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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

第16回言語管理研究会 

2008-06-22 19:00:34 | research
昨日は今年度最後の定例研究会でした。「多言語話者の言語権と言語管理」というテーマで、麗澤大の山川先生に南チロルの多言語状況と言語権について話して頂きました。木村護郎クリストフ先生(上智大)にはその後、ディスカッサントとして言語管理における言語権の意味することについてコメントもお願いしました。

南チロルは少数言語話者に対する言語政策がもっともうまく進展してきたところとして、イタリア語話者、ドイツ語方言話者、さらにはラディン語話者の間で、個人としての言語権のみならず、集団権もまた在る程度まで細かに規定した法律を持つ地域だそうです。だから人口比(じつは申請比)に合わせて公務員比率をドイツ語系とイタリア語系で決めることも行われているのだそうです。ただし、最近の若者たちや高学歴の人々の間にはどちらかのグループに属さざるをえないことに対する批判があるそうで、つまり、言語権に基づく言語政策は、少数言語話者といえどもある少数言語の母語話者としてしか扱われていないことを意味しているということになるわけです。この点、議論の中で少数言語話者は必ず多言語話者でもあることの確認とともに明らかになりました。もちろん、欧州において言語権が具体的なイメージを持っているのに対して、日本や中国などでは法律とは別な民間の、権利とは異なる人間関係が大きな力をもっていることについても、議論はありました。

さて、これで2年にわたった多言語使用者の言語管理というテーマはひとまず終わりになります。多言語使用者を対象にしながら、母語話者、接触場面、言語共同体、権力、言語権といった重要な概念が再検討され、研究の中に採り入れられる可能性が生まれてきました。多言語使用者については中心メンバーは引き続き研究を継続していくつもりなので、来年度(9月から)も類似したテーマになるかもしれません。もし年間テーマについて提案などありましたらご連絡下さると助かります。
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多言語を切り替える

2008-06-20 23:10:08 | research
ここ2日間、先日、話を聞いた朝鮮族の二人に改めてコードスイッチングの調査をお願いしました。

3言語を使う人は世界の中で考えればごく普通のことと言ってよく、ヨーロッパの人間はもちろん、アジアにも、そしてわれわれもまた能力の差はあれ、その中に入るでしょう。だから朝鮮族の人々に何か特別なことがあるかというとそんなことはなく、逆にこの調査を通じて多言語を切り替えるとはどのようなことなのかが、わかるのだと思います。

ポイントとしては:
(1)3つの言語の能力が同じではない
(2)基盤となっている言語環境(日本語)の社会文化経験が言語使用に影響を与える
(3)朝鮮族については2言語併用が最も自然な言語使用である
(4)共通言語場面(朝鮮語と韓国語)では言語以外の社会的・文化的な距離が管理を引き起こす
といったところでしょうか。

こうした要因が切り替えに作用してさまざまなバリエーションを生じさせているように感じます。
これから細かな検討に入ることにします。
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言語政策学会研究大会に出席

2008-06-15 23:34:52 | research
昨日は早稲田で行われた言語政策学会の関東地区研究大会に初めて出かけました。
出かける前に震度3の地震に驚きましたが、東北が震度6強と分かってこれは被害が心配と思いながら家を後にしたのです。

研究大会では懐かしい顔が何人もいて、しばし歓談できたのがよかったです。

講演、シンポジウム、それぞれ興味深い内容でしたが、とくに国際移住機構(IOM)駐日代表を務めている中山氏の話はとても明快で勉強になりました。

スイスに本拠を置くIOMに長く勤めている方だけあってEUの政策や情勢にとても明るいのです。最近のEU内では社会統合が試みられており、移民と国民の双方向の統合化が考えられてきているが、それは日本の「多文化共生」のスローガンと似ているかも知れないという指摘は面白かったです。なぜならそれは多文化共生の良い面も照らし出しているかもしれませんが、弱い面もまた明らかにしていると考えられるからです。統合政策にはおそらく「市民」の普遍的なリアリティを再構築しようとする姿勢があるのだと思います。しかし、日本にモダンな市民概念がない以上、多文化共生と統合政策とは似て非なるものとも言えるのではないかと危惧します。

中山氏はさらに双方向性の象徴的な政策として、出身国別に移民の代表者を集めた政策会議を設置して、移民政策に対する提言や議論をする場を法的につくったドイツの例を出していました。

アイヌの人々と日本政府との円卓会議も、まんざら絵空事ではないのだと思った次第です。
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第15回言語管理研究会定例研究会

2008-06-01 21:40:17 | research
言語管理研究会は9月から新しい年次を始めることになっていて、昨日は定例研究会の今年度3回目の研究会でした。4月のアムステルダムの社会言語学会の報告を神田外語大のファン先生と私とで行いました。冷たい雨が朝から降るあいにくの天気にもかかわらず、参加者はこれまでで一番多かったようです。参加して頂いた方々に御礼申し上げます。

議論の中では、アムステルダムの学会の他の人の発表で使われていたmulti-monolingualismという言葉が参加者の間で納得されたように感じました。つまり、それぞれの言語をべつべつに母語話者をモデルに習得したり使用することが、これまでの多言語使用についての理解の前提にあったのではないかということです。このポイントはじつは昨年の日本語教育学会春季大会のパネルセッション以来、指摘してきたことですが、この「多・単一言語主義」という言葉によって理解が容易になったのかもしれません。

多言語使用をとりあげて2年、昨年後半からはマクロな視点にも関心を拡げたのがきっかけで、この研究会でのネットワークが少し広がりを見せ始めています。これからどうすすんでいけるか楽しみです。

お昼ご飯の後は、代表、幹事、事務局の3人でホテルの美味しいケーキをいただきながら、いくつかの計画の話をしました。そのうち1つでも2つでも実現出来るといいのですが、さて。
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欧州多言語主義研究事始め

2008-05-22 01:04:51 | research
昨日と違って乾燥した空気の中、大学に行き、ヨーロッパの多言語主義について勉強をしていました。

ヨーロッパのCouncil of Europe(欧州評議会)はその昔、Threshold levelを打ちたてて、コミュニカティブ・アプローチを拡げた機関ですが、圧倒的な英語優勢に対して母語以外に2言語を使ったインターアクションが出来ることを言語教育の目標とする複言語主義を推進しています。だからそれはヨーロッパの規範的な「こうあるべき」マルチリンガルの姿を言う言葉です。

一方で、多言語主義は教育からではなく、現実のヨーロッパを反映する記述的なことばとして考えたほうがよいだろうと思います。アムステルダムの社会言語学の会議では多言語主義はさまざまなワークショップや個人発表で取り上げられていましたが、複言語主義はほぼ皆無でした。これは、社会言語学者達が多言語使用の状況そのものの調査に関心をもっていたことの現れなんだろうと思います。私自身も、教育の規範的アプローチ(これは今も昔も花盛り)ではなく、社会言語学の記述的アプローチに興味があるわけです。

あるフランスの学者は、複言語主義は結果的に国家の公用語を取り上げることに精一杯になってしまい、それ以外の地域語や移民の言語を除外してしまっていると述べています。

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科研報告書作成メモ、あるいは右往左往

2008-04-28 23:38:28 | research
今日は自宅で科研報告書を少し触わる。

文字化も出来なかったデータの中にインドでの日本語授業の録画ファイルがあって、その基本情報などを整理。その大学はタゴールが建てた有名なところで、ホームページで情報を確認したりしていたが、映像ではいつ見ても学生達の服(サリーも含めて)の色がきれいで感心する。早朝のせいか、空気もまだ暑さを感じさせない。これで現在手持ちのファイルについてはファイル名の統一が終了したところ。

午後は車のガソリンを満タンにする。セルフサービスのスタンドで、ホースを持ちながら3度も満タンになったかどうか確認してしまった...。政治の朝令暮改で庶民は右往左往なり。

無理を通すようなトーチ・リレイ。接触場面研究は役に立つだろうか?ぼくの学生たちは右往左往の中で生き残れたろうか?そのことが気にかかっているのだが。
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言語管理研究会 第2回 年次研究発表会

2008-03-08 23:58:50 | research
春の陽気の今日は、千葉大で年次研究発表会を開催しました。

3名の発表は3者3様のテーマのおもしろさが目立ちました。高齢者の言語学習、電子メール交換、そして人称詞の管理というものです。研究としてはまだ始まったばかりという印象でしたが、多くのフィードバックがあって研究を推進する力になったのではないでしょうか。

 後半は規範の動態性という問題について東海大の加藤さんにお願いして博論の抜粋を話してもらい、その後、ディスカッションとなりました。規範が流動的であることはすでに昨年も研究会やシンポジウムで何度も指摘されていますが、体系的に規範をまとめたところが評価されるのだと思います。

個人的には規範研究は、場面と結びつけて、そこでの特定の言語現象に対する当事者の解釈と行為の規範を捉えようとするか、それとも特定の相互行為に対する解釈と行為の規範を捉えようとするかの、どちらかでなければならないと思っています。そうしなければ、価値研究と同じように思考の中にしか考察の基盤がなくなってしまう恐れがある。

規範はそれ自体「在る」ものとして扱うわけにはいかず、つねに言語や相互行為「に対する規範」としてあるだけであり、規範を直接に対象とすることが出来ないのです。直接に扱おうとした途端に規範は実体化され、まことしやかなものとなってしまうように思います。

5時過ぎに終了して後かたづけをしたあと、近くのインドカレーのレストランで打ち上げをしました。上智ーモナシュ卒の3人の新しい仲間が来てくれて、研究会にもちょっと都会派の風が吹いていました。

参加下さった皆様、ありがとうございました。
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最後の授業コーパス科研研究会

2008-03-04 23:50:31 | research
今日はお茶の水の東京医科歯科大の教室をお借りして朝から最後の研究会をしました。いよいよ最終年の3月ということで報告書作成の準備をしています。ちょっと遅れていますが、報告書自体の提出は5月なので、こんな時期にまだ相談をしたりしています。

いろいろやらなければならないことがありますが、何と言ってもコーパス授業文字化のチェックが一番大変な作業になりそうです。やはりここでミスを最小限にすることが研究の成否になるので最後の最後まで時間を使うしかないのだと思います。

あと、もう1つのことは科研のタイトルにある「共同構築的情報インデックス」を付したコーパスという場合、このインデックスをどのように解釈するかということで、科研を立ち上げたときの最初の問題がまだ解決できていないのです。ぼくはじつはさまざまな非言語情報、周辺言語情報を入れた今回の文字化規則自体がそうしたインデックスの候補になっていると考えるようになっていますが、本来は無標であるそうした情報が、あるコミュニケーション行為の際にインデックス化するのだと思います。つまり、ある行為の機能、含意と、それをその場面・文脈で指し示している特徴とを関連づけることが必要になるわけです。さて、そのことをうまく表現できるでしょうか?

お昼は聖橋からニコライ堂を見ながら神田町を下っていく途中にあるドイツ料理のレストランでいただき、ドイツビールで気勢をあげました。それにしても4年の研究です。研究はいくら時間があっても足りないのですが、人間にはいろんなことが起きてもおかしくない期間です。1人はハンガリー、ドイツから帰国しましたし、1人は常勤の先生になりました。そしてもう一人は4月から新しい職を得ています。そうそう、ずっと事務局をしてくれた大場さんも広島で職を得ています。私だけあまり代わり映えしないのかもしれません(笑)。

とって返して千葉大でようやくプロジェクト報告書を印刷会社に出しました。何とか8日の言語管理研究会年次研究発表会に間に合いそうです。
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逸脱から始まらない言語管理

2008-02-14 22:19:12 | research
ここ3週間、昨年のシンポジウムのために調査したデータを使って多言語使用者のfootingについて論文を書いていました。昨日でほぼ完成ですが、もう少しというところです。

趣旨をうまく書けるとは思いませんが、覚え書きを書いておきます。

多言語使用者はいわば接触場面のベテランです。言語問題の管理を積み重ねてきた結果として、実際のコミュニケーションでつねに逸脱の留意に基づいた管理をすることは少なくなり、予想された言語問題に対する事前調整のセットが習得されているのではないかと思うのです。

重要なことは、言語問題を解決しようとするのではなく、それを解決できない問題や、逆にコミュニケーションを促進するリソースとしての問題として理解して、言語を対象にした管理のかわりに、対面的な関係を対象に管理しようとしている可能性があるということです。こうした管理は、言語ホスト・言語ゲストの関係のような位置づけも含めて、相手や発話に対する自己の位置づけであるfooting(Goffman)に探してみる価値がありそうだと思っています。

研究が進んでいけば、footing自体についても解体できるはずですが、しばらくはこのまま、逸脱から始まらない言語管理を探してみようと思います。
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第14回言語管理研究会定例研究会の開催

2008-01-29 21:32:29 | research
先週土曜日は12月の桜美林に引き続いて上智大学に場所を借りて、第14回の研究会を行いました。上智のリサさんと木村先生に権力研究の重要さと多言語の関係を話してもらいました。

「多言語使用者の言語管理とパワー/権力」
・リサ・フェアブラザー(上智大学)「多言語使用者のインターアクション管理とパワーについて」
・ 木村護郎クリストフ (上智大学)「イデオロギーと権力作用について」

多言語使用者については、これまでの議論を確認したことに意義があったと思いますが、木村さんのマクロとミクロの話はとても興味深かったと思います。彼はもともとマクロな言語政策から始めた人で、ポーランドに国境を接する東ドイツのソルブ人の住む地域をフィールドに、言語的少数派の人々の言語政策と言語使用を調査しているそうです。

そこの教会による教育現場で、神父がドイツ人の子供にすら経験をソルブ語で言い直させるという何度も繰り返される相互作用があり、それを単に言い直し要求というだけでなく、そこに同意に向かわせる権力作用があるだろうと指摘します。そして、言い直しをそうした権力作用として見るとすれば、そこからマクロのソルブ人社会の言語政策とつなげられると指摘するわけです。言い換えると、ミクロとマクロとを結びつけるためには、どちらでも適用できる概念がなければならないのだと思います。

もう1つ彼が言うのは、言語管理理論が有標性をもとにした言語現象の理解である点で、無標性についても取り扱う必要がないかどうかということです。つまり言語使用の生成面あるいは慣習化された用法についても扱う必要があるだろう。なぜなら権力という視点を取ると、その権力が生成される相互行為からまずは観察しなければならないからというわけです。彼はそうした無標性をエスノグラフィーの「分厚い記述」の方法で出来ないだろうかと述べていました。私はネクバピルさんの言語バイオグラフィーはどうだろうと言いましたが、私自身はまだ自信がないのです。

しかし、木村さんとのencounterは今年最初の「事件」でした。
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