まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

アイリッシュハープ ふたたび♪

2008-12-01 11:10:49 | 想い
去年、アイリッシュハープという記事で書きましたように

去年度の私立幼稚園PTA大会の研修会では、
講師に、永山友美子先生という方をお呼びして、
アイリッシュハープの演奏と講演をお聴きしたわけですが
私と同じように、大変感銘を受けた人が、他にもたくさん居たんでしょうね
今年度の同じ催しも、同じ講師の先生をお呼びしているとのことを
cmから教えてもらいましたので
現在、ウチには幼稚園児はいないというのに
先週の28日(金)に、今年度のその研修会(演奏会)に行ってまいりました
(あ、もちろん、タユの行ってた園の園長先生にお願いして、
 OKをもらったので行ったのよ

お話の流れや、内容は、去年とよく似ていたし、
去年と違ってエくんがたいへん賑やかだったので
ほとんど「ロビーで聴いていた」といってもいいんですけど

いやはや、それでもやっぱり、たいへんよかったです

去年ここに書き逃したお話も、そうそうと聴きましたし、
去年聞けなかったお話も、伺えました


そのお話をいくつか、また、メモらせてもらいます

赤とんぼという名曲の前には、こんなお話を

 『夕やけこやけの 赤とんぼ おわれて みたのは‥』とありますが
 あれは「追われて」見たわけではありませんね(笑)
 「お母さんの広くて暖かい背中におんぶされて」という意味ですね。
 最近のお母さんは、あまりおんぶというものをされないようですね。
 私は、あの、抱っこひもというものが好きではありません。
 お母さんが転んだら、真っ先に赤ちゃんの頭が危ないでしょう?
 おんぶなら、その心配はない。
 もし、しりもちをついたとしても、痛むのは、
 お母さんの大きなおしりのほうでしょう(笑)?
 『三つ子の魂百まで』という言葉を、
 最近流行りの幼児英才教育とやらをごく幼いうちに‥
 といった意味に、使われることがあるようですが。
 その本来の使い方は違います。
 子どもが(3歳くらいまでの)幼いうちに、
 背に負い、膝にのせ、いっぱい語りかけて、精一杯の愛情を注いで、
 その時期その時期にあったことを、ゆっくり楽しめばいい。
 そんな、とても簡単なことなんです。

 それらをしっかりやっておいて、しっかりした絆ができていれば。
 
 もし、難しい年頃になって、
 人の道を踏み外しそうになることなんかがあったら、
 殴ってでも、首に縄をかけてでも、
 こちらへ引き戻すことができるでしょう?
 この期に及んで「子どもの自主性を‥」などということを言うのは、
 私からしてみれば、育児放棄にほかなりません!!
 子どもなんて、あっという間にどこかへ行ってしまうんだから!!

 ‥だから、今、しっかり抱きしめて、愛情を注いで。
 愛しているということを、ちゃんと、美しい言葉で、伝えて‥。

と。
語気を強めて、また、声を震わせて涙ながらに、話して下さいました。

そして。
先生は、様々なところへ呼ばれ、楽器を手に、行かれるそうです。
その中には、去年も書いたように普通の学校もあれば、病院もあり。
刑務所や少年院といったところへも行かれるそうです。

 ある刑務所に、明らかに普通の精神状態ではない方がおられました。
 一曲一曲聴くごとに、感情が高揚されて、ハイになっていかれるのです。
 最後に「何か、リクエストの曲はありませんか?」とお尋ねしますと
 その方は「秋桜(コスモス)!!」と叫ばれました。
 私は、「私も、大好きな曲よ。」と答え、その曲を弾きました。
 後に送られてきた感想文には、名前などの個人が特定できるようなことは
 一切書かれていないのですが。
 恐らくあの方だろうな、と思われる一枚が入っていまいした。
 全部ひらがなで、つたない文字がつづられているその紙には。
 「むすめといっしょに こすもすを ききたいです」とありました。 
 察するに‥。
 あの方は、もう、娘さんと会えないのだろうな、と思いました。

 皆さんは、目の前に、大事な我が子が、元気な姿で居るのでしょう??
 それ以上の、何を望むというの??

 また。
 ある女子少年院に行ったときには、「なごり雪」を弾きました。
 後に、手元へ送られてきた感想文の中に。
 「先生の音楽も、お顔も服も、とてもきれいでした(←センセイ、お茶目だから
  でも、一番きれいだと思ったのは、先生のハープを弾く手です(
  私の手は、タバコを押し当ててできた傷だらけです。」
 その子が、一番好きだと書いてくれたのが「なごり雪」でした。
 そして、その感想文の最後の一文に、目が釘付けになりました。
 「いつもお母さんが台所で歌っていた歌だからです。」
 と書いてあったのです。

 そんな、ごく普通の当たり前の家庭に育った、その子に、
 一体何があって、そのような場所に居なければならないのか?
 を思うと、とても胸が痛みました。

 私は、あの子に、何をしてやることもできません。
 手に一生消えない傷を受けてしまったことに負けずに、
 強く、明るくその道を歩いていって欲しい‥、
 そう願い、祈ることしかできません。

‥そんな話でした。

でも。
こうやって、その子のことを私たちに話してくださり、
私たちが自分のまわりを少しでもさらに明るく、暖かくしたい!!と
思わせてくださったのだから‥。
先生は、「何もしていない」訳では、きっと、ないのだろうけど。

そんな場所へも、楽器を手に入って行くことができ、
誰かの心に触れ、暖めたり、癒したりすることができる‥。
先生も強く仰っていましたが、
音楽って、素晴らしい!!


アンコールでは、
「涙そうそう」の曲にのせて葉祥明さんの詩を紹介されました。

「母親というものは」

母親というものは
無欲なものです
我が子がどんなにどんなに偉くなるよりも
どんなにお金持ちになるよりも
毎日元気でいてくれることを
心の底から願います
どんな高価な贈り物より
我が子の優しいひと言で
十分すぎる程幸せになれる
母親というものは
実に本当に無欲なものです
だから
母親を泣かすのは
この世で一番いけないことなのです



ほとんどが聴いたことのある話だったけど。
当たり前っちゃあ、アタリマエな話ばかりではあるのだけど。
それでもやっぱり。
あったかい人からの、その人の心のこもった言葉は、
大変、心に響きますね