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お気楽ビジネス・モード

ビジネスライフを楽しくする知恵や方法を紹介する

木谷文弘『由布院の小さな奇跡』

2008-02-20 21:51:41 | 経営戦略
何かと話題になる由布院だが、どうしてあんなに有名な温泉地になったのかがよくわかる。

・別府に次ぐ温泉が豊富に沸いている
・盆地で日本の田舎の風景を残されている
・この町を活性化させる情熱をもった優秀な人が少なからずいる

これらが大きな要因だと思う。
また、この美しい自然と温泉に恵まれた町にゴルフ場建設やリゾートマンション建設の計画が持ち込まれ、それに反対する中で町の人々が目覚めていったというのが成功のカギなんだろう。

確かにこの町出身で東京の大学を出てから映画監督を目指していた中谷健太郎や日田市の博物館に勤めていた溝口薫平という才能あふれる人たちの存在も大きい。
その他にも由布院に惚れて、移り住んだ人たちの都会で学んだ知識や都会に住んだからこそ分かる由布院の価値や守りたいという情熱もこの町を動かす原動力だろう。

ゆふいん音楽祭
湯布院映画祭
牛喰い草原絶叫大会
料理などさまざまな研究会

これらもすべて手作りで組織される。40年以上築き上げた成果だろう。
やる気のある市長がどこかからやってきて倒産寸前の町を再生させるというストーリーと由布院はちょっと違うように思う。
長年この土地で試行錯誤を繰り返し、その土地の人々が育つことによって宿ったDNAが次の世代に引き継がれていくという感じなのだろうか。

それにしても、40年前のお金がない頃に、なんとか工面して中谷ら3人がヨーロッパのあちこちの村を視察したことなどは、明治維新の岩倉使節団に匹敵する調査だったのだろう。

その由布院も平成の大合併で「由布市」となったらしい。
由布院温泉、湯平温泉、塚原温泉という歴史も泉質も異なる温泉地をひとつにまとめるには難しい問題もあるようだ。

加藤健二『伝説のホテルマン 「おもてなし」の極意』

2008-02-19 23:11:27 | 人間関係学
ホテルマンは紺の服を着るべき。グレーは清潔感を感じさせないから。コンピュータに入力されたお客様の情報はプリンタから印刷される用紙の裏側に手書きで書く。昔はメモに書いていた。書くと覚えられるから。
加藤健二氏は古いタイプのホテルマンである。
「伝説のホテルマン」と呼ばれる所以だ。
東京ヒルトンから東急キャピタルホテルへと42年間もホテルで、それもおもにロビーで働いた。ビートルズ来日の異様な熱気も宿泊ホテルの従業員として経験している。ハウスマンからベルボーイ、フロント係からフロント支配人、コンシェルジュ、エグゼクティブ・コンシェルジュへとお客様におもてなしをすることを何より楽しみとした仕事ぶりがよく伝わってくる。
周りから「あんたちょっと仕事をやりすぎだよ」と言われると、見返すために進んで人のいやがる仕事をした。このあたりの負けん気がこの人の向上心となったのだろう。

お客様をハッピーにするテクニックとは、

(1)何をすれば喜んでいただけるか → 心にとどくおもてなしがリピーターを増やす
(2)形式的なサービスでは心は動かない → 相手の立場で嬉しいサプライズを演出する
(3)お客様の情報は自分の方法で蓄積 → 豊富な情報量が的確なサービスを生む

では、最高のおもてなしとは、

決してお客様の依頼に「ノー」と言わない。
お客様の望まれるサービスを実現するために誠実に努力をすること。

これは地道な努力しかないという。

東京ヒルトンのハンデル元総支配人を師匠と敬う。
ハンデル支配人がゲストをホテルの外でレストランに招待したときに、床に落ちていた紙くずを拾ってさりげなくポケットにしまった。こういう気配りが自然にできることこそ、本当のおもてなしだという。

木津川ハーフマラソン

2008-02-03 21:15:18 | 健康
初ハーフマラソンなのに最悪のコンディション。
会場にたどり着くまでは雪が舞っていた。大会が始まる前に雪から雨に変わった。気温は5℃。天気のわりに暖かい。週末荒れるという天気予報を見て、慌てて通販で買った「東京マラソン」特製の薄いウインドブレーカーを最初から着て走ることにする。
受付を終えて、直前まで車で待機。雨と雪で駐車場もぬかるんでいる。ダウンタウンのバラエティなどを見てリラックスする。でもこんな条件なのにずいぶん人が集まっている。ハーフマラソンには74歳の男性も参加しているらしい。
30分前にトイレに行って、ウォーミングアップをする。
いよいよスタート。小雨になった。人が多いのでスタート地点まで50秒もかかった。いきなり上り坂から下り坂、また上り坂。木津川マラソンは川沿いのコースのため、電車や道路の架橋をくぐりながら走ることになるので、そのたびに下りと上りの坂がある。上り坂では歩幅を小さく刻みながら走った。
5kmくらいまではペースが速くなるのを抑えながら走ったが、ちょっとハイペースになった。暑いのでウインドブレーカーを脱いで腰に巻く。ウエストポーチとウインドブレーカーでちょっと重装備。7kmくらいから疲れてきた。
折り返し地点で「まだ半分か」か「もう半分か」のどっちを感じるだろうと心配していた。どちらを感じるかでその日の調子が分かると思っていたからだ。
しかし、感じたのはただ「あと半分か」という実務的な感覚。折り返しで1時間3分くらいだったので、ちょっとペースを上げれば2時間を切れるかもしれないと思った。ペースを上げてみる。まだまだ走れる感覚。今回のマラソンで一番いい気持ちだったポイントだ。
しかし、15kmを過ぎる頃からはだんだんペースが落ちてきた。福士佳世子の気持ちがちょっとわかる。練習はもっと遅いペースだったが、こんなペースで20kmを走るのは初めてなのだ。
給水所が来るたびに止まってスポーツドリンクを飲んだり、バナナやチョコレートを食べる。木津川マラソンは心配りが行き届いている。走りながら食べるバナナやチョコがあんなにおいしいものだとは知らなかった。
途中の給水所の写真をウエストポーチに入れておいたトイデジカメで撮った。これもこの日のために買ったものだ。
16kmくらいで「あと5kmだ」と思った。最初のシミュレーションではここからスパートに入る予定だったのだが、頭で命令してもまったく脚がついてこない。それどころかますますペースが落ちるばかり。
沿道から「あと2km」とか「あと1km」という声がかかるが、それでもペースは全く上がらない。最後の下り上りの坂を終えてフィニッシュ。さすがに疲れた。チップをはずそうと思ったのだが、手がかじかんでしまっていうことをきかない。ボランティアの女性がはずしてくれた。
タイムは2時間10分前後だろう。ストップウォッチを押すのを忘れていたので、記録が届いてみないとタイムはわからない。いずれにせよよくても目標ぎりぎりだろう。
ウエストポーチに入れておいた引換券でうどんを食べた。これまたおいしい。
帰りは車で2時間くらいかかった。でも北海道や沖縄から参加している人もいたが、あの人たちはどうしたのだろう。駅まで歩いたのだろうか。それともタクシーでホテルまで帰って、明日は観光なのだろうか。いずれにせよ、車で行ける大会にだけ参加するのが賢明なような気がする。
結果は目標タイムくらいだったとはいえ、これでは宇治川マラソンでは2時間10分の制限タイムにひっかかるかもしれない。でも今度はペース配分でどうにかなるかな。