たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

年の暮

2015年12月31日 22時21分34秒 | 日記
28日に高速バスで帰省してから引きこもりの生活をしています。少し歩けば駅周辺にフランチャイズのカフェがあるという都会の生活とは違う環境で車がなければ身動きとれずです。行きたい所もないし、会いたい人もいないのでまあいいかな。弟にごはん作ってもらっています。隣の生活の音が聞こえてしまう、生活時間帯がわかってしまう狭い集合住宅の部屋からしばし解放されて、音漏れとか気にすることなく広い部屋で眠れるのが嬉しいです。(自分の部屋は無事かな。ちょっと気になります。)

 帰省してもせっせと断捨離です。捨てていくしかありません。捨てていかないと前にはすすめません。色々なモノをまだまだ捨てたくていっぱいいっぱいな感じです。クソ大会社での苦しさも忘れていきたいです。こっちから棄ててやるっていう感じです。社会の仕組みの上では会社は完全無傷、完全勝利ですがたぶんここまできたら私の方が勝ちです。私が記者会見や取材で実際のことを話し続けていることを会社が知っているのか知らないのか知りませんが、組織は生き物で人が変わっていくので結局会社にとって誰の責任でもないし、根本的な体質は変わっていかないだろうと思います。

 明日から私どうやって生きていけばいいのかわかりません。何も予定を決められないまま、何も予定のないまま、手帳を買うことができないまま、年の瀬を迎えました。4日から社会は始動するようです。保留にしていることを返事しないといけないのですが決められません。気が進まないのならやめた方がいいのか。でもそうするとまた時間かけて別の場所を探さねばならず、貯金はさらに減っていくばかりだし、望まれるところがあるのなら、とりあえずやってみた方がいいのか。ただなあ、マンションの一室で仕事するなんて狭すぎるし、私がこの一年余りで経験したことが話のでかいことなので、なんだかやはり自分がすごーくはみ出てしまっているような感じがあります。事実を黙ったまま、何事もなかったかのようにやれるのでしょうか。自信がありません。

 一年前の今頃は陳述書のドラフトを何とか書きあげて、年明けに和解できるかどうか、緊張の中で過ごしていたように思います。かつて経験したことのないことの連続でもっとずっと長い時が流れたような気がします。旅日記や美術館めぐりをなかなか書けず、まだまだ書いて吐き出してしまいたいこともありますが、夜更かしはきついので今日はこれでおしまいにします。目がさめれば明日になっているだけのことです。先のことは誰にもわかりません。一日一日を大切に生きていくこと、それしかできません。毎日新聞に掲載された若松英輔さんとライフリンクの清水さんの対談記事について書きたいですが明日以降にします。おやすみなさい。

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若松英輔 @yomutokaku · 12月26日
人生を勝ち負けで語るな。そんな世界からは悲嘆がなくならないばかりか、減ることすらないだろう。苦しまない者が苦しむ者より優れているかのように語るな。真に立ち上がることの意味を知るのは、倒れたことのある者ではないか。他者の人生を簡単に断ずるな。誰も自分以外の生を知らないのである。

『ラブ・ネバー・ダイ』_狂おしい男女の愛とオペラへの愛_扇田昭彦(2)

2015年12月31日 10時45分44秒 | ミュージカル・舞台・映画
「舞台をパリ・オペラ座からニューヨーク郊外のキッチュな遊園地コニー・アイランドに映すことによって、物語が相当輝きを失ったように思われたのだ。ロンドンの新聞の劇評も脚本の弱さを指摘する辛口の評が目立ち、公演は約半年で幕を下した。巨匠ロイド=ウエーバーの新作にしては短命に終わった公演だった。

 だが、その後、サイモン・フィリップス演出によるオーストラリア公演(2011年、メルボルン。2012年、シドニー)の評判がよく、その舞台はDVD化されて、日本でも発売された。今回の日本語版も、フィリップスなど豪州公演のスタッフを起用した舞台である。

 主要な役は実力派の俳優たちによるダブルキャスト。初日は市村正親の怪人、濱田めぐみのクリスティーヌ。鹿賀丈史の怪人を観ようと、私は3月25日夜に出かけたが、あいにく鹿賀が体調不良で休演し、市村と平原綾香(クリスティーヌ)のコンビを観た。鹿賀の怪人を観たのは、彼が復帰した28日のマチネーだった。

 物語は前作から10年後、20世紀はじめのニューヨーク。有名な歌手になったクリスティーヌは、マンハッタンのオペラ劇場に招かれ、ニューヨーク港に到着。だが、待ち受けていたのは、コニー・アイランドの経営者になった怪人だった。こうして歌姫は、夫のラウル子爵(田代万里生、橘慶太のダブルキャスト)と幼い息子グスタフとともに、見世物、サーカス、ボードピープルなどの大衆芸能の世界に導き入れられる。

『オペラ座の怪人』が典型的に示すように、ロイド=ウェー、kぁバーの音楽は、19世紀のオペラのように、過剰なまでに華麗で甘美で陶酔的な旋律で観客をとりこにする。いわば、19世紀型オペラをより大衆化したような優雅な響き。

 だが、『ラブ・ネバー・ダイ』の舞台は、アメリカの世俗的な大衆芸能の世界で、ロイド=ウェーバーのヨーロッパ風の音楽とは肌合いが違う。ロンドンの初演が成功しなかった理由の一つもそこにあり、ベテランのボブ・クローリーの、大掛かりだがやや安っぽい遊園地の装置は物語自体を寒々しいものにした。

 その点、フィリップスの演出は巧みだ。特にチェコ出身のガブリエラ・ティルzォーヴァの美術は驚くほどスケールが大きく、官能的な曲線を多用し、サーカス、見世物などの怪奇な美しさとオペラ座風の豪奢な美しさを兼ね備えた独創的な装置を作り出した。『オペラ座の怪人』の故マリア・ビヨルソンの豪奢な美術に一脈通じる美術である。」

(『ミュージカル』2014年5月-6月号より引用しています。)