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お気楽ビジネス・モード

ビジネスライフを楽しくする知恵や方法を紹介する

金子元久『大学の教育力』

2007-12-28 11:06:21 | 高等教育
この本は日本の大学の教育力について、歴史的源流と新しい変化を踏まえて方向性を示すという内容である。そのため、大半が高等教育史の記述であるともいえる。
ヨーロッパの大学ではフンボルト理念に象徴されるように真理の探究のために学問の自由が保障され、それが大学の自治につながる。そのため、学生には「学習の自由」が保障される。著者はその学習の方法を「探求型」と呼んでいる。
それに対してアメリカの大学では、その多様性やユニバーサル化を経て、学生の学習について大学の「制御志向」が見られる。シラバスで学習内容が明示され、試験や小論文で常に教員と学生との相互作用を行うことなどだ。
日本の大学はヨーロッパのフンボルト型の探求型を前提に発展してきたが、90年代から制御のツールも積極的に導入してきた。21世紀に入って、ユニバーサル化の進行や不況、学力低下などの要因もあり、職業教育も取り入れてきている。

著者が考える日本のこれからの大学像は、ほとんど現状追認のような気がする。
政府の財政支出が諸外国に比べて低すぎることについては、この著者も触れているが。

『最高学府はバカばかり』が歴史のワンショットを詳細に書いているのに対して、この本は現在のワンショットを長い歴史のなかの1シーンと捉えているとも言える。

高史明『現代によみがえる歎異抄』

2007-12-27 23:37:43 | 哲学・宗教
高史明は自分の子どもが自殺したことにより、歎異抄をまた読むようになったという。
この本は宗教専門家でないが、不幸な運命を受け入れた著者による歎異抄の読み方である。そういう背景が実に説得力をもっている。
仏教は合理性だけでは説明できない現代の闇の部分を解き明かすのには向いている。いや、解き明かすというより、闇の部分がどうしてあるのか、それをいかに受け入れるのかを導いてくれるようだ。

山田真哉『さおだけ屋はなぜつぶれないのか?』

2007-12-27 22:11:45 | 財務・会計
この本はてっきり詐欺師の話を経営学的に分析する本だとばかり思っていた。
読んでみると会計をわかりやすく説明した極めて質のよい本であることがわかる。さおだけ屋の話は、利益の出し方を教える事例なのだ。
連結決算は、儲からないフランス料理屋が、実は料理教室で儲けていることで説明している。
在庫と資金繰り、回転率、キャッシュフローなど重要な考え方はこの薄い本で網羅されている。
損益計算書、貸借対照表、キャッシュフロー計算書の順番にその項目の意味を説明するのが、会計の入門書と相場は決まっていたが、この本はその常識を覆している。何のために会計という考え方が存在するのかを教えてくれる。

池田修『教師になるということ』

2007-12-27 12:47:43 | 教育
花に水をやることを教えられた小学一年生の女の子が雨の日も花に水をやっていた。
普通なら雨の日はやらなくていいと指導するところだが、担任の教師が「雨が降っているのにどうして水やりをするの?}と尋ねた。
子どもは「だって、先生、雨より水道の水の方がきれいなんだもの、きっときれいな花が咲くよ」と答えたそうだ。

これは、子どもの理解についての家本芳郎『<教育力>をみがく』からの引用だが、子どもは子どもなりに得る情報や考えることが大人とは違う。この場合、おそらく酸性雨とか黄砂とかのことを親から聞いたのかもしれない。
大人の考え方をすり込む前に、子どもの視点で見たり、考えたりすることが子どもを理解する上で重要なことだ。


授業をつくるとは、

つまらないをおもしろいに
分からないを分かったに
できないをできたに

することだという。

小学生のときに漢字でつまづいたN君の事例がある。

つまらないをおもしろいに → 漢字ウォーリーを探せ!
分からないを分かったに → 漢字のルーツ・クイズ
できないをできたに → 津川式「超」記憶法

で成功したらしい。
落ちこぼれをなくすべきとか、平等主義とか百の理念を語るより、一つの実践のほうが説得力がある。

教育の原点を考えさせられる本だ。

京都広告塾編『巧告。』

2007-12-27 11:44:38 | マーケティング
コピーライターやアートディレクターによる講座。このシリーズが3冊も出ている。クリエイターによる本はそれなりに面白い。
山本高史のコピー講座ではお題を出して、受講生の作品を批評する。
それだけでなく講師自身の作品もある。

お題:40歳の男に花束を買わせるキャッチフレーズ。

受講生の優秀作品:

胸から胸へわたるもの


講師の作品:

昼間、花束を買うあなたを見かけて、
私、いやな想像をしたの。
ごめんなさい。

明らかにキャッチフレーズでなくなっているが、ねらいはよくわかる。

真木準は、仕事の忙しい合間に大学や広告塾の講義やCMの審査員などをこなす1週間のスケジュールも公開している。コピーライターも有名になると社会的責任のような感覚が芽生えるようだ。土日は誰もいない事務所でコピーを考える時間にしているというからまだまだすごい現役だ。

内田和成『仮説思考』

2007-12-26 22:22:43 | 思考法・表現法
「仮説思考」の対概念は「網羅思考」なのだそうだ。仮説思考は網羅思考より効率がよい。課題解決の案を考えるのに時間を短縮できるし、精度も高いらしい。
最近では仮説思考でない考え方はあるのだろうか、と思うくらい網羅思考を止めてしまったので、仮説思考の優れたところが逆に見えにくい。けれど仮説思考の成否は、よい仮説を立てられるかどうかにかかっている。よい仮説を立てるためには、日常的な情報のインプットの量が大切だと思う。限られた情報をもとに、限られた時間のなかで仮説思考が力を発揮する。しかし、情報が少なすぎるとそれをもとに仮説を立てて間違った方向に行く可能性も高い。そのために日常的に情報を蓄え、あらゆる場面で仮説をつくるときのために、情報の少なさを補っておくことが必要だと思う。

友野典男『行動経済学』

2007-12-26 21:52:24 | 思考法・表現法
ヒューリスティクスとは、問題を解決したり、不確実なことがらに対して判断を下す必要があるけれども、そのための明確な手がかりがない場合に用いる便宜的あるいは発見的な方法のこと。簡便法、発見法、近道などと日本語では呼ばれる。
この本にはこういう「何のこっちゃ?」と思える考え方や理論がいっぱい出てくる。
けれど、日常でよく出会う非合理的だと思える事象を数量的な実験結果などで説明するところはよく理解できる。
社会や組織のフリーライダー(ただ乗りする人)はどうして生まれるか? 「公共財ゲーム」というお金の拠出と分配のゲームで証明する。
コップに水が半分入っているときに、「もう半分しかない」と思うか「あと半分しかない」と思うのかをフレーミング効果で説明する。
保守を望む傾向が人間には強いことを、プロスペクト理論の「現状維持バイアス」で説明する。
行動経済学という新しい学問は、論理学と数量経済学と心理学をかけ算した感じだ。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

2007-12-26 21:31:41 | 文学・小説
日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない。

同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遙かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。

僕のようなランナーにとってまず重要なことは、ひとつひとつのゴールを自分の脚で確実に走り抜けていくことだ。尽くすべき力は尽くした、耐えるべきは耐えたと、自分なりに納得することである。


村上春樹がこの本を書いたのは、ランニングが素晴らしいということを啓蒙するためではないと言っている。けれど走っている者にとっては、村上春樹が書いていることはいちいち納得できる。


腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。そう考えて生きてきた。


村上春樹はちょっとMっぽい性格かもしれない。
でもランニングはひとりで体を動かすスポーツだ。チームワークも何もない。自分が止めたければそこで止めればいいし、速くまたは遅く走りたければそうすればいい。自分で自分を管理するスポーツなのだ。
自分で自分を管理できるものしか続けられないスポーツなのだ。

守山10kmマラソン

2007-12-09 18:47:27 | 健康
守山ハーフマラソンの10kmの部に参加した。
なにしろ大会に出るのは初めてなので、何もわからない。
8:00からの受付に時間通りに行こうと思って、車で出かけるとすでに駐車場は7割方埋まっていた。みんな何時から来ているのか。

受付ではゼッケンやタイムを計るチップのほかに、アクエリアスやウィザーinゼリー、大会記念のトートバックまでくれた。うどん引換券というのも入っている。なんとサービスの良いことか。
参加費が3000円以上したのも、これを見るとまあいいかと思う。本当は大会運営費なんかがけっこうかかっているのだろう。
8:00に受付を済ませて、10kmレースのスタートは10:15。2時間もある。
9:00から開会式や子どもの部などいろいろあるのた。招待選手の市橋有里を一目見たい気もしたが、とにかく寒いので車で時間をつぶすことにした。
昨日録画したお笑い番組やニュースをGigabeatで見ながら、久しぶりにzaurusで友達に手紙を書いた。
すると雨が降ってきた。天気予報では降水確率30%となっていたのでもしかすると、小雨の中を走ることになるのかとも思っていたが、結構強く降ってくる。
まあ、待つしかないと思い、お笑い番組を見て、ゲラゲラ笑っているとスタート45分くらい前になったら、急に雨がやんだ。ラッキーだ。ちょっと陽も差してきた。
40分前になってトイレに行って、ストレッチをした。
そろそろラインニングスタイルになろうと思ったのだが、Tシャツと短パンでは寒い。駐車場で車から降りてくる人は、だいたい長袖のシャツにロングタイツ姿。今回はスタイル選びに失敗したかなとも思ったが、同じような格好の人もたまにいたので、ぎりぎりまで車で待機して、スタート地点までウォーミングアップを兼ねてジョギングすることにした。
10kmマラソンの参加者は500人くらい。参加者名簿では70歳近い人もいる。
「なんか、キンチョーするね」という初参加らしい若い女性のグループや「いっしょに走ってや」と言っている夫婦など、18歳以上の老若男女いろいろのドラマが垣間見える。
真ん中当たりの位置でスタートした。
いつもどおり走ろうと思ったが、なんかペースが速い。1kmくらいから縦に長い列になり、みんなのペースが落ち着いてきたようだった。体も温まってきた。抜くより抜かれる人の方が多くなった。自分のペースで走ればよいのだが抜かれるのはあまりいい気がしない。とくにドタバタドタバタ走って来た人に抜かれると、???何で抜かれるの???と思ってしまう。
それでもいつもよりペースは速く、5km地点では26分くらいだった。
これでは後半バテるな、と思ったのでちょっとペースダウンした。
5kmくらいで湖岸道路に出ると絶景だ。この景色を見ながら走りたくて、今回の大会に登録したようなものだ。
でもいつもよりちょっと苦しい。横をいろんな人が抜いていって、気が散る。
6kmを過ぎた頃に同じ背格好の男性と並んで、抜かれた。抜かれて思ったのだが、走る後ろ姿がすごくきれい。きれいというより無駄がない。体はぶれず、手は振りすぎず、ピッチも自然だ。
こんなフォームで走りたいと思った。それでこの人について行くことに決めた。後ろ姿を見ているといろんなことに気がつく。そうか、頭から背骨へと体の中心を意識するのだなとか、手はちょっと下ろしたほうが楽なのかとか、ピッチは小さめしたほうが体がぶれないなとか。上り坂でも手を振りすぎないほうがいいのかとか、下り坂ではペースを抑え気味にするとよいとか、本で読んだことと同じような走り方なのだ。
走る姿のコピーは徹底してきて、その人が湖をちらっと見たら、同じようにちらっと見て、川の方を見ればまた同じように見た。意識はほとんどその人の走りだけに集中していた。
そうすると誰に抜かれようと、誰を抜こうと気にならない。ただ、その人との5mほどの距離に割り込む人がいると無理にでも追い抜いたが...。
このまま、ゴールまで同じペースで行くとばっかり思っていたら、最後の2kmくらいでその人はペースを上げた。
えー、ペース配分をしていたのか、とちょっとびっくりしたが、ついて行けるところまで行こうと後ろを走った。
周りの人をどんどん抜いていく。
最後にトラックに入って、5kmくらいで抜かれていった人を次々に抜くことになった。
最後の100mはちょっと飛ばしたので、抜くつもりもない中年の女性がその人との間に入ってきた。ゴール寸前で抜くなんて、その女性に失礼だと思ったが、仕方がないので、渾身の力を振り絞ってゴール5mくらいで抜いた。
タイムは1時間を余裕で切っていた。練習の時より7~8分速い。
ゴール後、その人に一言お礼を言いたくて「すごくきれいなフォームで走られますね」と声をかけた。
その男性はちょっと驚いたようだった。
「初めての大会だったので途中からついて行かせていただきました」と言ったら、その人は「僕も初めてなんですよ」と言った。
今度はこちらがちょっと驚いたが、私と同じようなタイムならそれもそうかと思い、「じゃあ、またどこかの大会でお会いするかもしれませんね」と言って分かれた。
初めて会った中年男性にそれ以上話をするのも変だろう。ゲイかストーカーと間違われるのも嫌だし。
でも男性の名前はホームページに記録が出ればすぐわかる。私の一人前の記録なのだ。
ほんとにちょっとしたストーカー・ランナーだ。


内田東『ブランド広告』

2007-12-08 18:41:17 | マーケティング
もと電通の広告マンが書いた本。どのようにして広告でブランドを築くか、どのようなことをやっていはいけないかを実例で説明しているので説得力がある。
バンパイア・クリエイティビティーとは、広告に登場するタレントの印象が強すぎたり、広告表現の特異さが際だちすぎて、本来伝えないといけない商品やブランドの特徴を吸い取ってしまうことをいう。バンパイアとはうまい表現だ。シボレーのCMで車を150フィートの塔の上に載せるCMなんかがその例らしい。その映像自体はスゴイと思うが、商品価値もブランドイメージも形成されない。一頃日本で流行ったエリマキトカゲもそれか。あれって何の広告だっけ?
アカウント・プランナーという役割ができたのは、広告表現者の思いこみでなく、ターゲットである消費者視点でものごとを考えて、「届く広告」をつくるためだ。
アカウント・プランナーがやる仕事は消費者の視点を広告に反映させること。
「家事のすべてをお願いできるメイドを求む」という広告では誰も応募者がなかったが、「高台の閑静な新築美邸、床は堅木で拭き掃除は不要。家族は少人数でみな健康。メイドルームは広くて清潔。高給保証」と書き直したら応募者の列が出来たという。
ブランドイメージを一貫させる例では、ハワイのアロハシャツが紹介されている。もともと日系人の母親が作ったものをエラリー・チュンという人が柄や着心地をハワイ風にしてアレンジして、ショップで売ったらバカ売れした。それをハリウッドスターが着たら全米で人気が出た。それからハワイアン音楽の衣装としてもハワイブランドとして定着したそうだ。
イメージのフォーマット化はブランド構築で需要なのだ。ユニフォームや広告、コピーもブランドの統一したイメージや機能を想起させる工夫が必要だ。