日産のゴーンのもとでファイナンスを担当していた著者のファイナンス入門本。著者の『道具としてのファイナンス』への入り口の内容だ。コーポレート・ファイナンスとは、投資、資金調達、配当政策に関する意思決定にかかわるものという定義。アカウンティングが現在から過去のことを扱うのに対して、ファイナンスは現在から未来のことを扱うという言い方もなるほどと思う。加重平均資本コスト(WACC)の説明でまず加重平均を説明するときに、ベルモットとジンからマーティーニをつくるコスト計算をするところなんかは初心者によくわかる。WACCを下げるためには、投資家のリスクを下げることが重要で、そのためにはIR(投資家への広報)が大切というのもよくわかる。アカウンティングの学習でよくわからなかったキャシュフロー計算書の営業におけるキャッシュフローでどうして減価償却費を足すのかも一から説明してある。そもそもどうして、キャッシュが動かないのに減価償却費という考え方があるのか。要するに税務署が税金を初年度から取りたいからだ。もちろん設備投資の準備の必要性の認識など他の理由もあるだろうが、税務署が会計をややこしくしているのも事実だと思う。著者がアメリカで受けたMBAの授業で、教授が黒板にリスクとは「危機」と漢字で書いたという話も面白い。リスクとは危険でもあり、機会でもあるのだ。リスクとは将来の不確実性をあらわすものにすぎない。ゴーンは「リスクのない会社なんてない。そんなものは死んだ会社だ」といってリスク管理に敏感になりすぎることを戒めたらしい。そう考えると株主は債権者より投資に対するリスクが大きいので、より大きなリターンを求めるのは当たり前ということも理解できる。しかしこの本を読んで、ファイナンスの基本を理解するにはお金の現在価値の考え方が最も重要だと思った。1年後に104万円をもらうより、今100万円をもらったほうが価値があるのだ。リスクフリーを国債利率5%とすると。
ダリといえばシュールレアリズムのイメージが強いが、多才でピカソのように時代により画風が変わっていた。最初はピカソと同じように印象派的な絵を描いていたようだ。それから1930~1940年代が有名なシュールレアリズムの画風。1945年の原爆投下にはショックを受け、原子物理学に興味をもち、無心論者からカトリックにもなった。アメリカに移ってからは商業主義的な靴や服のデザインなどが目立った。晩年はルネサンス絵画や宗教画も描いた。ダリが描くと、どうみてもパロディーにしか見えないが。ダリ展とは関係ないが、サントリーミュージアムは狭いので4階から3階の展示場へは普通の階段で移動する。そのときにはダリの世界から現実世界に戻ってしまい興ざめした。学芸員さん、照明とかでなんとかしてもらえませんか。
クリシンの2回目。テーマはピラミッド・ストラクチャー。論理・状況を整理し、人を動かすためには、説得力のあるコミュニケーションが必要である。そのために、情報を収束・統合し、論理性の高い理由を備えた結論を示す手法として、ピラミッド・ストラクチャーを使うという授業内容。①イシューを特定し、②情報をグルーピングし、③メッセージを抽出する、④そしてチェックという手順。グループワークなどであっという間の3時間だった。授業の合間に先生が話された豆知識がけっこうおもしろくて記憶に残っている。箇条書きにしたとたんに項目の順序がゆるむ「パワーポイント症候群」。思考を停止させるカタカナ用語のシナジー、ブランド・エクイティなど。カタカナ用語はそれをひらがなと漢字で言い換えることができるかで本当に理解しているかがわかるという説明には思わず頷いた。ソサエティーを「社会」と訳したのは福沢諭吉だとどこかで読んだが、ユキチは偉い。1万円札を飾るに値する。それにしても、ピラミッド・ストラクチャーは意識し過ぎると、拾った情報がきれいにならんで、それらしいメッセージが収まったていたら満足してしまうという落とし穴があるように思う。授業の中でも「想い>ロジック」という冗談だか本気なんだかわからない式が出てきたが、思いが込められていないロジックは結局説得力がないのだろう。しかし今回は想いのないアサインメントを早々にメーリングリストにアップしてしまった。後からアップされるものを読んだら、みんな本気で考えているので深く反省した。それで昨夜は最初から作り直して授業に臨んだ。自分がアメリカのスターバックスの担当者になり、CEOに提案するつもりで、出遅れた日本市場への進出を考えた。そしたら3C分析では漏れる要素があるように思った。いくらアメリカでの実績があるからといっても、すでに1000を越える店舗がひしめき、文化も違う日本の市場では、流通網や店舗網を築く日本のパートナーが不可欠だと思う。その想いが強すぎて、授業の最後に、意思決定にはwhatだけでなくhowも大事だと思うという質問をした。今から考えるとみんなお腹がすいているのに的外れな質問だったかもしれない。想いも込め過ぎると方向性を見失い、場の空気が読めなくなってしまうのだろう。自分の思考が実際のスタバ日本進出にひきずられていたのかもしれない。あのケースの舞台が日本でなく、タイかマレーシアだとよく知らないので実際の話にひきずられなかったのではないかと思う。
ロジックは主張を伝える必要条件であるが十分条件ではない。これは「民主主義は議会の必要条件ではあるが十分条件ではない」ということと同じだと思う。形式だけではなく、想いを込めた主張がやりとりされるのが大事なのだ。なんか選挙の演説みたいですが。
ロジックは主張を伝える必要条件であるが十分条件ではない。これは「民主主義は議会の必要条件ではあるが十分条件ではない」ということと同じだと思う。形式だけではなく、想いを込めた主張がやりとりされるのが大事なのだ。なんか選挙の演説みたいですが。
早稲田大学といえば、スーフリによる集団レイプ事件や科学研究費の不正流用事件という悪いニュースもあるが、ハンカチ王子や卓球の愛ちゃんの入学、藤木直人やくりいむしちゅうの上田が在学していたことなどイメージをアップさせるニュースが上回る。なにしろ早稲田には4万人以上の学生と1000人以上の教員がいるのだ。スーフリの学生や科学研究費不正流用の教員なんて1%にも至らない。それより私学のトップ校として国際教養学部を設立すれば、ICUなどを抜き、偏差値トップになる大学である。そんな大きな早稲田大学で英語力を伸ばすのは早稲田らしくないやり方を導入している。チュートリアルイングリッシュという授業は学生4人が一組になってネイティブかネイティブ並の日本人がチューターになる。1ユニット4万円だが正規科目だ。一万人以上が受講し、巨大な英会話学校がキャンパス内にできている。これは早稲田のOG企業へのアウトソーシングによるものだが、周辺の英会話学校が経営難に陥っている話もあるとか。普通、こういう改革は伝統校ではアカデミック指向の教授陣の反対でつぶされるものだが、ここには経営側の知恵が働いている。テーマカレッジという学際講座をそれらの教授にはあてがっているのだ。異なる学部の学生が受講できるという大義名分もたてている。コンピュータスキルを伸ばす工夫もある。ネットワークにつながる21000台、持ち込みPCも18000台まで接続可能だというインフラがある。そのPCで海外大学の学生とサイバー上でチャットやゼミができる。英語やコンピュータスキルなどの入門教育だけでない。専門職大学院も3つのMBA、ロースクール、会計学大学院、ナンヤン工科大(シンガポール)とのダブルディグリーがえられるMOTなど最先端の人材が養成できるコースがある。かつては教員は三流と言われていたが、早稲田出身教員が100%から60%になったらしい。外の血を入れることで早稲田は活性化している。理工学部を3学部に分け、文学部も再編して文化構想学部と文学部の2学部にした。大学業界の総合商社か百貨店という感じだが、日本の大学生は280万人以上いる。早稲田の学生は1.4%に過ぎない。影響の大きなトップ校であってもマーケットリーダーではない。大学市場は定員設定の限界、規模を広げることによる質の低下などがあり、一定の規模を越えると規模の効果が働きにくいのだ。
工学部出身の教育学者というちょっと変わった経歴の著者が訪問した14大学のレポートが興味深かった。岐阜県立情報科学芸術大学院大学や高崎経済大学のレポートを読むといかに自治体が公立大学へ多大な支出を行っているのかがよくわかるし、政治的な意味合いで設立されている背景にも感心する。岐阜県立情報科学芸術大学院大への県からの投資は学生一人当たり800万円くらいになるそうだ。これは特徴のない岐阜県に世界レベルの研究拠点を作りたいという知事の試みだそうだ。高崎経済大学は国立の群馬大学が前橋市にあることに対する高崎市の経済界などの対抗心から設立されたとのことだ。また教育のグローバル化を考える上で豊田工業大学の例は面白い。豊田工業大学はトヨタ自動車の寄付がなければ運営できないしくみになっている。しかし、トヨタは運営に口を出さず、国立大学以上の教育研究条件で運営され、全国的に評価が高くなっている。しかしそのトヨタがシカゴに大学を作るのは、豊田工業大学で世界水準の教授を招聘しても集まらなかったかららしい。それならアメリカの著名大学と協力して大学をつくって世界水準の研究をしようというトヨタの戦略らしい。日本の大学がグローバル化できない限界も見える。最も興味深かったのは北海道武蔵女子短大のレポートだ。武蔵女子はもともと東京の武蔵大学の卒業生が武蔵大学の教養教育を北海道で実現するために設立された短大だ。札幌市には藤女子、北星学園の短大と武蔵女子短大があるだけだったが、短大の4年制大学化のもとで藤女子、北星学園は短大を廃止・縮小していく。しかし武蔵女子は地域の短大卒採用企業のニーズを守り、教養やしつけ教育に徹したため、縮小市場で結果的に優位になったという。これなどはマイケル・ポーターの競争戦略論の縮小市場での対応が当てはまる例だろう。大学は縮小するサービス産業である。だが、公的な教育機関という性格があるため、財務や管理運営について企業的な視点からみると効率的でない部分がまだ多い。著者は国際比較などから日本では政府の財政支出を増加する必要性を強調する。だが、そのためにはまだまだ経営や財務を改革する余地があるだろう。
ザウルスのバッテリーがすぐ減るので寿命かと思って調べたら、あるエンジニアのブログに解説があった。リチウムイオンバッテリーはふつう充放電回数が約500回で寿命が来るらしい。長く使っても、短く使っても一回は一回なので、一回充電すればできるだけバッテリーをフルに使い切った方が長持ちする理屈だ。通常のZaurusの使い方だと、一回充電するとバッテリーを使い切るのに三日から一週間かかる。仮に三日ごとに充電しても、500回充電するには1500日、つまり、4年強はバッテリーはもつはず。しかし無線LANでネットワーク接続すると、電力消費が大きく、あっという間にバッテリーを使い切る。無線LANカードを使用すると30分から1時間で使い切ってしまう。かといって無線LANカードを使う時にACアダプターにつなぐとバッテリー充電モードになり、充電1回分になる。もっと目の付け所をシャープにしてほしい。
雑誌「PRESIDENT」の特集をまとめたものなので雑誌感覚で読める。有名な人ばかりが書いているのでどこかで読んだことのある話も多い。齋藤孝の3色ボールペンや西村晃のポストイットを手帳に利用する話など。しかし耳が痛かったのは御立尚資の「警告!時間ドロボー上司が組織を潰す」だ。部下ができる仕事を上司がしていたり、権限委譲をマル投げの方法か逐一干渉する方法によって時間利用が重複してむだを生んでいる。優秀だった社員がプレイングマネジャーになって、意識が変わらないとそういうことが起こりやすいらしい。上司は上司にしかできない1年先3年先のための仕事をすべきなのだ。権限委譲をのためには適切な助言や実際にやってみせること、委譲のための引き継ぎ時間をきちんと確保することが大事。「忙しい、忙しい」と目の前の仕事を上司がいっしょに部下と取り組んでいる組織は結局忙しさから抜け出せないのだろう。個人のタイムマネジメントと組織のタイムマネジメントは次元が違うことを意識して、責任ある部署の上司が組織のタイムマネジメントにとりくまなければいえない。でなければ、「忙しい」が口癖の「時間ドロボー上司」によって組織が潰されてしまうのかもしれない。
先週は仕事であまりに疲れていたので土曜日は3.5km、日曜日は2kmでリタイヤしたが、今日は5km走った。冬は真昼に走ると気温がちょうどよかったが、春は午前か夕方がよい。夕方に走って気がついたが、走るコースに日陰が多い。ランニングキャップが要らないのだ。ランニングキャップがないだけでもずいぶん快適に走れる。