(2025年04月13日[日])
目取真俊さん「年がら年中思いますよ。言っときますけども、こんなこと好きでやっている人間1人もいないですよ。やらざるを得ないからやってるわけですよ。何のヒロイズムもなければですね、明日明後日に成果が出ると思っている人なんていないと思いますよ、今でもやっている人は」。
琉球新報の三つの記事。2番目が酷過ぎる…。
【国「辺野古が唯一」 従来方針繰り返す 普天間合意から29年、返還されず 沖縄】(2025/04/12)(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4144908.html)《【東京】日米両政府が米軍普天間飛行場の返還に合意してから12日で29年になることについて、林芳正官房長官と中谷元・防衛相は11日の会見で、普天間の危険性除去のた…》。
言うに事欠いて…。【「沖縄が努力していれば、もっと早く進んだ」中谷防衛相、普天間返還で主張】(2025/04/12)(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4144911.html)《【東京】中谷元・防衛相が10日の参院外交防衛委員会で、米軍普天間飛行場の全面返還が実現していないことについて「もっと沖縄県が努力をしていただければ、もっと早く…」…》。
【デニー知事「政府が『辺野古が唯一』にこだわるから」 防衛相に反論 普天間返還進まぬ理由で応酬 沖縄】(2025/04/12)(https://ryukyushimpo.jp/news/politics/entry-4144913.html)《玉城デニー知事は11日、米軍普天間飛行場の返還合意から12日で29年が経過することを受け、閉鎖・返還が実現しないのは「政府が『辺野古が唯一』という考えにこだわ...》。
『●百田尚樹氏、沖縄の地で「デマを並べ、
沖縄への米軍基地集中を正当化」…態度・人間性・思考のお粗末さ』
『●「第二の加害者」として「悪質なデマ」
「事実関係を無視した沖縄攻撃」「蔑視・差別」、沖縄イジメに加担』
《安田が本書の取材を始めたきっかけは、昨年6月に自民党の
「文化芸術懇話会」で作家の百田尚樹が発した
「沖縄の2紙はつぶさなあかん」発言だった。本書は、百田と
出席議員の発言内容を詳細に書き起こし、反証するところから
始まる。たとえば、百田のこの発言だ。
「もともと普天間基地は田んぼの中にあった。周りに何もない。
基地の周りが商売になるということで、みんな住みだし、
いまや街の真ん中に基地がある。騒音がうるさいのはわかるが、
そこを選んで住んだのは誰やと言いたくなる」
安田は、地元の古老の証言や郷土史誌の記述から、
この百田発言が全くの事実無根であることを示す。》
《安田はこうして記者たちを訪ね、資料を掘り起こしながら、さまざまな
「嫌沖」の俗説・風説を覆す証言や記録を拾っていく。
「沖縄経済は基地依存」という神話。
「米兵よりも沖縄人のレイプ犯罪率の方が高い」という中傷。
「沖縄の新聞は基地のことばかり書いている」という
全国メディアからの揶揄。
「沖縄の新聞が反基地・政府批判を扇動している」という誤解…》
『●「戦没者への冒瀆」=「人柱」…普天間は決して返還されず、出来もしない
新基地のためにドブガネしつつ、美ら海に土砂をぶちまけるヒトデナシ…』
『●《欠陥飛行場》米軍普天間飛行場…《本来なら移設条件を付けずに直ちに
閉鎖すべき軍事施設だ。閉鎖できないのは政治の不作為である》』
『●6月ジャーナリズム…《戦争について集中的に報道される様を指す。記念日
までの雄弁さと、対照的にその時期以外は沈黙するメディアへの不信》』
『●《“環境アワセメント”…仲井真知事時代は、最初から埋め立て承認のゴール
(結論)ありきで、それに向かって環境アセスメントが進められてきた》』
『●軍事費倍増して軍事国家になり下がるというトンチンカンな国…ニッポン
の《有事》は少子化であり、食料と農業を守ることが安全保障である』
【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/
「季刊 目取真俊」40回】《辺野古の新基地建設など愚の骨頂
である。滑走路が短く、輸送機が運用できない新基地は、
普天間基地の代替施設にはなり得ない。那覇空港の米軍使用を
認めなければ、新基地ができても普天間基地は返還されない。
その予算を教育に回す方がはるかに社会のためだ。》
日々ドブガネし、土砂をぶちまけ、辺野古・大浦湾は破壊されゆく。新基地は完成する目途もなく、新基地の完成に関係なく普天間も返還されることはない。N値は0、費用と工期は∞…新基地が完成する訳がない。辺野古には何の「益」もなく、単なる破壊「損」…。
RBCのインタビュー記事【「自分だけ知らないふりはできない」 芥川賞受賞作家の目取真俊さんが長編小説を描かなくなった理由 戦後80年の沖縄で「自分が最後の1人になっても…」】(https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/1838764?display=1):
▼目取真俊さん「(抗議活動を行っている)人を見捨ててですね、自分だけ知らないふりしてですよ、日常生活に返っていくことなんてできないですから。これは性格の問題ですよ最後は」
―やめたいなと思わないですか?
▼目取真俊さん「年がら年中思いますよ。言っときますけども、こんなこと好きでやっている人間1人もいないですよ。やらざるを得ないからやってるわけですよ。何のヒロイズムもなければですね、明日明後日に成果が出ると思っている人なんていないと思いますよ、今でもやっている人は」
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【https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rbc/1838764?display=1】
「自分だけ知らないふりはできない」 芥川賞受賞作家の目取真俊さんが長編小説を描かなくなった理由 戦後80年の沖縄で「自分が最後の1人になっても…」
RBC 琉球放送
2025年4月7日(月) 16:03
「水滴」で受賞した芥川賞など、作家として数々の功績をあげてきた目取真俊さん。実は15年以上も長編作品を発表していません。その背景に何があるか、ロングインタビューを行いました。
▼目取真俊さん「書きたいことはいっぱいあって、もっと書きたいんだけれども、そこら辺はずっとジレンマですよね。結局は能力と努力の問題で、それが不足していたというだけなんですけどね」
戦争で起こったある出来事を隠して生きてきた主人公や、沖縄戦の記憶を背負って生きる人々を描いた短編「水滴」で目取真さんは1997年に芥川賞を受賞しました。
県内の作家を精力的に紹介している大城貞俊さん。目取真さんの小説には、他の作品にない魅力があると言います。
▼大城貞俊さん「“水滴”を読んだときの衝撃はとても大きかった。それ以降、芥川賞作品、それ以前もそうですが“水滴”以上の作品はないんじゃないかなと思うぐらい優れた作品だったような気がします」
▼大城貞俊さん「目取真くんの作品はとってもインパクトがある。そのインパクトは私達に物の見方とか考え方とかを変えるほどの力を持っている。そこが彼の魅力の一つであるし、特徴の一つでもあるように思いますね」
目取真さんは芥川賞の他に2000年に「魂込め(まぶいぐみ)」で川端康成文学賞を受賞するなど、華々しい功績をあげてきました。さらに2000年代後半には2つの長編小説を発表し、旺盛な執筆活動を続けます。
しかし、2010年以降、執筆のペースは落ち、長編を発表していません。背景には、普天間基地の辺野古への移設に反対する活動や、東村高江のヘリパッド建設に対する抗議行動に、連日参加するようになったことがありました。
▼目取真俊さん「(抗議活動を行っている)人を見捨ててですね、自分だけ知らないふりしてですよ、日常生活に返っていくことなんてできないですから。これは性格の問題ですよ最後は」
―やめたいなと思わないですか?
▼目取真俊さん「年がら年中思いますよ。言っときますけども、こんなこと好きでやっている人間1人もいないですよ。やらざるを得ないからやってるわけですよ。何のヒロイズムもなければですね、明日明後日に成果が出ると思っている人なんていないと思いますよ、今でもやっている人は」
▼目取真俊さん「あと50年100年経って沖縄の人が見たときに、ちゃんと抗議して戦ってきた人がいるんだと、こんな不当な形で工事が起こったんだということをやっぱりどっかで知らせたいわけですよね」
時には早朝から深夜まで連日続いた抗議行動。目取真さんは作家として力を存分に発揮することができる50代から60代の時間を、こうした抗議行動に投じてきました。小説のための時間を失ったとは思わないのでしょうか。
▼目取真俊さん「韓国でもベトナムでもですね台湾でもずっと独裁体制が続く中で、書きたくても書けない。拷問を受ける弾圧受ける、出版もできない。そんな地域がざらにあるわけですよ。そういった中でやっぱできなかったっていうのは、それはもう能力と努力の不足であってですね、それ以外の理由を持ち出したら他の国の人から笑われると思いますよ」
祖父母と両親の3世代が同居する家庭で育った目取真さんにとって沖縄戦の体験談を聞く機会は多く、戦争は身近なものでした。
▼目取真俊さん「おじい、おばあが(戦争のことを)よく語ってくれたから、それは身近なもので、想像力が働いて祖父祖母の立場になって考えることが可能なわけです。実際に体験した人の話を聞くのは、肉声を伴っているからリアルに響きますよ」
親族の話を聞くことで、戦争につながるものを拒む信念を確立していった目取真さん。さらに多くの戦争体験者の証言や記録を読むことを通して、沖縄戦への理解を深めていきます。
▼目取真俊さん「一番生々しい体験って読むことですよ、やっぱり。それが人間の人間たる所以でですね、想像力があるわけだから。例えばある本の中で、シュガーローフの戦いで生き残った人がですね、もし戦場の体験を少しでも味わいたいんだったら、自分の体が入れるほどの穴を地面に掘って、そこに泥と糞と血を、いっぱいいっぱい詰め込んでその中に浸かって、耳のすぐそばで大音量で爆弾の音とかそんなものを再生してですよ、こんなのに1日でも1週間でも浸かっていれば、あの戦場の体験を少しは理解できるというわけですよ」
小説を書く力の源でもある「沖縄戦の理解」。しかしその思いが、基地反対運動に身を投じ、書く手を止める理由でもありました。
「沖縄差別の現実を変えない限り、沖縄の戦後は永遠にゼロのままだ」
戦後60年目、2005年に出版された本にある目取真さんの言葉です。戦後80年となった今、運動に没頭した目取真さんの目に沖縄はどう映っているのでしょうか。
▼目取真俊さん「自衛隊がどんどん入ってきて、沖縄が今度また南の領土の拠点という形でですね、ミサイル基地化してるわけですから、悪くなる一方だったんじゃないですか。あえて20年前”戦後ゼロ年”という言葉を使いましたけどね、20年って何か変わったか何も変わってないですよ。でも何かやっぱり社会状況が変わればまたたくさん人が集まって一気に立ち上がる場合だってあるわけですよ。ただそのための火は消してはいけないわけですよね。どっかの小さな火でも灯っていれば大きく広がる可能性があるけども、完全に消えてなくなればそこでおしまいですから。だからせめて自分が最後の1人になっても体が動く限りはやろうという気持ちになる」
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