フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

ニューヨークの地下鉄

2006-09-17 00:07:57 | NYC after 25 years
8月3日に成田を発ったアメリカン航空は14時間後、その日の夕方にニューヨーク、JFK空港に着きました。JFKだけでなくアメリカはじつに25年ぶりです。その頃の事情についてはold storiesのほうに少しずつ書いているので、そちらもどうぞ。

とくに何を書こうという計画もないのですけど、内省しすぎるとタイプが出来なくなりそうですから、とにかく思いついたことを軽佻浮薄に書いておきます。

写真はホテルの最寄りの96th street地下鉄駅のホーム。天井が低いのと、その天井を支える横の鉄の梁がはっきりと曲がっているのがわかりますか?しかしよく見ると、曲がっているのは梁だけでなく、天井も線路も曲がっている様子...社会資本整備がおそらく40年以上止まっている。

地下鉄のホームのほとんどは冷房がなく、熱気がたまっていて、もうサウナ状態でした。ときどき運悪く乗り合わせた地下鉄車両にも冷房がなかったりします。だから地下鉄に潜ろうと地上から階段を下りていくときには覚悟を決めて息を止める気持ちだったのです。おまけにチケットを自動改札機のスリットにスッと通すのですが、それが何度やっても感知してくれなかったりすると、乗る前から汗だくになったものです。

よく乗っていたのはマンハッタンの西側を南北に走る1番でしたが、途中、リンカーンセンターあたりかな、工事中の穴の中を通るところがありました。裸電球が5~6本、縦に並べた照明がぶら下がっています。一瞬、屋台かなと思うような灯りです。その下に見えるのは掘削機の車両と、岩を積んだ車両。黒い岩がごつごつとそのままむき出しになっているし、何度そこを通っても工事をしている人間は見えないし、木枠で天井を支えているその先には広い闇が続いているようだし、というわけで、もしかして映画の舞台装置?それとも地下住人の出入り口?などと空想していました。

社会資本整備が数十年止まっている、むきだしのすごみ、そんなことを感じさせる地下鉄です。逆に言うと、数十年前と同じ手触り、動作が必要なわけで、そのへんはすべてが選択肢もなく新しくなってしまっている社会とはひと味違うとも考えられる地下鉄です。
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