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佐藤郁哉『大学改革の迷走』ちくま新書

2019-12-21 09:06:18 | 高等教育

シラバスやPDCAがアメリカの大学や企業経営から日本の大学改革への底の浅い焼直し的導入であるという物言いはある程度理解できる。
お上の見本がシラバスのフォーマットになって広がったり、PDCAが実際にはPdCaと計画と評価だけが立派なサイクルになってしまう大学ギョーカイへの批判もよくわかる。
でもそれを500ページ弱の新書にする労力ってなんでしょうね。恨みつらみを悪口ノートに書いている性悪オタクみたい。国立の文系教員にこんな批判好きがいるのもしょうがない。
借り物の言葉でやるのがいけないなら、そうでない実践を見せればいいのでは?
文科省は大学に自主性を与えて主体的に大学を改革してほしいけど、自由にはさせたくない。許認可権、予算配分権を握りながら、学生を変える改革を進めたい。で、そこにいる教員には社会の感覚から遊離している人もいて、そういう人はやたら批判する。
そんななかであんな文科相が任命される。
入試改革をめぐる国会もそうだけど、野党は批判のための批判をするだけ。大臣は保身だけで無責任。迷走は起こるべくして起こっているんでしょうね。

前田明洋『ナレッジ・コモンズ グローバル人材を育むキャンパス空間』日経BP社

2015-01-11 09:16:45 | 高等教育
最近高等教育改革で流行っているアクティブラーニングに対応したキャンパスをどうつくるかという内容。
ラーニング・コモンズからナレッジ・コモンズへということらしい。
岡村製作所というオフィス製品を作っているメーカーからの提案でもある。

アクティブラーニングといっても、3つに分類されるという。
(1)知識習得型
(2)課題解決能力養成型(Problem-based Learning)
(3)新価値創造型(Project-based Learning)

(2)と(3)は略するとどちらもPBLなので混同されがちなのだという。
(2)はマイケル・サンデルの「トロッコ問題」の授業の作り方のような「自分の頭で考える」ことを目的とすることに有効なんだそうだ。
課題を出して、ファシリテータやティーチング・アシスタントなどをいれてとグループ討議をして必要に応じて講義も聴く。
(3)は「裸足の国に靴を売りに行く」ことを考えるような課題に向いているらしい。アイデア出しをしてエスノグラフィー研究などをやって、グループ討議、プレゼンと進んでいくようなやり方だ。

大学内で行っている学習環境はラーニングコモンズだが、卒業後も生涯学習するスタイルがナレッジ・コモンズで学生が卒業生とコラボしたりすることを目指している。

p.172で横軸にパーソナル、コラボレーション軸、縦軸に特設、可変軸で学習環境を分類しているが、結構面白い。
教員の研究室とコラボレーションスペースというのは対極に位置している。

カタカナが多い本であるが、メーカーの人が書いた本としてはなかなか深みがある。

苅谷剛彦『イギリスの大学・ニッポンの大学』中公新書ラクレ

2013-01-05 15:53:49 | 高等教育
2008年に東京大学からオックスフォード大学に移った教育学者によるイギリスの大学をレポートした本。
イギリスから見た日本の大学論についても書かれている。
オックスフォードやケンブリッジというイギリスの大学では、カレッジという共同体があり、そこではチュートリアルというマンツーマンによる教育が行われている。そこで「教育された市民」となるエリート教育が行われている。
イギリスの大学にあって、日本の大学にないのはそのようなチュートリアルという制度だ。オックス・ブッリジは労働者が行く大学ではなくイギリスの階級社会を象徴したような存在であるが、エリート教育を実績によって誇りにしている。
日本の大学改革では○○力の養成ということが言われるが、具体策になると年間で週15回の授業を行うことなど形式的な案にしかならない。その実現にも躊躇する意見もある。
そんな内容が書かれている。
また最近のポリテクの大学化以降の財政難からイギリスの大学の授業料値上げの問題も報告されている。
日本と違うのはイギリスでは学費を卒業後自分で払う制度であること。親が支払う日本の大学制度とはこれも違うことが指摘されている。
筆者が大学の秋入学について、グローバル化のなかで日本の大学にできることを提言している。
それは大学院の修士課程で1年半の課程をつくり、質の良い教育を行い、世界の優秀な人材を吸収することだ。
いま世界のトップクラスの大学では人文系の大学院修士で人材獲得競争が行われているのだそうだ。
日本の大学生の8割が私立大学に学んでおり、私立大学は財政基盤が脆弱なため、学生集めを第一に考えなければ経営が成り立たない。その悪循環で教育の質が悪くなっている。
その指摘も正しいと思う。
ただ、筆者がイギリスでもポリテクから移行した大学から世界を見れば、また大学の世界も違って見えるのではないかと思う。
立つところによって問題意識が異なると思えるからだ。
この本は財政的な余裕があり、学問の最先端でいられるオックスフォード大学からの報告である。
しかし、筆者が日本の中央教育審議会の委員などになればまたこの考えが政策となってしまうのだろう。。

清水真木『これが教養だ』新潮新書

2010-10-11 13:38:08 | 高等教育
この本は今話題になっている教養教育の議論に対して、かなり挑発的で過激な内容だ。

しかし、あまり過激に感じないのは、文体が「ございます」調で書かれ、上品とも、人を小馬鹿にしているとも受け取れる印象を与えているせいだろう。「教養」といううさんくさいテーマを論じるのは難しい。とくに日本において学生の教養教育が複雑な変遷をたどっている事情もあり、下手な意見をいうといろんなところから袋だたきにされる可能性もある。

この本の著者は現在の議論に一石を投じているようにも思う。

そもそも学生が人格を形成する上で教養は大切で、教養は古典を読むことによって身に付けるのが一般的だと考えられている。日本の大学では戦後、アメリカ型の教育システムが導入された。教育システムとして、幅広い学問分野を学んで、そこから専門を選び深く学ぶという意味で、教養教育から専門教育への積み上げ型がになっていた。しかし、それが有効には機能せず、学生からは意味のわからない抽象的な科目は面白くもないし、役にも立たないので「パンキョー」と侮蔑された呼称がつけられていた。大学の中でも専門教育に携わる教員と、パンキョーに関わる教員とでは、教授会等で微妙な優劣関係ができた。

これには専門教育の教員が演習や卒業研究を担当し、学生と親密な関係が出来ることに比べて、一般教育担当の教員は大教室で学生とは距離感があったことも遠因だろう。1992年には文部科学省が一般教育の教育効果に疑問を持ったことが背景となり、専門と教養の壁を取り払う法改正が行われ、一般教育科目の設置の有無は原則的には各大学にゆだねられた。これが実際には教養科目を減少させたり、外国語をなくしたりする教養教育の崩壊につながり、学生の狭い視野、時事問題への無関心、働く意欲の喪失、海外留学などの減少につながったとの危機意識が生まれた。文部科学省は、学術会議にこの課題を丸投げして、現在教養教育の再構築構想が検討させている。

この本では、教養について、彼女や奥さんから「仕事を取るのか私を取るのかはっきりして!」と言われたときにどのように対応できるのかで教養が問われるのだと言っている。つまり、教養の定義を、ハバーマス言う生活圏の区分「公共圏」「私有圏」「親密圏」のなかでそれぞれの行動を統合して整理できる能力としている。

公共圏=市民社会の中でみんなで解決すべき範囲
私有圏=私生活の中の労働に関する範囲
親密圏=    〃 家庭に関する範囲
教養=公共圏と私生活圏を統合する生活の能力

3つの区分での「自分らしさ」を追求することが現実の問題に対処する教養を身につけることだという。
こういう視点だから加藤周一が教養ある人間の代表のように捉えられることにも疑問を呈するし、教養=古典を読むという考え方も根本から問い直す。

古典という考え方は、紀元前1世紀のローマで言文不一致が起きたときに、書き言葉を純化させる手本として生まれたもので、昔は読む行為より文体の手本とされていたらしい。それが中世のルネサンス期を経て、ナポレオン時代のヨーロッパでは教養は実学を重視するための教育としたのに対して、フンボルトのドイツでは人間形成=古典を読むという流れになったらしい。19世紀以降の大学では、アメリカのリベラル・アーツから専門教育への方向とヨーロッパの大学での人間形成のための教養という方向に変遷していったようだ。

では、ハバーマスの区分した公共圏、私有圏、親密圏の境目が曖昧になりつつある現代の市民社会の中で、教養はどうなるのだろうか。著者の考えから推測すると、「教養ある人間」という考え方は消滅するが、3つの区分が曖昧になりつつも、なおかつ残るこの区分間で起きる問題を解決できる人間こそ「教養ある人間」に変わる理想的な人間ということらしい。公共圏、私有圏、親密圏での「自分らしさ」。教養という概念をそのように定義し直すと大学での教養教育もまた違った編成になるかもしれない。

大森不二雄【編】『IT時代の教育プロ養成戦略』東信堂

2010-04-29 09:39:29 | 高等教育
インストラクショナル・デザイナーと呼ばれる専門職がある。教育の効果・効率・魅力を高めるシステム的方法論の専門家だ。アメリカやカナダ、韓国、シンガポールなどで活躍し、eラーニングの量的普及と質的向上に寄与している。英国では公的な資格になっている。その専門家を日本で、それも国立大学で育成しようとしているのが熊本大学大学院だ。この本はそのスタッフたちがインストラクショナル・デザイナーとはどういうものか。eラーニング支援者をめぐる欧米やアジアの動向、企業の社内教育におけるeラーニングなどを解説し、熊本大学はインストラクショナル・デザイナーをどうやって育成しようとしているのかを紹介している。

通学制の大学院なのに、フルオンラインでカリキュラムを編成しているのも画期的だ。カリキュラムはID(インストラクショナルデザイン)、IT(情報通信技術)、IP(知的財産権)、IM(情報マネジメント)の4つで構成されている。

この本の中ではIMの分野で江川准教授の論文がとくに興味深い。

・・・大学という組織はフラットなネットワーク組織組織であり、とくに国立大学は部局(学部、研究科等)が大学事務局機能に連邦国家のようにつながっている特徴がある。この組織は権限が機能別に分散され分担される一方、「原始民主主義」とも呼べる権限と責任を全員が平等に保持した形態か、あるいは学長・理事長など一部のマネジメントにだけ集中したオーナー集中型の形態になりやすい。そのため、一般の企業のようなシステマティックな意思決定ではなく、全員合意もしくはトップによる独断という意思決定が行われる。大学における組織マネジメントの仕組みは教育サービスを提供するという点で効率的に機能していないのが現状である。部局間平等主義や前年実績主義が根強く、実質的な意思決定がなされていない。企業型マネジメントへの全面的意向でも文部科学省による競争原理の導入でもない「第三の道」を模索していく時期だろう。・・・

教育におけるオペレーションマネジメントについても述べている。

・・・教育におけるオペレーションマネジメントはサービスの戦略構築やマーケティング立案にたいしてその実行をマネジメントすることが対象である。効果的なオペレーションを実現することで、サービスとしての教育の付加価値やコスト・パフォーマンスはアップし改善され続けていく。特にQCD(Qualitu;Cost;Delivery)と呼ばれるプロセスが重要であり、カリキュラムの品質管理、労力やコストの効率化と適切な配分、あるいはサービス提供のス
ピードやタイミングの最適化といったことが検討される。このようなオペレーション・マネジメントを実現するためには教育現場の徹底した「見える化」が不可欠。指導計画や学習者の理解度調査、アンケートなどを図やグラフ化するだけではない。それらから導かれる問題点や情報の共有化を行い、組織としての能力向上にならないといけない。今後はどうやってそれを実現するかが課題である。・・・

こういう画期的な教育プログラムが国立大学で実施できたのは、アメリカで教育を受けた日本のIDの第一人者である鈴木克明教授の存在とこの本の著者である大森不二雄教授の政治力が大きな要因だろう。
大森氏はもと文部官僚だが、ゆとり教育が推進されているときにそれを批判する本を出版して話題になった経歴の持ち主である。こういう人を受け入れるパワーが国立大学のなかにもあるのだと感心した。

吉田文『大学eラーニングの経営戦略』東京電機大学出版局

2010-03-28 23:49:47 | 高等教育
この本が書かれたのは2005年。この5年でWebCTとBlackboardがいっしょになってしまったり、サイバー大学や熊本大学大学院のフルオンライン教育ができたりして、大学eラーニングの状況もずいぶん変わった。
日本の先進事例で玉川大学と青山学院大学が取り上げられている。どちらも正規授業で通信学習と対面授業を組み合わせたブレンディッドと呼ばれる方法で成果を上げている。こういう先進事例が技術革新された設備に乗り換えられずに取り残されたりするご時世だ。
ポーターの言うところのある技術で先行していてもその技術に縛られると先行者利得が失われてしまうのだ。技術の進歩が激しい分野ではときどき見られる。PHSなどがあてはまる。
導入するには技術発展の速度の見極めも重要だろう。
eラーニングは復習にも便利だが、便利なだけにいつでもできると思ってしまう。この現象
を「夏休みの宿題」というらしい。

山本眞一ほか『大学のマネジメント』日本放送協会出版

2010-03-09 00:18:22 | 高等教育
山本眞一氏の監修による放送大学大学院のテキスト。
放送大学ではこの講座をラジオで放送している。いまどき講義をラジオでか、とも思うが、誰でもスカパーから無料で聴ける。薄いテキストだが、聴いてみるとテキスト以上のことは何も話されない。これが大学院の授業に使われているのかと思うと???だ。

まあ、大学関係者でなければ珍しいことばかりなので、特殊領域のマネジメントとして専門性があるということなのだろう。
でもあらためて大学のマネジメントをテキストとして読むと、本当に未成熟な分野だと思う。入門書でもせめてドラッカーの『マネジメント エッシェンシャル版』くらいの内容はほしい。

教育や医療という領域は国家の法的規制の問題や中小規模の組織が多いという性格から前近代的経営システムが温存されているという特性がある。マネジメントという考え方が浸透していない未開拓の組織が多いのだろう。

ドイツを初めとするヨーロッパの大学を起源とする学問の自由と大学の自治の思想からくるアカデミズム至上主義や教員による同僚支配の考え方。マネジメントに未熟な特定の学問領域の学者がマネジメントに責任をもつことになる組織の矛盾。この業界に特有のこういう問題はよくわかるが、それを解決するための基本的なフレームワークくらいは提示してほしい。

大学のマネジメントといってもこの本の内容は、大学マネジメントの社会学的研究という程度のものだ。

和田公人『失敗から学ぶeラーニング』オーム社

2009-12-28 22:55:59 | 高等教育
 日本初のeラーニング通信制大学の八洲学園の理事長が書いた本。
 eラーニングはあくまで教育の一手段であるというスタンスでその限界を知った上で、どうすれば効果的な教育が行えるかを述べている。40歳代の若い理事長だが、教育に意欲的だ。
 大学業界でのベンチャーはこういう形でないと難しいのかもしれない。大学はブランド性、地域性の制約が強い市場だ。八洲学園はそれらから開放された形の大学である。しかし、サイバー大学など競合の出現により募集エリアの広域性が、逆にライバルの出現がどこからでも現れるという脅威になる。
 手段としてのeラーニングを考える場合、大学システムのどの部分をIT化により効率化するか、授業にどのようにeラーニングの有効な方法をとりいれるかがポイントになるだろう。学習者管理システム、授業そのものなどそれぞれどういう目的でIT化するかが大切だ。しかし実際には、IT企業からの強力な売り込みがあったからとか、他大学もやっているからとか、委員会が立ち上がったからなどの理由で導入している大学も多い。そういう大学はコストと効果の問題が徐々に深刻になりやがて消滅する。
 八洲学園はすべてを学習者支援システムをすべてIT化して効率化している。eラーニングもすべてLIVEというシステムにより、通学制に近い環境をつくっている。 画面を見ると教材提示の自由度や理解度のボタン設置、受講者のチャットでの授業参加など工夫が凝らされている。

水月昭道『高学歴ワーキングプア』光文社新書

2009-02-22 23:23:19 | 高等教育
学位を取るのに10年以上かかっても就職口がなく、パチプロとして生活する博士。非常勤講師や肉体労働で食いつないでいる博士など博士号取得者の「悲惨な」生活実態が描かれ、これは無計画な文部科学省の大学院増設政策の犠牲者だという。大学の教員(とくに地方国立大学の教員)も自分の研究室に所属する大学院生欲しさに安易に進学させたのでこの事件の共犯らしい。政府は学歴にふさわしい職を与えるべきというのが著者の主張。
大学院修了生は無能だから職がないのではなく、研究室や学会、教員らとの細々としたつきあいも多いのでコミュニケーション能力も高いという。

「高学歴ワーキングプア」は今や社会問題となり、文部科学省もポスドク対策などを通知したりしているので、この本の主張は的はずれなことばかりではないと思う。
秋田県の教育委員会などは博士号取得者を優先的に教員に採用する方針を出している。

しかし、「高学歴ワーキングプア」問題はいろんな要因が絡みあっていて問題設定とその解決はそう簡単ではない。
この本では職のない博士号取得者が被害者で政府や大学が加害者のように描かれている。けれど最近の「内定取り消し」学生と破綻企業のような契約上の問題があるわけではない。つまり誰が被害者で誰が加害者かという証明は簡単ではない。
それに博士号取得者が博士号を取得した後で、初めて職がないのに気が付くということはまずない。博士は専門領域の知識には造形が深いが、職業需給ギャップの知識には疎いのだということには説得力がない。研究者の多く(特に文系)が将来のことなど深く考えずに大学院に進学し、気が付いたら後戻りできなくなっていたということなのだろう。自分自身のキャリア設計におけるリスク管理の問題でもある。

採用試験の面接担当者になったりすると、大卒後2年で転職した者と大学院修了者では明らかに社会体験に差があり、コミュニケーション能力にも差があるのがわかる。
「これまでで一番つらかったことは?」とか「達成感を感じたことは?」と聞くと大学院修了者は「修士論文を書き上げたこと」が一番多い。文系の研究で、冬にこたつに入って眠いのをガマンしながら書きあげたことが人生で一番達成感のあったことと堂々と言われると、???と思う。2年間の研究生活は何の目的があって、誰のために費やした時間なのだろうか。そういうことを面接で言って、感心する面接官がいると思っていることが信じられない。

 文部科学省は大学院時代のインターンシップなどを奨励しているようだが、社会体験を得るためにはそれも一つの方法だろう。
 ミンツバーグはビジネススクールは企業経営のようにアート(直感)、クラフト(実務経験)、サイエンス(分析)のバランスが必要と言っていた。ビジネススクールに限らず大学院教育にはこれら3つのバランスが必要なのかもしれない。
 この本自体は薄っぺらな内容だと思うが、この本をきっかけに大学院で学ぶ意義と今の大学院教育の問題点をあらためて考えさせられる。

三浦展『下流大学が日本を滅ぼす!』ベストセラーズ

2008-10-02 23:58:12 | 高等教育
著者が50歳でシンクタンクで働いていたということに驚く。それほどデータの裏付けにも欠き、主張の根拠付けのない本だ。
著者の理想とする社会は、大学進学率20%で、高校、短大、専門学校と一部の大学は職業大学として再編するものだそうだ。それに大学はオンラインでどこでも学べるという。
大学の存在は現在の経済水準、求められる労働力の質、政府の行政政策抜きには考えられない。そのなかで市場としての大学の需給バランスがある。アメリカ、韓国など進学率50%を越える国に共通の問題だろう。学力低下問題にはこの需給バランスがある崩れていることも一因だ。しかし大学を減らすことだけで清算できる問題ではない。生活水準と労働意欲、中等教育での学力低下など複合要因を一つずつ解決していくしかないだろう。
しかしこういう本が売れること自体が大学があまりにも大衆化して多くの人々に関心事になっているせいなのかもしれない。