まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

キセキ

2013-01-23 16:00:02 | 想い

この間の日曜日の福音朗読は、【カナの婚礼】のところでした

婚礼の席で、ぶどう酒がなくなってしまい、
イエス様の指示した通り、空の水がめを水で満たし、
婚礼のお客様にお出ししたところ‥。

水はぶどう酒に変わっていた

っという、イエス様が初めて行われた奇跡のお話として、
大変有名な箇所です


まぁ、もちろん、子供向けの絵本にもなっているとおり、

(水がぶどう酒に変わったという)
ミラクルなお話=奇跡 で、
もちろん、それでいいんですけど


実は、私、某神父様が仰っていた、

「それは、お客さんに出したくなくて隠してあった
  いいぶどう酒を出してきただけや。」

という、解釈が、実は大好きです


子どもの頃なら、

え~!?そんなぁ
と、興ざめに思ったと思うんですが
今は、こっちのほうが、すごくしっくりきます


だって
「出したくない。出せない!!」

と思っていたものを、お客さまに供する、というのは、

その家の主人の心に、劇的な変化があったということ

‥これぞ、ミラクルかと


水をぶどう酒に変えることは、私には逆立ちしてもできないけれど

でも
「出したくないとの思いで
頑なになっってしまった人の心をほぐすことなら‥

もしかして、もしかすると、私にもできるかもしれない

つまり

このアタシも、奇跡を起こすことができるのかもしれない

 

また

同じように、イエス様が行った奇跡として有名な話、


「食べるものがない、どうしましょう」という時、
一人の少年がイエス様に5つのパンと2匹の魚を差し出した。

イエス様がこれらの食べ物を皆に分け与えると、
その場にいた5千人のひとが満腹になり、
また、そのあまったパンくずを集めると
12のかごがいっぱいなった

‥というお話
(これも、絵本のお話になっています

これも、

イエス様が、マジックのように
パンを次々と増やしていった

と、文字通り受け取るよりも、

それぞれが、めいめいに抱えていた、
「自分用」の食べ物を、
周りにいる人に分け与え始めた

と解釈をするのが、私は好きです


「これは、オレのだからっ」と抱え込んでいるうちは、
全員が満たされる‥なんてことはあり得ません

でも

自分に本当に必要なのはどれだけなのかを考え、
周りの人たちと分かち合うことを始めると‥

きっと、有り余っているんですよ、それぞれの懐の中は

 

奪い合えば、足りない けど。

分かち合えば、余る  ‥んですよね


抱え込んでいるものを、少し手放してみたら?と、
誰かの心に呼び掛けることなら、
この私にもできるかもしれない


つまりは
この私にも、こんな奇跡が起こせるのかもしれない

ちょっとした、私ののお話でした


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