シラバスやPDCAがアメリカの大学や企業経営から日本の大学改革への底の浅い焼直し的導入であるという物言いはある程度理解できる。
お上の見本がシラバスのフォーマットになって広がったり、PDCAが実際にはPdCaと計画と評価だけが立派なサイクルになってしまう大学ギョーカイへの批判もよくわかる。
でもそれを500ページ弱の新書にする労力ってなんでしょうね。恨みつらみを悪口ノートに書いている性悪オタクみたい。国立の文系教員にこんな批判好きがいるのもしょうがない。
借り物の言葉でやるのがいけないなら、そうでない実践を見せればいいのでは?
文科省は大学に自主性を与えて主体的に大学を改革してほしいけど、自由にはさせたくない。許認可権、予算配分権を握りながら、学生を変える改革を進めたい。で、そこにいる教員には社会の感覚から遊離している人もいて、そういう人はやたら批判する。
そんななかであんな文科相が任命される。
入試改革をめぐる国会もそうだけど、野党は批判のための批判をするだけ。大臣は保身だけで無責任。迷走は起こるべくして起こっているんでしょうね。