった過重労働の日々と比べればたいしたことありません。
長い時には10時間前後、ずーっとPCの前。
厚労省記者クラブの会見で就労の実態と事実関係をわりと詳しく話す機会があった時、ある記者さんから「苦労しましたね」と声をかけられました。本当に苦労に苦労を重ねた日々でした。争いになってから、一生懸命働いてしまった自分が馬鹿だったと繰り返し繰り返し思いました。目に見える成果は得られませんでしたが人生の果実が実る時を信じたいです。