若松英輔 @yomutokaku · 20時間20時間前
真剣にやっても成果を得られるとは限らない。ただ、私達が日頃「成果」と呼ぶものとは全く別の、「人生の果実」ともいうべきものは、真剣に生きた日々がなければけっして実らない。その果実は、他の人には見えない。本人だけが手にでき、魂の糧にすることができる。それは人生を深みから祝福さえする。
****************
昨夜から、自分はなんでこんなに苦労ばっかりしているんだろうって思ったらすごく悲しくなってしまいました。人によっては私はまだ恵まれている、と言われることもあります。でも、わたしの中では本当に七転八倒の連続。生きるってこういうことなんでしょうか。
こんな励ましではない励ましの言葉に出会うと気持ちが救われます。妹のお別れから23年。助けてやれなかった分まで一生懸命生きていきたいという想いで精一杯やってきているつもりなのになんだか気がついたらつまづいてばっかりいます。失われた10年の歳月の大きさにぞっとしています。自己責任だって言われてしまえばそれまでのことですが、会社に返してくれって言いたい気持ちがあります。会社にだって責任があるはずなのに、責任なしにしてしまっている社会への怒りと悔しさがぶりかえしてはまた小さくなっての繰り返しで、一向に抜け出すことができずにどうしようもない感じです。
これから先の見通しが一向にたたないのでなおさら悔しくなってしまっています。
なんか散々苦労させられた挙句恩を仇で100倍ぐらいにして返された被害者意識ばっかりです。働いていた時からそうでした。
一歩を踏み出せるときが来るのでしょうか。
今はただ不安で不安でしょうがなく、社会から孤立したまま気持ちだけが追い詰められてきています。目に見える成果とは違う「人生の果実」が実る時を信じたいです。
誤解を承知で毎日長文になりますが、ストレスをため込みながら働くみじめさに時には打ちひしがれていた日々をまた振り返ってみたいと思います。
「2012年8月26日(日)
毎日暑い。妹と父、それぞれが死んでしまった夏の終わりの暑さを思い出し、いやな気持ちになる。命日が近づいてまた法事にも出なければならずイライラしている。
家と土地の話を弟としなければならない。私はこれからどうすればいいのか。きかれたってわからない。本当にわからない。
新幹線のチケットが行方不明。
買ったそばからわからない。他のことを考えていたせいか実感として何も思い出せない。
ボケるにはまだ早いはずだが、どうしてしまったのか。
PCをずっとみているせいもあるのかな。目がチカチカ。
でも地震が続いているし、いつ今もっている物をあきらめて逃げなければならないのだろうと思うと落ち着かない。
だって、人ってほんとに死ぬんだ。
トラウマを背負って生きるってしんどい。あらためて思うこの頃。
背中が重すぎる。私には無理だ。
色々と楽しみたいことはある。
あまり会社の業務をがんばっても仕方ない。退職金いっぱいもらってもいいぐらい働いているが、現実と契約はかけ離れ過ぎている。
何かしなければならない。そういう思いにとらわれているだけで、なにもできないんだね。色々思うけど、なあんにもしていない。このまま、つまんないことで時は過ぎて行ってやがて死んでいくんだね。『赤毛のアン』と『若草物語』と『あしながおじさん』と『ジェイン・エア』を原語で読みたい。他にも読みたい本はある。ちょっとずつ、できる時にね、やっていこう」
今も毎日PCを見ていますが、会社で目がチカチカしてどうしようもないような表作成とかしながら、メールもチェックしては文章を一生懸命考えて気を遣いながら返信したりなど膨大な量の業務をこなさなければならなかった過重労働の日々と比べればたいしたことありません。
長い時には10時間前後、ずーっとPCの前。
厚労省記者クラブの会見で就労の実態と事実関係をわりと詳しく話す機会があった時、ある記者さんから「苦労しましたね」と声をかけられました。本当に苦労に苦労を重ねた日々でした。争いになってから、一生懸命働いてしまった自分が馬鹿だったと繰り返し繰り返し思いました。目に見える成果は得られませんでしたが人生の果実が実る時を信じたいです。
真剣にやっても成果を得られるとは限らない。ただ、私達が日頃「成果」と呼ぶものとは全く別の、「人生の果実」ともいうべきものは、真剣に生きた日々がなければけっして実らない。その果実は、他の人には見えない。本人だけが手にでき、魂の糧にすることができる。それは人生を深みから祝福さえする。
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昨夜から、自分はなんでこんなに苦労ばっかりしているんだろうって思ったらすごく悲しくなってしまいました。人によっては私はまだ恵まれている、と言われることもあります。でも、わたしの中では本当に七転八倒の連続。生きるってこういうことなんでしょうか。
こんな励ましではない励ましの言葉に出会うと気持ちが救われます。妹のお別れから23年。助けてやれなかった分まで一生懸命生きていきたいという想いで精一杯やってきているつもりなのになんだか気がついたらつまづいてばっかりいます。失われた10年の歳月の大きさにぞっとしています。自己責任だって言われてしまえばそれまでのことですが、会社に返してくれって言いたい気持ちがあります。会社にだって責任があるはずなのに、責任なしにしてしまっている社会への怒りと悔しさがぶりかえしてはまた小さくなっての繰り返しで、一向に抜け出すことができずにどうしようもない感じです。
これから先の見通しが一向にたたないのでなおさら悔しくなってしまっています。
なんか散々苦労させられた挙句恩を仇で100倍ぐらいにして返された被害者意識ばっかりです。働いていた時からそうでした。
一歩を踏み出せるときが来るのでしょうか。
今はただ不安で不安でしょうがなく、社会から孤立したまま気持ちだけが追い詰められてきています。目に見える成果とは違う「人生の果実」が実る時を信じたいです。
誤解を承知で毎日長文になりますが、ストレスをため込みながら働くみじめさに時には打ちひしがれていた日々をまた振り返ってみたいと思います。
「2012年8月26日(日)
毎日暑い。妹と父、それぞれが死んでしまった夏の終わりの暑さを思い出し、いやな気持ちになる。命日が近づいてまた法事にも出なければならずイライラしている。
家と土地の話を弟としなければならない。私はこれからどうすればいいのか。きかれたってわからない。本当にわからない。
新幹線のチケットが行方不明。
買ったそばからわからない。他のことを考えていたせいか実感として何も思い出せない。
ボケるにはまだ早いはずだが、どうしてしまったのか。
PCをずっとみているせいもあるのかな。目がチカチカ。
でも地震が続いているし、いつ今もっている物をあきらめて逃げなければならないのだろうと思うと落ち着かない。
だって、人ってほんとに死ぬんだ。
トラウマを背負って生きるってしんどい。あらためて思うこの頃。
背中が重すぎる。私には無理だ。
色々と楽しみたいことはある。
あまり会社の業務をがんばっても仕方ない。退職金いっぱいもらってもいいぐらい働いているが、現実と契約はかけ離れ過ぎている。
何かしなければならない。そういう思いにとらわれているだけで、なにもできないんだね。色々思うけど、なあんにもしていない。このまま、つまんないことで時は過ぎて行ってやがて死んでいくんだね。『赤毛のアン』と『若草物語』と『あしながおじさん』と『ジェイン・エア』を原語で読みたい。他にも読みたい本はある。ちょっとずつ、できる時にね、やっていこう」
今も毎日PCを見ていますが、会社で目がチカチカしてどうしようもないような表作成とかしながら、メールもチェックしては文章を一生懸命考えて気を遣いながら返信したりなど膨大な量の業務をこなさなければならなかった過重労働の日々と比べればたいしたことありません。
長い時には10時間前後、ずーっとPCの前。
厚労省記者クラブの会見で就労の実態と事実関係をわりと詳しく話す機会があった時、ある記者さんから「苦労しましたね」と声をかけられました。本当に苦労に苦労を重ねた日々でした。争いになってから、一生懸命働いてしまった自分が馬鹿だったと繰り返し繰り返し思いました。目に見える成果は得られませんでしたが人生の果実が実る時を信じたいです。