時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

60歳以上の常用雇用者は急激に増加

2008年10月09日 | 経済問題
厚生労働省が、2008年の高年齢者雇用状況(従業員51人以上の企業約9万4000社、6月1日現在)を発表した。それによると、60~64歳の常用労働者は約129万人で、定年後雇用を企業に義務付けた改正高年齢者雇用安定法施行前に調査した2005年より64%も増えたという。65歳以上も約49万人と84%も増加しており、高年齢者雇用は急速に進んでいるとしている。
しかし、その理由は何だろうか。
単純なことだ。
その多くは、「働かなければ生活できないから」にすぎない。何と空しい人生ではなかろうか。
編集長が就職した時、定年は55歳で、年金の支給開始は60歳からだった。
それがしばらくして、定年が60歳に延長になり、退職から年金支給開始までの5年間の空白期間がなくなって良かったと思っていたら、しばらくして、年金支給開始が65歳からになった。
寿命が延びたから、もっと働けといわんばかりである。
確かに、寿命が伸びることによって、高齢者特有の医療や介護の問題にお金がかかるようになるのは当たり前である。しかし、この20年、30年の科学技術の進歩により、生産性は大幅に向上しており、少なくとも、高齢化によって新たに発生する社会的諸経費は十分に賄えるはずである。ところが、生産性の向上によって蓄えられたお金の使い道がそのようになっていないことに問題がある。
生産性が向上すれば、一般には国民生活には次のようなことが期待できるはずである。
たとえば、労働時間の短縮、労働年数の短縮、賃金の上昇、年金額の増加、教育・福祉の向上、生活レベルの向上などである。
ところが、現実の社会において、これらは一向に改善されていない。改善どころか、悪くなっていることの方が多い。それらは統計的にも明らかになっており、読者諸兄の実感としてもそうであろう。
確かに、医療が発達し、寿命は延び、生活は便利になっているが、生産性の向上の程度と比較して、格別に豊かな暮らしが送れるようになったとは思われない。相変わらずのウサギ小屋に、ちょっと上等な電化製品が増えただけだ。
生産性の向上によってもたらされた果実が、社会の[どこか]に偏在しており、それが「格差」と呼ばれる形で現れている。
編集長が生きてきた時代は、まだ、生産性の向上が賃金の上昇として実感できた時代を含んでいたが、これからの若い世代は、そういう果実を味わうことなく、60歳を過ぎてもなお多くの人たちが「ただ生命を維持するため」だけに、働き続けなければならない時代になっている。
大変哀しく、一方で憤りすら感じるが、今回の厚生労働省の調査は、そのことを端的に物語っているのではなかろうか。