たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

卒業論文要約

2015年12月20日 23時50分38秒 | 卒業論文
10年余り前に、フルタイムで二人分働きながら書いた卒業論文の要約です。
ワードファイル10頁分の長文ですが、よろしかったらお読みください。

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「私はガツガツと稼がなくてもいいんです。自分の趣味に使うお金と少し家計の足しになるぐらいのお金が稼げればそれでいいんです」。
以上の言葉は、私が働く職場にパートタイマーとして勤務していた専業主婦の女性が、勤務を開始したばかりの頃私に言ったことである。夫が生活費を稼いでくれるから私は必死に働く必要はない、家事に差支えがなく、自分の趣味の時間も確保できるようぼちぼちと働ければそれでいい、というのである。このような言葉こそ、女性の労働力率がM字型曲線を描くような働き方を女性自身が望んでいる、伝統的な性役割に埋没するという家族単位発想(夫ぐるみの思考)の罠に、また雇用制度や税制度などによって女性の労働をパート化に誘導し、日本型企業社会が安上がりでその目的を達成することができるという罠にはまり込んでいることを象徴している。
このように私自身が日常的に職業生活を送る中で日々体験することが、『女性の職業観と生活観に関する考察‐自己実現を目指して』と題する、約370頁にわたる卒業論文となった。この卒業論文は、一般職OL(契約社員、派遣社員、パートタイマーといった非正社員を含む)の視点に立って、自分自身の体験を織り交ぜつつ、あまり平等を語ることなく恵まれない労働に携わるノンエリート女性の不安やしんどさを文字にしながら、日常生活の次元で私たちがもってきた労働についての知識や考え方に疑問を投げかけて労働の真の意味を問い直し、経済的自立も含めた女性のとっての真の自立、さらには生きることの意味、幸福とはなにかについて考察を試みたものである。

「OL」といえば、結婚までの腰掛として働く職場の花、お気楽で職業意識が希薄な人々というイメージが強い。それは、女性自身の意識の変革が遅れているばかりでなく、日本型企業社会において男性が女性に期待してきた意識が女性に反映された結果に他ならない。「OL」を日本型企業社会の中で求められてきた女性と職業の関係を象徴する層として捉えることができる。女性は、人生80年の中で何が起きるかわからないという覚悟の上で最低の生活者としての経済的自立への備えが必要であるという意識をもつことを期待されてはこなかった。第一章では、先ず性別役割分業構造に基づいて女性が労働市場において差別されてきた現状を概観した。1970年代の高度経済成長に伴って女性の雇用労働者数は急増したが、それに伴い労働市場ではジェンダーに結びついた多くの格差や差別が形成された。女性に求められてきたのは、若年のうち低賃金で正社員として働き、結婚または出産を機に退職し、家事・育児に専念する。そして、子育て終了後に家計補助のため夫の扶養者とみなされる範囲でパートタイマーとして低賃金で働くというサイクルだった。このようなライフサイクルに沿った女性の労働力率は「30-34歳」を底辺とするM字型を描く。税制上専業主婦優遇策がとられていることも主婦が自らパートタイムジョブを望むという状況を促進している。それは、直接差別に代わる間接差別を、さらに「男は仕事、女は家事と仕事」という新性別役割分業を生んだ。女性は家庭と市場という二つの労働を担う存在となった。1986年の男女雇用機会均等法の施行を機に導入された「コース別人事管理制度」は、実質上男女差別を残した。日本型企業社会にとって「性」による分業が最も安定性を保ち、経済的である。総合職=男性、一般職=女性という慣行が自然に受け容れられてきた背景には、「女性は受身的であり、定型的、補助的な作業に適している」という女性一般に対する固定的な考え方がある。さらに主に女性が家庭責任を負うことが、女性を一般職に緊縛することを正当化してきた。近代産業社会では、市場の生産労働を、家庭内の労働力再生産のための労働よりも高く位置づけているため、家事・育児に専念する女性への社会的・経済的評価は低く、また労働市場へ進出しても、家庭内責任を課せられているため男性と同等の地位を獲得することは難しい。女性が家庭と仕事を切り離して考えないことを男性が求めてきた点は顧みられず、女性の職業意識が希薄なことのみを非難するという矛盾を日本型企業社会は孕んでいる。

 持てる能力を社会ではなく家庭の中で発揮するよう期待されてきた女性のライフサイクルと企業の経営方針とは密接な関わりがある。第二章では、日本的経営の成り立ちとその単位となっている「近代家族」について概観した。第二次世界大戦後、重化学工業化が進展していく過程で、日本の産業社会は、熟練の男工を企業内に定着させる必要があったことから日本的経営システムは成立した。日本型企業社会は、経営者と労働者との社会関係が構造的には温情主義的・ゲマインシャフト的な感情的相互融合を持つ。日本型労使関係の三本柱といわれる「終身雇用制」「年功序列賃金」「企業内組合」は、いずれも労使関係の甘えの上に成り立っており、一見自主的に見えるが実は半ば強制的に長時間労働を行う男性の「会社人間」を作り上げた。一方、女性の雇用は若年短期勤続が制度化されていった。日本型雇用慣行成立の過程は、性別役割分業成立の過程でもあった。家族単位発想を基礎に、生活給の発想で賃金や社会保障制度、福利厚生が考えられてきた。性役割を固定化することによって、「個」よりも集団を優先する会社本位主義的な日本型企業社会は成り立ってきた。企業という枠に縛られている男性正社員は厳密には「就職」したのではなく「就社」したと言える。家族ぐるみで企業に雇われ、世帯主である男性が安定した収入を得られることで近代家族は経済的安定の保障を得てきた。マルクス主義フェミニズムによれば近代家族は、種と労働力の再生産をめぐり家父長制的関係が維持されている制度であり、近代の結婚と家族は女性にとって抑圧として機能している。主婦は「女らしさ」のイデオロギーと近代家族による女性の抑圧を象徴する存在だと言える。しかし、仕事をしなくてもよい専業主婦への憧れは女性の間で依然根強い。労働市場におけるジェンダーシステムには女性自身の性別職務分離の内面化(考え方の受容)という側面があると考えられる。男性のように時間とエネルギーを全て仕事に注ぐことはできないと考える、仕事に「後ろ向き」な女性たちは、ジェンダーシステムを受け入れ、「女性の役割」を引き受けてしまった方が精神衛生上よいと考える。そうすれば職場でも家庭でも「性別役割分業の上に立つそれなりの共生」が生まれる。その「共生」が続くなかで多くの女性はジェンダーの論理と現実に対する「妥協」あるいは欲求を調節した上での「納得」に至る。近年は、「男は仕事と家庭、女は家庭と趣味」という「新・新性別役割分業意識」が登場している。未婚女性の多くが望む結婚とは、経済的には夫に頼り、家事・育児を手伝ってもらいながら、そのかたわら「趣味に生きる」ことだ。結婚は、今も女性の多くにとって、男性中心の企業社会での雇用労働という労苦から逃れるための方法であり、生活基盤を他人に依存しようとするものとしてある。小倉千加子が「新・専業主婦志向」と名づけた近年の傾向は、伝統的な性別役割分業論が女性にとって「楽で得」になるように読み替えられたものである。そのような「被差別者の自由」を享受する女性労働者が最も多い層として一般職OLを捉えることができる。

女性労働者が現在置かれている状況をさらに理解するために、第三章では、法の制定を軸に女性雇用労働者と企業との関係の歴史的変化の流れを概観した。女性の賃労働者化が本格的に始まったのは、日本に資本主義が確立していった明治期である。紡織産業に従事する若年未婚の女工たちの労務管理は、低賃金と劣悪な労働条件を特質としたが、女工たちは組織立って抵抗し改善していく術は持たなかった。戦時体制を経て、敗戦後、アメリカの占領政策の下で進められた民主的改革によって、男女平等と女性の人権尊重が憲法で宣言され、女性は労働権、参政権、学習権、労働組合加入の権利などが保障された。1947年施行の労働基準法は、女性労働者の地位と待遇を大きく前進させた。男女同一労働同一賃金の原則が世界で初めて規定された点で画期的なものであった。しかし、現実には性別職務分離が存在し、男女の賃金格差の是正は他の先進諸国に比べて遅い。その理由として、労働基準法の中で女性労働者を男性とは異なる「性」として保護する女子保護規定(女性の時間外・休日労働制限及び深夜業の禁止、生理休暇等を柱とする)が織り込まれたことが考えられる。やがて、アメリカの対日政策が経済発展を優先させるものへと転換し、日本は高度経済成長期を迎える。この時期に主婦の賃労働者化が顕著となる。企業の女性労働対策は、若年未婚労働者に対する定着阻止策と中高年「専業主婦」労働者の吸引対策とがセットになった形でとられた。女性労働力供給源は、1960年代半ばまでは新規学卒者の若年層が中心だったが、70年代以降主婦のパート雇用労働者が急増する。若年労働職の不足を補う単純労働要員として労働市場に参入した「専業主婦」は、不況になれば解雇され家庭に戻っていくので失業者として労働市場に滞留することがない。正社員との差が時間の長短だけではない「専業主婦」のパートタイムジョブは、日本の女性労働の特殊性を集中的に含みもっていると言える。国際的には、75年の国際婦人年を機に「職業と家庭」は男女共通の問題であるという新たな男女平等理念が生まれた。79年に国連で採択された「女子差別撤廃条約」では、女性のみが生殖機能を持つことが女性に対する差別につながっているが、家族的責任も生殖機能を含む健康も男女共通の保護が必要であるという考え方に基づいて、母性と男女共に健康が損なわれることのない労働条件の確保を締約国に義務づけた。これに批准するために、日本でも86年に「男女雇用機会均等法」が施行された。均等は日本で始めて網羅的に雇用の男女差別を禁止する法律としての意義はもつが、効力が弱く、「保護抜き平等」で、さらには家族的責任と職業の調和を女性だけの課題と捉えた点で、国際的な動向からはかけ離れたものだった。雇用の男女平等思想が定着していなかった日本では、従来の壮年の男性中心の企業体系を変えずに女性を取り込むため、多くの企業で「コース別人事管理制度」が取り入れられた。性別による振り分けに変わって、社員を幹部候補の「総合職」と補助業務の「一般職」とに振り分け、男性と同じ管理職候補になり得る「資格」を持つ少数の女性を「総合職」として取り込もうとした。大多数の女性は低賃金で昇進もない「一般職」に振り分けられたのだから、この制度は間接差別に当たると考えられるが、99年の改正均等法指針でも、間接差別に関する規定は設けられなかった。改正均等法は、「女性のみ」の取り扱いは禁止されたが男女共に適用されるという枠組みには至っていない。均等法施行以後、一部に管理職や高度な専門職への女性の進出を伴いつつも大勢としては、女性労働者は二極化している。正規従業員としてキャリア展開を目指すか、生活の基盤は夫に依存する結婚・出産による中断再就職コースである。およそ8割を占める後者の女性たちの再就職後の就労形態は低賃金で自立には程遠い。女性のライフサイクルの変化に伴う就労形態の変化を、「安く」「簡単に使い捨てる」ことで日本型企業社会は巧みに利用し続けている。全ての人が職業生活と家庭生活を調和させ、人間らしく生きていくことができる社会の実現にはまだ程遠い。

男性が男性というだけで幹部候補生として企業に迎えられるのに対して、中核労働者として期待される女性は一部の高学歴や専門資格を持つものだけである。およそ8割を占めるノンエリートの女性たちは、性差別を主体的に受け入れ、会社に全身をのめりこませることのない「被差別者の自由」を享受している。第四章では、女性自身の「被差別者の自由」の享受、ジェンダーシステムの内面化の問題を中心にOLという存在について検討した。一般的にOLといえば、事務従事者であり、高い専門性を必要としない、誰でもできる単純作業を行っている、というイメージである。いつでも取替えがきき、「個」としての異質性は認められにくい。働く女性といえば特別なキャリアをもつ女性ばかりが注目されがちである。基幹的作業を担う男性の補助をするOLに求められる様々な心の調整、一つの事と一つの事との間に横たわる言葉では言い表しにくい精神労働の部分は、評価の対象にもならない。OLが日常的に行っている様々な「職場の家事」は市場価値が低い。受身的である故に「女性に適している」と男性は考え、仕事以外のことを全て主婦という押入れに放り投げるように、本務以外の雑用をOLに放り投げる。企業社会を体現する男性にとって、OLは何の抵抗もなく誰かがやらなければならない雑用を引き受けてくれる存在なのだ。個人の能力に関係なく、OLに求められているのは、笑顔で「女房的役割」をこなすことであり、自己管理権・自己決定権も与えられていない。日本型企業社会の中では、OLを年齢に関係なく「女の子」と呼ぶ。十把ひとからげの「女の子」扱いは、単純事務作業を担う女性を男性に比して二流の労働力とみなしていることを示している。さらには、OLの仕事は、年を経るごとに身につけることができる様々なスキルや経験が意味を持たない。作業が単純であればあるほど、若さに比重が置かれる。近年のように、就労形態の非正社員化が進み、派遣社員という働き方が激増する今日的状況の中では、OLはますます職場における発言権をもつことができないまま、鬱積した気持ちを抑えて働き続けなければならない。切れ切れで細々とした「職場の家事」に意味づけをもたせるとしたら、主婦の家事労働と同様、「対人的」なものである。感謝や文句など周りの人の主観的反応が重要になってくる。他人のためにやってあげたい、喜んでもらいたい、といった情緒的動機付けに、OLは自らの仕事の意味を見出そうとする。また自ら「女らしさ」を再確認しようとして「女らしさ」を活かした職務配置を正当化してしまうという面がある。こうした職業活動の中では、社会の中で積極的に意味のあることを自分のため、世の中のためにやっているのだという働く人間としての実感と納得が得られにくい。OLの職業意識が希薄だとすれば、それは女性という性によるものではなく、男性が女性という性に求めてきた役割の結果である。基幹的役割を期待されていないことに適応していく形で、男性のように会社丸抱えの働き方はしたくない、昇進なんてお断り、育児やボランティア活動、旅行や余暇のゆとりを持ちたいと考え、積極的に一般職を選択する。男性と同様の権利が保証されない現状では男性と同様の義務を負うことを放棄することによって、全身を会社にのめりこませなくてもよい一定の自由を享受する。いざとなれば極端な行動をとることができる。さらには、「被差別者の自由」の感覚に基づいて近年需要が高まっている派遣社員や契約社員を女性たちは主体的に選択している。その結果、経営者の期待通り、従来の「女の仕事・女の役割」にうずくまることになる。日本型企業社会が求める女性の役割に主体的に応じることにより、性差別は正当化され、差別とは意識されなくなり、維持され再生産される。OLが「被差別者の自由」を享受できる背景には、親と同居している女性が多いことを見逃してはならない。基本的生活条件を、独身のうちは親に依存し結婚後は夫に依存することができる女性は、自身の生計のために仕事をする必要がないのでいざとなればやめればいいやと考えることができる。依存主義は、女性自身が「世帯主」モデルに埋没した結果であり、日本型企業社会が持ち続けている雇用慣行はOLの自立を阻むものではあっても、自立を促すものではない。

しかし、近年OLを取り巻く環境は多様化し、男性と違っていろいろな選択肢が用意されている。そのため、かえって生き方について悩む率が高い。第五章では、先のプログラムを描くことが困難な女性の方が早くから年齢との葛藤を経験する様子を概観した。1980年代を境に女性の生き方は大きく変化してきた。性役割だけでは説明し切れない様々な選択肢があり、とりわけ職業との関係は重要である。仕事と私生活とが不可分の関係にある女性は、私生活の事情次第で働き方が異なり、性別役割分業に対する考え方も一様ではない。平均25歳を境に結婚・転職が増え、女性の生き方は様々に分化していく。そして、35歳頃には人生の転機を迎える。「このままでいいのか」という思いに女性の心は揺れ動くのだ。
女性にとって結婚は生まれ変わることのできる最大のチャンスである。仕事に対してビジョンや目的があるわけでもなく、どこかの一般企業に入りとりあえずOLしている女性ほど、結婚神話に魅せられやすい。結婚後の人生こそ本番であると考える。女性は結婚によって仕事という労苦から逃れることができ、また自分の力では得られなかったものを一瞬にして得ることもできる。
また、近年は晩婚化の進行と共に、より多くの女性が結婚退職ではなく、OLを辞めて新しい職業に就くようになった。20代後半の女性の失業率は高い。補助的・定型的な仕事に緊縛されている女性は、やりがいのある仕事を求めて転職へと促される。80年の「とらばーゆ」の創刊、86年の人材派遣業の誕生が女性の転職を容易にした。男性中心の企業社会は、女性を「自己実現」という袋小路に追い込む。女性の方が「自分探し」へと駆り立てられる。「今ここにいるのは本当の自分ではない」という意識をOLは持つ。それは、今の自分の存在がひどく頼りなく感じられる時、別のところへいけばもっと違った自分になれる、ここでは不可能な自分に出会えるという幻想を追いかける、「こうすれば自分はもっと自分らしくなれるんじゃないか」という、自分を常に未来の「自己」に至る途上にあるものとして意識する。この青い鳥幻想が、現代では「自分らしさ」「本当の自分」、あるいは「個性的なライフスタイル」などといった標語となって、華やかなコマーシャリズムの世界から私たちの不安な心に語りかけてくる。こうした標語に惑わされ、OLは「自分探し」へと駆り立てられるのである。
若年層が働く時に「自己実現」を求めるという近年の動向を考える時、基本的生活基盤を他人に依存しているか、自分を食わせるために働かなければならないかによって労働観は大きく異なってくる。経済的に行き詰まってどうしても働かなければならない状況に追い込まれた時に、「自己実現」することと生活のためにしなければならないこととのバランスをどうとるかということは大きな課題である。夫あるいは親によって経済的安定を得た上での「自分さがし」、仕事に自己実現を求めることは、労働が「趣味化」していることを意味する、という指摘がある。お金のためではなく、「自分の好きな仕事」にこだわるというのは、一見いいことのように思われるが、「やりがいがある仕事」とは実は「他人から良く思われる仕事」であり、生活のために働く必要がないから、嫌な仕事は避けて、自分が気に入ってプライドの持てる仕事ならやるというのは、労働の「趣味化」であり、豊かな生活を他人に保障してもらった上での労働観であるというのである。労働の結果が他者から「格が高い」と評価されることによって自己評価が充足される。OLの「被差別者の自由」の享受、趣味的な仕事に自己実現を求める「新・専業主婦志向」の労働観とも絡んでくる問題である。経済的には自立していない専業主婦の「自分探し」が精神的自立に結びつくものかどうかは今後の課題としたい。

第六章では、働くことの意味を中心に、OLを取り巻く現代社会の様相を概観した。先ず現代社会では、人生がまっすぐな線のようにイメージされ、現在が別の時間のためにあるという「前のめり」の時間意識が、人々の生活意識に深く浸透している。私たちが営む日常生活において、私たちは他者との関りを通して己を形成してゆく。私たちは行動の主体であり、かけがえのない一人の人間として、各々固有の生活史を持つ。だが、「官僚制」が組織原則として採用され様々な組織が高度に相互連関してシステムをなしている今日では、私たちは官僚制の機械の歯車となりやすく、固有の性格が見失われやすい。血縁や地縁から解き放たれた私たちは、直接的な人間的生活が失われているため孤独感、無力感がますます強くなってきている。OLに対して優位な立場にあるはずの男性ホワイトカラー労働者も、自らはそれを支配できない機械の一片の歯車に過ぎないという点ではOLと同様である。形式合理性が追求されればされるほど人間存在にとって不可欠な実質的な意味や価値が剥奪されていく「意味喪失」という事態は、労働においても起きている。「生きがい」が論じられるとき、その中核をなすのは「働きがい」である。労働の意味を問うことは生そのものの意味を問うことになる。日本の男性ホワイトカラー労働者は、労働そのものに意味を見出すのではなく、自分の人生を全て企業に賭けることによってそこに「生きがい」を見出すのが典型的な姿であった。その「生きがい」は物質的な豊かさを得ることで裏付けられてきた。彼らは、組織への帰属意識が強く、集団の倫理に重きを置くため、画一化・規格化しやすい。組織の中で個人たることは容易なことではない。高度に細分化された組織の中では、自分の仕事が全体の中でどの位置にあるのかを知らなくてもすむため、労働者は自分の仕事から意味を引き出すことが困難である。このような場合労働は手段であってそれ自体が目的ではなくなる。ルネサンス的な労働概念から遠ざかった労働は、組織の中で働く人々に疎外感をもたらす。今日、労働の喜びであり本質であったものが労働以外のものに求められるようになった。仕事=労苦の対極にあるものとして、余暇は位置づけられ、独自の意味を持つ。公的生活と私的生活の両極化が見られるが、二つのバランスをどうとっていくかということは今日的な課題である。組織の中で働くことの意味を結論づけることは困難だが、企業という現代社会のゆがみと矛盾が集中的に表現された場で働き日常的に様々な葛藤を経験することは、絶えず変化し続ける自己を確認する場である、ということがひとつには言えるだろう。意識面で労働に向き合うとき、私たちは日々変化する自己と向き合うことができるのだ。

最終章では、自分で意志決定すること、能動的に生きることの重要性が今日増していること、を述べた。近年は、家族の個人化が進み、女性にとってもはや家族は運命共同体ではなくなってきている。男女共に多様な就業形態と職業移動に柔軟に対応していくことが求められている。男女共に「個」として生きることが求められていること。これまでの社会は、男女共に社会的心理的圧力があるため、旧来の男女の職域を超えにくく、個人の潜在的能力の発揮が妨げられてきた。今後、全ての人が職業生活と家庭生活を調和させ、平等で人間らしく生きていくことができる社会の実現に向けて、減少しつつある扶養する夫と扶養される妻という「伝統的世帯」を標準モデルとした税や社会保障制度の改革は必須である。「世帯主」「主たる家計の維持者」という概念そのものが、労働力の女性化が進む社会の流れに合わなくなってきている。ここで、先ず重要なのは女性自身の主体的意識である。女性自身が世帯主を中心とした標準モデルに埋没しているかぎり、個人として生涯を自立して行く方向は見えてこない。自立するということは、結婚している、していない、子供がいる、いない、という問題ではない。自分にとって何が必要か、何が大切かをきちんと見極め選び取っていけること、壁にぶち当たったとき、自分の力で考え解決していける力をもっていることを意味する。変化の激しい現代社会の中では状況に応じて自分を変えていく必要がある。自分の力で問題を乗り越えていく力をもつことは現代社会に生きていくうえで非常に重要なことだ。そのような力を身につけることができるような教育が必要である。
「シングル」とは非婚を意味するのではなく、一人の人間として、「個」としての意識が確立していることを意味する。私たちは、性役割を担う前に、一人の人間として自らの人生に責任をもって生きていかなければならない。女性自身も、「個」として自分の人生は自分で選び取っていく、という意識をもつことだ。自分に忠実であれば、挫折も自分が成長し次の段階へ進むきっかけにすることができる。

書かずにはいられず

2015年12月20日 00時06分30秒 | 日記
 今日は病院の家族会に参加させていただきました。連絡に行き違いがあったようで御家族はお二人で、愚痴のこぼしあいのようなざっくばらんな会でした。私はずっと聴いているだけで最後に順番に一人ずつ話す時に母のことを話させていただきました。自死遺族の会などでもなんどか話してきていることで、はじめて話すわけではなかったのですがやはりエネルギーを使ったし気持ちも高ぶったようです。日頃ぼんやりとオブラートに包んでいることを鮮明に思い出すことになるので苦しさもまた蘇ってきます。母がすごい嫌いでこんな人から生まれてきた自分が嫌で嫌でたまらなかった私がいたことを思い出しました。いろいろなお話を聴かせていただいたこともあって、頭が疲れたことを感じます。書き始めればまた切りがなくなってしまうのでこれぐらいにします。

 新しく出会っていく方々のお名前と顔を少しずつおぼえていくためには、大会社で苦労と共にした人たちの顔と名前を忘れていかなければなりません。忘れていかないと新しくはいっていきません。挨拶ができておらず、体にしみついた社員一人一人の社員番号もまだ思い出すことができてしまいます。社員番号がそのままメールアドレスになっていて、膨大な量のメールを書いていたし色々な手続きも何年にもわたって一人でやっていたのでいつの間にか体に染みついてしまいました。それらを忘れていかなければなりません。こうやって少しずつ、ようやく今までとは全く違う世界へと踏み出し始めたということでしょうか。

 『スクルージ』の記事を探していたら時間が過ぎてしまいました。記事は以前書いたものの非公開にしていたことをようやく思い出すことができました。いい加減夜更かしにピリオドを打たないといけないのですがなかなかできません。やたらと喉も渇き、まだまだ安定しない自分を感じています。それでもここまで回復してくることができました。自分のレジリエンスを信じたいと思います。モネ展のことなど明日は書ければいいなと思います。おやすみなさい。