フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

夏雲がやってきた

2010-07-16 23:03:16 | Weblog
昨日は午前中に日本語授業実習の観察と反省会。

後半の最初と2番目のクラスは場面重視の応用練習をしていたが、昨日は挨拶と会話の練習。じつはこの会話の練習というのが、うまく手順を踏んでいかないときれいに出来ない難物なのだ。場面重視の練習は「場面性」にあまりに真面目に取り組むと楽しくなくなるという点だけおさえておけばよいのだが、会話練習の場合には会話がどのように作られていくかという部分(その主要部は隣接ペアの作り方と話題の展開の連鎖)についてよく整理して練習させる必要がある。そこの指導が甘かったというのがぼくの反省。それでも一生懸命、実習に取り組む学生達の姿はやはり美しい。

午後は会議を2つこなしてから、10月初めに予定している合宿の相談。今の学生達は共同で作業をしたり、意見を交わしたりするのが苦手だという話が出てくる。合宿でそんな学生同士の壁を乗り越える機会が出来ればいいのだけど。昨今の先生はそんなことまで気を使わないといけないらしい。

今日は午前中に講義、午後は院の合同ゼミと学部のゼミ。院生のゼミでは、このところいろいろな雑誌のここ10年間の傾向をキーワードから読み取る作業をしてもらっている。今日の発表で盛り上がったのは、雑誌2件を見ると、ほとんど同じキーワードがないということだった。もちろんその一部(たとえば、学習者××、学習者○○のように)は共通であるのだけど、キーワードを1つ1つ厳密に見ると重なるものは極めて少ない。

ぼくの知っている範囲ではアメリカやオーストラリア、いわゆる英語圏の場合は、分野別にキーワードを集めた辞典のようなものがあって、そこから自分の論文のキーワードを選ぶように指導されることが少なくないように思う。だから、どのキーワードがここ10年で一番多く使われているかといったことが調べられるし、自分の研究がどのようなキーワード分類に位置づけられるかがわかることになる。しかし、日本の雑誌を見ると、重なるものがない、ということは、つまりみんな好き勝手にキーワードを付けているということになる。

だからいろんなキーワードがちりばめられるばかりで、研究が蓄積されていかないということにもなるのだろう。ま、それが現実に近いのではないかな?

写真は朝の夏雲を車から撮る。昨日の午後から空の青さが増している。
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