サブタイトルが「1日5000通メールを処理する私のデジタル仕事術」。一日、ゴッ、5000ツウ? 50通じゃないの?と思ったりするが、本当に5000通のようだ。といってもそのうちの1000~2000通がウイルスメールや迷惑メールらしい。あと、メルマガやメーリングリストで届くメールを自社の「Eudora」でフィルタリングする。こういうさりげないCMも入れ込んでいる本である。それから残るのは1000通あまりのメールだが、これはライブドアの社内日報メールがほとんどのようだ。ライブドアでは日報メールがみんなに義務づけられていて、Webで入力できるらしい。社長のところには毎日1000人分の日報メールが届くのだ。でも全部読むわけではなく、気になるプロジェクトなどをチェックするという。それでもたいへんなものだ。中間管理職をすっ飛ばして、社長が社員を管理するのはなんともITベンチャーらしい。
ソニーのカセットレコーダーSONY DPC TCM-AP10を2台もっているのだが、2台とも動かなくなってしまった。上新電機に持っていったら、最低1台5,500円の修理費用がかかるという。同じ機種はもう生産していないが、似たような性能の機種は18,000円くらいする。今時カセットテープの再生機にこだわる必要などないかもしれない。しかし、このアナログ機械のよいところはテープを2倍速で音が飛ばずに聴くことができるのだ。MDなどのデジタル機械では早送りすると音が飛んでしまって、話の内容がわからなくなる。このアナログ機械は法律関係の国家試験などの講義を聴くには時間節約にとても重宝するのである。デジタル機械も音が飛ばずに倍速で聴ける技術を早く開発してもらいたい。結局、修理してもらうことにしたが、こういうユーザーはどんどん減っているのだろう。そのうちソニーもこの種の機械は生産しなくなるのだろう。
アナログ中年のデジタルな日々
アナログ中年のデジタルな日々
今ではインターネットを通じてUSATODAYやCNNのサイトでアメリカのニュースが無料で手軽に読める。20年前なら英語のニュースを家で読もうと思えばNewsweekやTIMEを年間購読するか比較的安い英字新聞のDaily Yomiuriを購読するかしかなかった。けれど今英語を勉強するためにCNNなどのサイトを毎日欠かさず見ているという人はどれくらいいるだろうか。おそらくマニアックな学習者以外はいないのではないだろうか。便利なものに囲まれていても使い方がわからないとか、そこまでして使うにはよけい面倒だと思うのではないだろうか。ビル・ゲイツが胸ポケットに入る大きさのコンピュータというコンセプトで進めたハンドヘルドPCも同じなのかもしれない。使い方がわからない人が多いのと、使うのが面倒くさいのではないだろうか。一時はカシオが長年商標登録していて使われていなかった「カシオペア」を満を持してハンドヘルドPCの名称に使ったにも関わらず、現在は撤退の道を歩んでいる。そのわりにあんなにメールを打ちにくい携帯電話が流行るのはどういうことだろうか。携帯電話がカチャっとはめられるハンドヘルドPCができればまた息を吹き返すのだろうか。
映画『ビューティフル・マインド』でラッセル・クロウが演じるノーベル賞受賞者のジョン・ナッシュは統合失調症だった。大学院時代から存在しない人間の幻覚に悩まされていた。入院も経験したが、妻の愛情のや友人のおかげもあって教壇に復帰する。ノーベル賞を受賞した時も幻覚は消えていなかった。「あの幻覚はもう消えないだろう。だが、幻覚を無視すれば、向こうもそのうちあきらめてくれる。そうやって生きていくさ」とジョン・ナッシュはいう。ルームメイトの親友が実は幻覚だったり、政府から来たというスパイの上官が幻覚だったりということはジョン・ナッシュにしかないことだろうが、われわれもときには幻覚と現実の間に生きている。醜い現実を美しい幻覚が助けてくれることもある。薬物使用ではなく。
家のLAN配線のポートの一つから無線LANでモバイルギアにつないでみた。WindowsCEとの接続はあまり速い速度ではつなぐことができないようだが、BUFFALOの無線LANCFタイプカードAirStationの11Mbpsでも十分速い。これで家のどこからでもハンドヘルドPCでインターネットにつなぐことができる。常時接続なので課金を気にしないでもよいのとこの速さが優れている。この投稿もハンドヘルドPCからのものだ。もうすぐこれが家の外でも体験できるようになるのだろう。
村上春樹の『アフターダーク』のなかでコオロギが主人公のマリに言うセリフ。「人間ゆうのは、記憶を燃料にして生きていくものなんやないかな。その記憶が現実的に大事なもんかどうなかんて、生命の維持にとっては別にどうでもいいことみたい。ただの燃料やねん。・・(略)・・・・大事な記憶も、それほど大事やない記憶も、ぜんぜん役に立たんような記憶も、みんな分け隔てなくただの燃料」。それからマリは眠り続ける姉エリの昔の記憶を思い出していく。なんだかよくわからない小説だったが、このフレーズだけが記憶に残っている。