たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

12月半ばの夜に思う

2015年12月14日 23時24分10秒 | 日記
 PEIの写真と一緒に書きたいところですが時間がかかるので味気ないですが記事だけです。12月の半ばとなりました。ようやく体が動いてきた私は次回水曜にまたボランティアに行こうとしています。時間はかかりますがこうしてまた新たな人間関係をつくりあげていくものなんですね。あらためて思います。一緒に仕事をするということは、同じ職場で仕事をするということは人と人とのつながり。信頼関係があってこその仕事なのだと。机を並べているのに、同じ仕事内容なのに、雇用形態が違うために給料違う、退職金があるかないか違う、目にはみえない差別がはびこっている等からヘンなねたみやそしりが生まれる。そんな職場で本当にいい仕事をなされるはずがないのだと。そんなぎすぎすした職場で神経すり減らし続けていると働く喜びは感じられないのだと。

 もう半年ぐらい持ち出し、プラス、一昨年の所得に対する住民税の支払い16万円ぐらいまだ残っています。これからの人生の中でこの分を日本株式会社から取り返せるでしょうか。悔しさの渦の中から抜け出すにはまだまだ時間とプロセスが必要ですが、やり直せる時間はあるはずだと自分に言い聞かせます。あっちもこっちもおかしなことになっていることに気づくばかりで大丈夫だという感じはありませんが、もう少し、もう少し・・・。

 すのこベッドを捨てようとすると1万7千円かかるそうです。購入価格はたしか1万円でした。モノを買う時には捨てる時のことを考えなければいけません。捨てるための手間とお金を考えるとモノをほしいと思わなくなりました。過去に買っては捨ててきたモノたちを思い出します。あれ捨てなければ今ごろ役に立っていたかも、と思うモノもないではありませんが、その時ほしいと思って買い、その時捨てなければという思いに駆られて捨てた数々のモノたち。まあ自分がいなくなれば全部ゴミですから、自分で納得して捨てていくために断捨離を続けます。いちばん厄介な本とお別れしていくのは大変です。手間かかっても少しずつお別れ。新しいモノは買わないようにしています。モノが少ないすっきりした空間で暮らせるようになるまでにはまだまだ永遠に時間かかりそうです。永遠ともいっていられませんが・・・。

 木曜にはじめて地方裁判所で裁判を傍聴することにしました。自治体の自死わかりあいの会で知り合った方が労基署を相手に提訴された行政訴訟。連れあいだった方を亡くされ、労災認定を求めています。昨年の11月裁判を起こす話をお聞きしてから1年、イイノホールで偶然再会しました。私自身は裁判に行く前に妥協せざるを得ませんでしたが、民事裁判にちかいようなかたちで1年余り争ったことに違いはなく、争いがいかに弱者のエネルギーを消耗させるかよくわかったので応援の気持ちです。

 労働分野だけにかぎりませんが、法的に争うところまでいってしまうと法律とは、国とは、行政とはなにか、何のために、誰のためにあるのかという根源的な問いかけをしないではいられません。死別の苦しみ、悲しみだけではない、違う苦しみも体験した私になりました。死別だけの話の場でなかなか理解されず今はそういう場に行くとかえって息苦しさを感じてしまう私になりました。この私で何ができるのか、何を柱に生きていけばいいのか、できることがありそうなのに答えを見つけることができず悶々としている私がいます。

 年内になんか目途たつといいですがもう無理っぽいです。25日の高速バスを予約しました。早すぎるかな。キャンセル料が8日前からかかってくるので変更するなら明日。早く帰ってゆっくり休みたいけれど生活の基盤となるものや大事なモノは全部この部屋にあるので、それはそれで大変。全部持って移動できないので気になって仕方ないです。全部引き払うとなると万円単位でまた費用がかかってくるので簡単には決断できずずるずると先送りになります。25日にひとまず帰省するか、先延ばしにするか、明日決めることにします。弱っている時大きな決断をするものではないんですよね。ただ残高減っていくのあせってつらくなります。家賃は大きいです。なんてたって家賃がいちばん大きいです。なんかもう無理かなー。考え始めるとまた弱気になって落ち込んでいくばかりの12月半ばの夜です。