この本は日本の大学の教育力について、歴史的源流と新しい変化を踏まえて方向性を示すという内容である。そのため、大半が高等教育史の記述であるともいえる。
ヨーロッパの大学ではフンボルト理念に象徴されるように真理の探究のために学問の自由が保障され、それが大学の自治につながる。そのため、学生には「学習の自由」が保障される。著者はその学習の方法を「探求型」と呼んでいる。
それに対してアメリカの大学では、その多様性やユニバーサル化を経て、学生の学習について大学の「制御志向」が見られる。シラバスで学習内容が明示され、試験や小論文で常に教員と学生との相互作用を行うことなどだ。
日本の大学はヨーロッパのフンボルト型の探求型を前提に発展してきたが、90年代から制御のツールも積極的に導入してきた。21世紀に入って、ユニバーサル化の進行や不況、学力低下などの要因もあり、職業教育も取り入れてきている。
著者が考える日本のこれからの大学像は、ほとんど現状追認のような気がする。
政府の財政支出が諸外国に比べて低すぎることについては、この著者も触れているが。
『最高学府はバカばかり』が歴史のワンショットを詳細に書いているのに対して、この本は現在のワンショットを長い歴史のなかの1シーンと捉えているとも言える。
ヨーロッパの大学ではフンボルト理念に象徴されるように真理の探究のために学問の自由が保障され、それが大学の自治につながる。そのため、学生には「学習の自由」が保障される。著者はその学習の方法を「探求型」と呼んでいる。
それに対してアメリカの大学では、その多様性やユニバーサル化を経て、学生の学習について大学の「制御志向」が見られる。シラバスで学習内容が明示され、試験や小論文で常に教員と学生との相互作用を行うことなどだ。
日本の大学はヨーロッパのフンボルト型の探求型を前提に発展してきたが、90年代から制御のツールも積極的に導入してきた。21世紀に入って、ユニバーサル化の進行や不況、学力低下などの要因もあり、職業教育も取り入れてきている。
著者が考える日本のこれからの大学像は、ほとんど現状追認のような気がする。
政府の財政支出が諸外国に比べて低すぎることについては、この著者も触れているが。
『最高学府はバカばかり』が歴史のワンショットを詳細に書いているのに対して、この本は現在のワンショットを長い歴史のなかの1シーンと捉えているとも言える。