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水越豊『BCG戦略コンセプト―競争優位の原理』ダイヤモンド社

2009-04-26 21:45:22 | 経営戦略
経営戦略のいろんな本に登場する「プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント」(PPM)について本家の理論をもう少し知りたくて読んだ。
 あらためて読むと、PPMは事業展開で限られた資源配分を決定するときに事業バランスどう考えるかについて優れていると思う。何を切り捨てるかを決めるためだけではなく、成長性とシェアの2軸で事業を評価し、その企業の資源配分を決めるためのものだ。

 cash cow(金のなる木)、star(花形に近い意味)、problem child(問題児)、dog(負け犬)に区分すると、今後の収益見通しやその企業の強みと弱み、コアコンピテンスなどが見えてくる。その上で事業バランスを考え、投資の配分を決める。この本ではdogとされている事業についても、短期の収益性だけを見るのではなく、時間軸や他の事業との相乗効果などを含めた総合的な評価の必要性も書かれている。ただしこのフレームワークが有効なのは、あくまでシェアを競うことが重要な業種であって、多数乱立業界やニッチ企業には成長性とシェアの2軸での分析には限界があることも指摘している。BCGは40年以上のコンサルティングを通じて、このフレームワーク=戦略コンセプトを磨いていったのだろう。
 cash cowばかりの事業では将来の成長が見込めないし、starにどこまで資源を投入するのかの判断も必要だ。problem childの先行きをどう読むか、dogは撤退かproblem childになる可能性はないのかなど考える資料をPPMが提供してくれる。
 ミノルタのカメラ事業の変遷が事例に出ているが、当時dogともいえるカメラ事業をα7000で再生させたのは、dogだからといって切りにくく、逆にじっくり育てて成功することも日本企業ではあることを解説している。しかし、ミノルタは、その後コンパクトカメラのデジタル化に乗り遅れ、結局カメラ部門をソニーに売却することになった。PPMは静的でなく、将来の時間軸でも動的に捉えるべきだろう。
 サントリーのビール部門が、プレミアモルツと金麦の成長で部門設立後初めて黒字になったというニュースが最近あった。これなども単にdogだからといって切るのが得策かどうかを考えさせらる典型だろう。ただし、今後の展開はわからないが。
 
 この本では、日本企業が競争優位を築くためのポイントとして、価値創造の仕組み、儲けの仕組みとなる事業構造のあり方、競争要因の明確化とその持続、の3点を挙げている。そしてこれらを解決するためのツールとして、「バリューマネジメント」「セグメントワン」「デコンストラクション」「PPM」「エクスペリアンス・カーブ」「タイムベース競争」の6つの戦略コンセプトを提示している。
 タイムベース競争で、意思決定に割く時間の問題として「会議」の問題が正面から取り上げられているのは面白い。
 生産現場ではオペレーションの問題として、どの工程を短縮できるか、時間短縮するのに何がボトルネックになっているかを考える。しかし、ホワイトカラー労働ではそれがつかみにくい。
 そのため、日本の会議の「根回し」について、どうして必要なのかを分析し、根回しの工数は<深さ>と<数>の掛け算であるので、深さと数をコントロールすることが大事であると解説している。<深さ>にはさらに「詳細度」「絞り込み度」「口止め度」の要素があるという。「口止め度」などは日本特有の意思決定についてのフレームなのだろう。
 会議の機能として報告する会議なのか、議論する会議なのか、決定する会議なのかによって、出席者の顔ぶれ、議題のあげ方、資料のつくり方、あるいは時間のとり方を的確にコントロールすべきとも指摘している。意思決定には「GO」「NOT GO」「NOT NOW」しかない。「NOT NOW」は保留ではなく決定の延期ということを明確にする必要があるとも言っている。
 「無駄な会議」が多いという意見はよく聞く。しかし、会議をこんな風にコントロールすると本当にホワイトカラーが行う工程の時間が短縮できるように思う。実際にはそのための準備時間とのトレードオフになると思うが、習慣化すればこれも経験曲線の効果があるのかもしれない。
 「根回し」を風土だからとか企業文化だからというような理由付けより、意思決定のためにどのような障害と機会があり、どのような課題設定をするかが大事なのだろう。


伊坂幸太郎『モダンタイムス』講談社

2009-04-21 00:28:34 | 文学・小説
読むには結構楽しめる。

けれど小説のテーマは凄いのに消化しきれなかったようだ。

『魔王』で独特の雰囲気を作っていたのに続編というこの小説はあまりにも惜しい。
これはマンガで連載したために一回ごとの盛り上がりを作らなければいけなかったせいだろうか。ちょっと遊びの表現が多すぎるような気がする。
漫画本の連載には向いていないテーマなのかもしれない。

余計な登場人物や事件を削ってすっきりしたらもっとよい小説になっていたと、素人ながらに思う。本当にもったいない。

この人の小説を初めてハードカバーで買ったのに二度と買うまい。

伊坂 幸太郎『魔王』 (講談社文庫)

2009-04-20 00:50:37 | 文学・小説
近未来小説であるが、憲法改正や少数派政党によるファシズムの台頭などこれから話題になりそうな素材が扱われている。
憲法98条改正の手続きなどとても具体的だが、小説を貫く詩情は終始未来への不安感などで染められている。ストーリー展開も面白いが、この詩情もこの小説の魅力だろう。

そういえばジョージ・オーエルの『1984年』を読んだときの衝撃は大きかったが、1984年を過ぎると全体主義は復活せず、何も変わらず、何であのとき衝撃的と思ったのか不思議だった。近未来小説というのは往々にしてその通りにはならないものだ。フィリップ・K・ディックの小説はたくさん映画になっているが。

『魔王』では超能力をもっているファシストと思われている党首のいう言葉に迫力がある。憲法改正を唱えながら、国民投票の直前にテレビで

覚悟はあるのか
勇気はあるのか

と国民に問いかける。
宮沢賢治の詩や物語がファシストを支える思想として展開されるのもなさそうでありそうな話である。

超能力、政治、社会のシステムが素材として描かれるところは、一頃ソ連でジリノフスキーが台頭したときを彷彿とさせる不気味な雰囲気を醸し出す。

尻上がりに面白くなる小説なのだが、最後の終わり方が「えっ」と思う。

突然終わるのだ。

『ロード・オブ・ザ・リング』の話の引っ張り方に似ている。
これじゃ誰もが続編の『モダンタイムス』を読みたくなるだろう。
この小説家は売れてきたので、マーケティングもすごく考えているように思う。まあ、それが小説の質を変えないことを祈るが。

伊坂幸太郎『グラスホッパー』角川文庫

2009-04-08 00:09:52 | 文学・小説
何人かの殺し屋と、殺された妻の復讐に燃える主人公との物語である。

トノサマバッタというのは増えすぎると、色も黒くなって凶暴になり仲間を殺し合う。グラスホッパーというタイトルは、そんなバッタのような昆虫と人間が似ているということから付けたようだ。
密集しすぎて生息している生物種には必ず仲間を殺す変種が現れる。色の黒いバッタが殺し屋ということか。といってもテーマと言うほどのテーマ性は感じない。

殺し屋と昆虫を素材にしてミステリー的な小説を書いたという感じか。

話は面白いし、「鯨」や「蝉」と呼ばれる殺し屋である登場人物の個性も際だっている。このあたりは井坂幸太郎の才能だと思う。

けれど二度読みたいと思うような小説ではない。

野中郁次郎他『戦略の本質』日経ビジネス文庫

2009-04-06 23:14:38 | 経営戦略
 経営学者らによる現代の戦争の分析からその戦略論を構築した意欲的な書。

 こんなに素晴らしい着想による、吐き気がする本も珍しい。

 戦争は科学技術や文化人類学などを変化させてきた。一般にはそれが科学や学問の「発展」と呼ばれている。
 この本では戦争を戦うための戦略論自身が古くは孫子の時代から二度に渡る世界大戦、中東、朝鮮、ベトナムなどの戦争で「発展」してきたことを理論化している。
 経営における戦略論の進化のために、実際の戦争における戦略論を分析するという着想は素晴らしい。ストレートをど真ん中に投げ込む小気味よさがある。しかし、経営における戦略論と戦争における戦略論とは根本的に違うように思える。
 大きな違いは、「人を殺すこと」を手段として肯定するかどうだ。経営戦略の失敗により、公害などで人が死亡する場合がある。これはあくまで失敗である。しかし、戦争では人を殺すことも手段として肯定され、ときに手段が目的に変わることもある。
 ベトナム戦争中期ではアメリカ、北ベトナムともにお互いに相手の士気を削ぐためにより多くの人を殺すことを目指していた。こういう戦記の記述を読むのは比喩ではなく本当に吐き気がする。

 しかし、この本の戦略論としての面白さは、「転機・逆転」がテーマに据えられていることにもある。中国の国民政府軍に対抗した毛沢東の反「包囲討伐」戦、第2次世界大戦下でドイツ軍の侵攻をソ連軍が食い止め反撃に転じたスターリングラードの攻防戦、「小国」が「大国」を退ける結果となったベトナム戦争など戦略によって「逆転の契機」が生まれたことがわかる。

 戦争における戦略とは何か。

 戦略には、大戦略、軍事戦略、作戦戦略、戦術、技術、の5つのレベルがある。各レベルには独自の解決すべき課題があり、固有の文脈を持っている。
 一方、戦略は、各々独立した意図を持つ主体間の相互作用である。それぞれ主体が互いに戦闘意志を持つ場合、我の行為に対して相手(敵)が反応し、それに対して我が対抗する、という作用-反作用が繰り返される。(p.393)

 クラウゼヴィッツは戦争を「拡大された決闘」であり「政治の延長」と捉えた。その後、戦争における戦略論はより科学的、分析的アプローチをとり、とくにアメリカで発展する。一方、<作用-反作用>概念を独自に解釈した毛沢東は「弁証法」への適用により、ゲリラ戦の組織化という新たな戦略論の発展に寄与したらしい。これがベトナム解放軍によりさらに発展する。

 ベトナム戦争を指揮したマクナマラはこう言っている。

 「われわれは正しいことをしようと努めたのですが、そして正しいことをしていると信じていたのですが、われわれが間違っていたことは歴史が証明している」

 これはミンツバーグが批判するように、マクナマラがハーバード・ビジネススクール出身かどうか以前の問題である。

 経営における戦略と戦争における戦略をつなぐのは難しい、と思う。

 しかしこの本の著者ら経営学者が戦争から引き出した10の戦略の本質だけ見れば、経営によく当てはまる。

 弁証法、目的、場の創造、人、信頼、言葉、本質洞察、社会的に創造される、義、賢慮。

 孫子が古代中国の兵法から得た教訓を経営に当てはめるのはまだ可愛い。しかし、朝鮮戦争やベトナム戦争の兵法から得た教訓を経営に当てはめるのはあまりにも生々しすぎるのではないか。

 この本が経営の現場で引用されないことを祈る。