たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

師走の金曜の夜

2015年12月05日 00時22分47秒 | 日記
 といっても社会から取り残されている私には何曜日も、師走も関係ありませんが、子どもたちの顔を見たくってコミュニティハウスに顔を出した後、労働弁護団が主催する「解雇事由法制に反対する働くものの総決起集会」に行ってきました。何か発言するわけではなく、参加者の一人として拝聴しました。

 私にはむずかしい内容でした。紛争経験者として、私のような非正規でしかも間接雇用の場合はそもそもどこが労働者に対して雇用責任を負うのかが曖昧で難しいものがあるとあらためて考えてしまいました。当事者の方々の発言を拝聴していると、正規雇用であっても都合が悪くなれば使用者側が一方的に解雇をつきつけてきて、そのやり方はひどいものなんですね。争いたくなくても争いになって行かざるを得ません。争うということは金銭的和解とか職場復帰を求めているだけではなく、自分自身の尊厳を取り戻していくことでもあるんですよね。私の場合は傷つけられて、なおかつ追いかけた会社は責任を認めなかったので悔しさがすごく残っていて、なかなか自尊心を取り戻すこともできないでいます。年齢も高くなっているし、ほんとに新たな居場所を探すのが厳しいので生活基盤が立て直していけるだけの補償がほしかったです。ほんとに残酷。一生懸命にやったことが、がんばったことが全て裏目に出ました。

 このまま持ち出しが続いていくのにもう精神的にも追い詰められていて、なんとかしようとしています。そうするとどうやらアルバイトでさえも直接人を雇うことが少なくなってきているし、採用代行を委ねていることも多く、いやでも二度と近寄りたくない請負会社とかに行かざるを得ません。なんだか、本当に日本株式会社はどうなってしまっているんだろう、これからどうなっていくんだろうと思います。子どもたちの笑顔を見るたびに、大きな負の財産を背負わせていくことになるのかと思うと心から心配です。書き始めると止まらなくなりますが、またおそくなってしまったので、きれいな写真を載せられないまま今日はこれでおしまいです。

昼間PCのキーボードに水をこぼしたので、たぶん基盤にしみこんでいってそろそろ本当に危ないです。