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山口 智司『革命家100の言葉』彩図社

2015-01-12 22:18:45 | 教養・時事

3年前にコンビニで売っていたので思わず買った本。
ラインナップがなかなかおもしろい。
キング牧師、板垣退助、チェ・ゲバラ、吉田松陰などはわかるが、松下幸之助や本田宗一郎まである。
ある意味、革命家と言えば革命家なんだろうけど。

「生死は度外に措くきて唯だ言ふべきを言ふのみ」(吉田松陰)
「成せばなる」(上杉鷹山)

いい言葉もあるが、その人の人生、行動哲学、言葉が発せられた状況から切り離された言葉にどれほどの意味があるのか疑問ではある。
でもまあ、読むだけで元気になる言葉もある。

表紙がゲバラでかっこいい。

立花隆、佐藤優『ぼくらの頭脳の鍛え方』文春新書

2009-12-30 23:08:52 | 教養・時事
 佐藤氏は教養についてこう言っている。
 「教養は<知>の世界に入るための入場券だと思います。・・・北朝鮮で<全人民の教養><全人民のインテリ化>といったスローガンがありますが、北朝鮮の教養と言ったら、要するにチュチェ思想の体系的な知識のことです。その社会で生き残っていくための基本的な<知>が教養なんだとわかった。」
 教養をその社会の上部層がもつ高級な知識のように捉えられる風潮もある。けれどそれは上層部に属する人間が上層部で生き残るために必要な「知」なのである。それぞれの社会に「教養」があり、その社会のなかでも階層によりその内容は違う。教養をある集団におけるサバイバルのための知識ととらえると、「教養の低下」だとか「現代の教養を疑う」などという批判がくっきりした輪郭をもった問題として見えてくる。どの集団の「知」を基準にして語るのかが大事なのだ。

 この本のサブタイトルは「必読の教養書400冊」となっている。しかしここいう「教養」は、あくまで立花氏や佐藤氏にとっての教養だ。政治から科学まで幅広いジャンルの第一線ジャーナリストとしてサバイバルするための「教養」であり、また外交のインテリジェンスの世界でスパイのようにサバイバルするために必要な「教養」なのである。
 ここで語られる本のジャンルの広さには驚くが、リストをよく見ると佐藤氏の本は外交上のものが多く、立花氏のものは記録ものが多いという傾向も読み取れる。紹介されている本は、DNA発見者のトーマス・ワトソンからユング、ヒトラー、ヘロドトス、ヴィトゲンシュタイン、レーニン、ハイエクから西郷隆盛、カフカから近松門左衛門まで幅広い。それだけでなく、スパイ小説で世界のダークサイドを知れ、という教養主義に対する忠告もある。
 この本のリストだけでも、立花隆が「知の巨人」と呼ばれ、佐藤優氏が「知の怪物」と呼ばれる理由がよくわかる。
 「古典の読み方、仕事術から、インテリジェンス、戦争論まで21世紀の知性の磨き方を徹底指南」という本の帯のコピーはこの本の特徴をホントに言い当てている。

 佐藤氏はスパイ容疑で逮捕されたとき、ソ連の粛正の記録である『夫ブハーリンの思い出』や『山椒魚戦争』などのSF小説を読んでいたことが、自白から逃れるのに役立ったという。危険な外交官としてソ連崩壊の人間模様を見た体験と日頃からの読書体験が獄中で自白の誘惑から救ったというのだ。この人にとっての教養は本当にサバイバルのための「知」である。

 教養は自分が属したいと思う集団で生き残るための知識である。自分がどの集団(国家、組織、階層など)に属したいのかという問題こそ重要なのだ。

青木保『多文化世界 』岩波新書

2008-08-15 17:14:39 | 教養・時事
著名な文化人類学者である青木氏の主張は「文化を政治化するな」ということだそうだ。前著『異文化理解』を書いた後に「9・11」が起きて、この本を書いたらしい。
ジョゼフ・ナイという国際政治学者の論文がよく引用として出てくる。他国への影響力の行使には「ハードパワー」と「ソフト・パワー」があり、ハード・パワーとは経済力、軍事力、技術力で支配すること、ソフトパワーとは文化の魅力によって他国に影響力を与えること。このジョセフ・ナイの主張のソフト・パワーにこそ注目すべきというのが青木氏の言いたいことのようだ。ロシアを例に取れば、軍事力が言語帝国主義でなく、チャイコフスキーの音楽やドストエフスキーの文学により尊敬を得る国になることこそが文化の多様性を認め、支配力を得ることなのだそうだ。しかし、スターリン時代にはエイゼンシュテインなど多くの創作者が政治的に利用されたことを考えると文化の中立性というのはないのではないかと思う。
それでも文化人類学で一時「文化的相対主義」が流行り、それがイスラム原理主義も許容することになったのでその反省もあるようだ。つまり相対主義というのは、絶対的な者がいくつも存在するという解釈になったので、それを修正したいのだ。その反省から、多文化を認め、相互に理解しあうことが共存の道という当たり前の結論になるようだ。文化人類学者の主張はしばしば無力だと思う。

ひろゆき『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』

2007-10-21 00:07:41 | 教養・時事
2ちゃんねるはなぜ潰れないのか。①社会的な問題であると誰かが言っても強制力をもたない限り何も起こらない、②法的な問題については、アメリカにサーバーを置いていることで日本の法律が通用しない、③金銭的な問題については今のところ広告収入が入るので潰れない、ということだ。ひろゆきが管理人をやめても誰かが2ちゃんねる的な匿名掲示板を作るだろうと本人も言っている。需要と供給の関係とも。小飼弾との対談では、みんながリアルな世界でけっこう幸せなのに2ちゃんねるのようなインターネットに時間を使うのは社会に何か不満があるからという分析だ。プログラムの話から日本史までひろゆきは博学である。ホリエモンより得体の知れない感がある。ひろゆきはインターネットが生み出した社会の裏面なのかもしれない。本人はそれを自覚していいないので無邪気な社会のダース・ベイダーともいえる。