コーポレート・ガバナンスとは、一般的には企業経営の非効率性を排除して、企業価値を高めるメカニズムを指し、企業統治と訳されたりする。
コーポレート・ガバナンスの原点は、エージェンシー・コストの発生を抑制することによって、経営者が株主に対してその投資に見合った適正な収益を還元する制度的な仕組みを整えることにある。
という定義から、この本ではアメリカのコーポレート・ガバナンス、日本企業のガバナンス、銀行のガバナンス、アジア企業のガバナンスなどを実証的に分析していく。
いま日本はアメリカ型のコーポレート・ガバナンスをモデルにしているが、西欧、アジア、日本の企業のガバナンスの構造は歴史的に異なっている。
株主利益を考える場合に日本は系列銀行、系列企業による株の所有により、外部株主によるガバナンスが働きにくくなっている。
アジアと西欧は家族企業による株の所有の企業が多いという共通点はあるが、外部株主に対して西欧企業は配当を大きくして、情報の非対称を補っている。
最近大学のガバナンスが問題になっている。
この本を読んで、コーポレート・ガバナンスと大学のガバナンスは次元の違いがあると思った。
企業のステークホルダーを株主だけでなく、顧客や取引先、従業員とした場合、企業のガバナンスは外部と内部の情報の非対称をどう埋めて、経営効率化を図るかのテーマである。
それに対して大学のガバナンスは組織内部で経営の意志が教授会という従業員の意向に優先して決定権を持つかという問題である。
そもそも統治の構造がないところでの問題なのだ。
では大学のステークホルダーに対して、利益を優先するためには何が必要なのだろうか。
そもそも収益を目的にしていない大学にとって、利益ではなく何を優先すべきなのかが問題になるのだろう。
最後にこの本の著者はCSRやSRIの問題に触れたうえで、コーポレート・ガバナンスにおいても「企業とは何か」が問題になると書いている。
では大学のガバナンスを考える上で、大学とは何か。その大学にとってステークホルダーは誰なのか。
出資者がいないので企業のようにエージェンシー・コストという考え方は成立しないだろう。私立大学にとって出資者は寄付者となるが、リターンを求めている寄付者はいない
では誰の利益を優先すべきか。
学生、学資負担者、教職員、卒業生というステークホルダーの利益だろう。
大学が継続し発展することをステークホルダーは望んでいる。
経営者はその思いを託されている。社会的に不名誉なことをすれば責任をとらないといけない。
経営者は緊張感をもって経営をしなければならない。
そのために理事会、監事、評議員会という組織を義務づけている。
今問題になっている学長と教授会の責任と権限というのはあくまで内部問題である。
学長も教授会も外部のステークホルダーの利益を意識した行動が求められるのだ。
コーポレート・ガバナンスの原点は、エージェンシー・コストの発生を抑制することによって、経営者が株主に対してその投資に見合った適正な収益を還元する制度的な仕組みを整えることにある。
という定義から、この本ではアメリカのコーポレート・ガバナンス、日本企業のガバナンス、銀行のガバナンス、アジア企業のガバナンスなどを実証的に分析していく。
いま日本はアメリカ型のコーポレート・ガバナンスをモデルにしているが、西欧、アジア、日本の企業のガバナンスの構造は歴史的に異なっている。
株主利益を考える場合に日本は系列銀行、系列企業による株の所有により、外部株主によるガバナンスが働きにくくなっている。
アジアと西欧は家族企業による株の所有の企業が多いという共通点はあるが、外部株主に対して西欧企業は配当を大きくして、情報の非対称を補っている。
最近大学のガバナンスが問題になっている。
この本を読んで、コーポレート・ガバナンスと大学のガバナンスは次元の違いがあると思った。
企業のステークホルダーを株主だけでなく、顧客や取引先、従業員とした場合、企業のガバナンスは外部と内部の情報の非対称をどう埋めて、経営効率化を図るかのテーマである。
それに対して大学のガバナンスは組織内部で経営の意志が教授会という従業員の意向に優先して決定権を持つかという問題である。
そもそも統治の構造がないところでの問題なのだ。
では大学のステークホルダーに対して、利益を優先するためには何が必要なのだろうか。
そもそも収益を目的にしていない大学にとって、利益ではなく何を優先すべきなのかが問題になるのだろう。
最後にこの本の著者はCSRやSRIの問題に触れたうえで、コーポレート・ガバナンスにおいても「企業とは何か」が問題になると書いている。
では大学のガバナンスを考える上で、大学とは何か。その大学にとってステークホルダーは誰なのか。
出資者がいないので企業のようにエージェンシー・コストという考え方は成立しないだろう。私立大学にとって出資者は寄付者となるが、リターンを求めている寄付者はいない
では誰の利益を優先すべきか。
学生、学資負担者、教職員、卒業生というステークホルダーの利益だろう。
大学が継続し発展することをステークホルダーは望んでいる。
経営者はその思いを託されている。社会的に不名誉なことをすれば責任をとらないといけない。
経営者は緊張感をもって経営をしなければならない。
そのために理事会、監事、評議員会という組織を義務づけている。
今問題になっている学長と教授会の責任と権限というのはあくまで内部問題である。
学長も教授会も外部のステークホルダーの利益を意識した行動が求められるのだ。