たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

つぶやかずにいられなくって・・・

2015年12月08日 17時15分00秒 | 日記
 『エリザベート』の舞台で、ルドルフは「もう生きるあてもない」とつぶやいて自ら引き金をひきます。父親と対立し、母親から見捨てられ行き場のなくなったルドルフ。

 妹の日記や手紙を読むと、社会から孤立し誰にも必要とされない孤独の闇の中で追い詰められていった様子がうかがえます。

 私は今誰からも必要とされず、社会から見捨てられた感でいっぱいになっています。昨日焦りからつまらない、ヘドが出そうな場所に行ってしまったがためにまたすっかり気力が失せてしまいました。どこにいっても、どこまでいってもちぐはぐで違う場所ばっかりです。争いになって会社側の弁護士に人としての尊厳を深く傷つけられた痛手から立ち直っていくには、次に必要とされる場所と出会い、また元気に仕事をしていけるようになることしかないと思いますが、それがかないません。13年間一生懸命働いたけれど、正規雇用ではなかったがために、実績として評価されるものはなにも残りませんでした。ただ実利も何も残りませんでした。ただ虚しさと悲しさだけが残りました。本当は弁護士に否定されたのは私の全人格ではないことを頭ではわかっています。会社で働いたという私の一部分に過ぎません。でもこうして社会から見捨てられた感でいっぱいになっている時、冷静にそう考えることはなかなか難しいです。

「師走、忘年会、クリスマス、大掃除、仕事も年末になって忙しい、みんな忙しい、忙しい・・・」インターネットラジオのDJさえそう繰り返しています。どこのお店にいっても空虚なほどにクリスマスソングが流れています。そんな社会から取り残されている孤独をどれだけ
言葉にしても足りません。 

「あなたは一人だからいいわよ。わたしなんて子供抱えて大変だったんだから」。そう言われてしまえば確かにそのとおりです。私が今死んでも誰にも気づかれないし、困る人もいません。誰も私の力を必要としていません。最寄駅のホームに平日の昼間と休日は停車しない特急電車がスピードを落とさないまま入ってくる時、ここに飛び込んだら楽になれるんだろうな、そう思ってふっと人は誘われてしまうんだろうな、と思っている私がいます。今に始まったことではありません。気がついたら争いになってしまい、悪名高い弁護士が登場すると負けまいとして体中のエネルギーを振り絞ってふんばるしかなくなった時から、もうわけがわからなくなり、ふっとそう思う瞬間は繰り返し私に訪れています。春からは収入が途絶えたまま続いている社会からの孤立。あれほど猛烈に働いていたのに、どこに行っても使いものにならない
人になってしまいました。自信喪失から立ち直っていくことができません。人は大丈夫だといってくれますが、社会の仕組みがどんどん悪くなっていることを体感させられるばかりなので大丈夫ではありません。私もともと大きな声を出せない人ですが、たぶんもうエネルギー^を消耗し尽くしているのでいっそう声が小さくなっていて、ささやくようにしか話すことができません。「声が小さい」とはっきり注意されたりしてしまいます。でも全身のエネルギーを振り絞って声をあげ続けてきたので、もう声を出すことができません。社会に向かって声をあげていくにはものすごいエネルギーが必要です。それがどれほど大変なことか、経験者でないと理解されづらいことだと思います。エネルギー涸渇しました。何を目指して自分は今いきているのかわからなくなりました。シシィが唄うように、誰でもなく自分のために生きていけばいいのだと思いますが、誰にも必要とされていないのはすごく辛いです。これだけがんばってきているのに、まだ足りないからオマエはダメなんだと社会から言われても、これ以上何をどうすればいいのか、どこに向かって進めばいいのかわかりません。こんな私ではどこに行っても何をしても空回りするだけでどうしようもないですね。人が「忙しい、忙しい」って言うのを聞くのがすごく辛いです。

 今マンションの外階段の塗り替えをやっています。塗料の強烈な匂いにどうにかなりそうでうが、それ以上に職人たちの話し声と部屋にいる様子をさぐられるのに耐えられません。端っこの部屋なので、うすい据え付けのカーテンでは外から見えちゃいます。洗濯物をいっぱいかけて見られないようにしていますが、疲れ果てている私にはこんなことさえ苦痛に感じられてどうしようもありません。辛いっす。自分にどんな言葉をかけてあげればいいのか、もうわかりません。どうしようもなくやり場のない12月の夕暮れどきです。今日は火曜日。一円も稼ぐことのできないまま今週もすぎていきそうです。ヘドがでそうな奴にさえ足元みられて耐え難いものがあります。基本的生活を背負っているのでどうしても弱いです。悔しくってなりません。

 つぶやきのつもりが長くなってしまいました。こんな落ち込みを読んでくださった方、ありがとうございました。これでおしまいです。

またもや

2015年12月08日 11時01分02秒 | 日記
自信を取り戻していくための一歩を踏み出そうとしてまたもや場違いな所にいってしまいました。そしてまたもや自信を失うことになりました。時間と電車賃を無駄に使っただけでした。これって全部自己責任なのでしょうか。

詳しいことご興味あればこちらをご覧ください。

http://blog.goo.ne.jp/aozoratomidori/e/7453a62517448b6f3de8559a1c2b9eef

何をやってもダメですね、わたし。どこにも救いがありません。

社会から必要とされていない孤独感、どうしようもなく辛いです。
人としての尊厳を打ち砕かれ、自信を失ったまま、クリスマスも年賀状も関係ありません。
どうでもいいです。忘年会は働いていた時からほとんど縁がありませんでした。

家に帰るなら大きな荷物を全部捨てていかなければなりません。
冷蔵庫、洗濯機、食器棚、すのこベット、テーブル。
自分の生活を創り上げていくために苦労に苦労を重ねて稼いだお金で買ったものたち。
昨夜部屋の中を見回してそう考え始めたら、それも辛くって涙が出そうになりました。
でも生活基盤を立て直すことは難しいので決断しなければなりません。

なぜ一生懸命働いてきた私がこうやって不利益を被るのかわかりません。
納得できません。
人が大切にされない社会へと日本はさらにむかっています。
派遣会社とか人材サービス業者とかにいやでもあたってしまいます。
ほんとにダメですね。どうなっていくんでしょうか。
希望がみえてきません。何の補償もないまま精神的に追い詰められてきています。
一応書類を送ったりとしかしますが、追い詰められ感の中で気力はもう持ちません。
自分がダメ人間だと烙印をおされたままのような気がして、本当はそうじゃないのですが、
そんなふうに思ってしまってどうしようもない私がいます。
もう救いがどこにないようなきがしてしまって、辛いばかりです。
今日はどんよりとした空の色。
いちだんと気持ちがしずんでいます。