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フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

footing shiftとface work

2007-12-25 23:28:03 | research
クリスマスに何ですが...

話すスタンスを変えることーfooting shiftはどんな人も会話の中で行っている。あるときはその政治的な姿勢を誤解されないために、価値判断をはぐらかすために、相手を思いやる気持ちを相手に負担をかけないために。だからここには政治学もface workも含まれている。

今年前半に多言語使用者の調査をして、超上級で知り合いと言っても学生と言ってもよい二人にインタビューをして、友達との会話も録音してもらったのでした。アルゼンチン出身の彼と友達の会話は、話を期待通りに進めず、はぐらかす、そのやり方がとても興味深かったのを覚えている。

もう一人の彼女の場合には、日本人以上に日本語の共話をうまく使っていく人で、その会話のやり方はそうでも、話題自体はいつも日本人と話すときとは違って自由に友達と紡いでいく。

超上級者がそうではない人と違うのは、彼らが接触場面の長い階梯を一歩一歩上ってきたということ。だから彼らの相手が日本人であれば、日本人に対する期待も失望も大きな振幅とともに経験している。経験が多ければ多いほど、face workは複雑になっていくし、footing shiftも微妙になっていく。

そのfooting shiftとface workの中に「外来性」を見つけることができるかもしれない。footingが個人が示す社会的スタンスだとすれば、footing shiftもまた社会性の一つの表示(外来性も含めて)となるはずだから。

しかし、必ずしも「外来性」ではないこともあるだろう。それは単にその人そのものということも。だって、その人そのもの、というぐらい、外来的なことはないということだってあるだろうから。つまり慣習的でも儀礼的でもないその人が出ているわけだ。

接触場面研究は非母語話者の行動に対する母語話者の誤解を外来性によって解いてきた。しかし、多言語使用の超上級者の場合には、その外来性を見つける作業によって彼らをラベル付けすることになっているかもしれない。うん。
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ポーズ研究の再開

2007-12-16 23:34:13 | research
ここ2週間、USBメモリーが故障して以来、頓挫していたポーズ研究の再調査をしていました。さらに5組の会話とフォローアップ・インタビューが終わったところです。

中国人日本語話者と日本語母語話者の会話に見られるポーズを見てきたわけですが、これまでの研究で考えてきた大筋と違いはなく、
(a)やはり中国人日本語話者側が積極的に話題を出し、ポーズを回避しようとしていることがわかります。彼らがそうしながらも日本語母語話者にもっと話題を出して会話を作っていって欲しいと思っている。
(b)話者交代を相づちによってゆっくりと進めていくための表現が少なく、むしろ話題提供でポーズを回避しようとする、ということは同じです。

ただし、こうした傾向は消えないとは言え、日本人との接触が増えていく過程で、何かをきっかけに話題の出し方や相手の応答の待ち方などの日本語の会話のあり方を理解していくらしいことも見えています。

とりあえず、年内に再開できてよかったよかった(笑い)。

そう言えば、土曜日は学部3年生による恒例の卒論題目発表会でした。冬型の気圧配置で快晴の空が拡がっていましたが、3時過ぎまで日本語教育学、日本語学の学生さんの発表を聞いていました。前日のゼミでは、3年間の自分の考えを述べる機会だから、ぜひ熱意を持って話して下さいと気合いを入れたんですが、どうでしたかね。
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第13回言語管理定例研究会(訂正版)

2007-12-09 12:26:10 | research
(書き損ないという気がしたので改めて訂正版を再掲します)

昨日は2年半ぶりに桜美林大学(新宿キャンパス)で定例研究会を開きました。今年度(07年9月から年度が始まります)最初の研究会です。

年間テーマも多言語話者の言語管理で、2年目になりました。桜美林の宮副先生にオーガナイズをお願いして3人の大学院生に話題提供をしていただきました。中国朝鮮族、中国朝鮮族と台湾人の就学生、元日本出稼ぎのパキスタン人、というさまざまな言語背景をもった多言語使用者についての調査の一部を話してもらいました。

どの話題も興味深かったのですが、一番考えさせられたのは中国朝鮮族の言語意識ですね。自治州と他の地域とでは言語環境がかなり違います。これはわかります。自治州では主要言語が朝鮮語ですから、そこに住む漢民族も朝鮮語を習ったりするそうです。自治州以外では家庭の外では中国語が支配的になりますから、外に出れば中国語ということになって、朝鮮語は家庭でのプライベート言語となります。

しかし、1人の調査協力者は自分の朝鮮語を「外国語として学んでいくだけでよい」と言うところまでいくのです。つまり、中国語の地位が高いために、自分の朝鮮語のほうが外国語として意識されているのですね。少数民族の多言語話者が自分の家庭言語に対して抱く意識の複雑さが垣間見えるように思います。

そうした意識を持つ朝鮮族の調査協力者にとって、外国語はどのようなものとして意識されているのでしょう?これは私の考えですが、もともと外国語であった中国語が第1言語として生活の広範囲な領域で使われるようになったとき、日本語のような他の外国語であっても、言語の境界意識が薄れて、情緒的な機能までも含めて言語使用をするようになるとういうことがあるかもしれません。例えば、朝鮮語でも中国語でも言わないような「ごめん」という表現を同じ朝鮮族の友人に使ったり、それぞれの言語の人々の気持ちを考慮することが自然にできると言います。

こうした朝鮮族の人と接触する日本語母語話者は、相手ととても自然に日本語を交わすことになるのでしょう。しかし、その相手の言語背景には想像できないような広い次元があるのでしょうね。

なにはともあれ、一生懸命、発表の準備をしてくださった院生の皆さんに御礼を申し上げます!
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支援のかたち

2007-11-26 23:55:10 | research
今日は夕方から房総ネットと呼ばれる日本語ボランティアグループの定例会で「接触場面と支援」というタイトルで1時間のお話をさせていただく。

私のほうでは接触場面研究の中から、支援と関連のある事例として、会話支援、研究留学生の研究室支援、日系ポルトガル児童の教室支援を紹介。相手に合わせる支援と、相手をリードする支援、という話。他に、支援とはたんに問題に対して助けたり、国際交流をしたりすることではなく、日本社会のネットワークに引き込んだり、そのネットワークをそのために微調整したりすることを意味するのではないか、支援のかたちと意味が社会や言語によって違うはず、ということも触れる。

10名ほどの定例会で、子供の日本語支援に携わっている方々が多くて、いろいろ学校の事情や、生活言語ではなく学習言語が大切だといった話や、日本人二人と外国人1人のグループだと、外国人側が日本人同士の話を観察する機会があって習得が進むのではないか、など興味深い話が伺えて、ためになる時間でした。

誘って下さったのは科研でもお世話になっている吉野さんで、良い機会を作って頂いたことに多謝です。
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初めてのワークショップの経験

2007-10-30 22:52:10 | research
今日は夕方から某大学の日本語教育研修会で、科研仲間の田中さんといっしょに科研データから読解授業についてのお話をさせてもらいました。この話はじつは単に研究の発表ということではなく、考えてみると、初めての経験なのでした。

というのも、お話のもとになった科研データは、その大学の日本語授業を採らせていただいたものでしたし、そのコース自体、現在もその大学で実施されているものなのです。ですからそのコースを現在教えられている先生方にお話をさせていただくという機会となったのです。

しかも、こちらのたってのお願いでもあったのですが、実際に調査に協力して頂いた授業担当の先生(もうすでにその大学では教えられていませんが)にも出席して頂いての話となったのです。(せっかく来て頂いた先生にはゆっくりお話しする時間がなかったので、どんな感想をもったのかいつかどこかで伺ってみたいと思います)

これは一見、とても緊張する場面のようにも思えるかもしれませんが、私にとってはじつに研究者冥利に尽きる出来事だったと思います。パソコン機器の問題が直前まであって余裕のないまま始めてしまったのであまり上手には話せなかったのですが、それでも調査協力していただいた関係者に少しでも戻すことができたと思えば、やはり私はラッキーな経験をしたと言えるのだと思います。
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USBフラッシュメモリー恐怖症

2007-10-23 00:35:42 | research
ようやく秋晴れの日がやってきました。夜は久しぶりに月の光も射しています。

10月はボトムなのですが、肉離れはほぼ回復。もう1つボトムの原因になったのは、いつもファイルを保存しているUSBフラッシュメモリーでした。これが何の前触れもなくコンピューターで認識しなくなったのです。それが9月の末のこと。インターネットで調べてみると、データ・リカバリーの会社があって、その事例の中にやはりUSBメモリーに関する故障例がたくさん載っていました。つまり、USBメモリーはじつは結構壊れるもののようです。

9月にやっていた研究のファイルがあったのですが、かなり気を入れてやっていたばかりにバックアップを取っていなかったんです。もう、何というか目の前真っ暗になってしまったと同時に、研究に向かっていた気持ちが切れてしまったんですね。というわけでそれ以来、研究が進んでいません。

壊れたUSBメモリーはリカバリーの会社に頼んで、ある程度、データの復元は出来たのですが、しばらくUSBメモリーは使いたくない気持。新しく携帯用HDDを購入しましたが、これとて壊れやすいことには変わりがないので、せっせとバックアップをするしかないんですね。

皆さんも大切なファイルはぜひバックアップを!
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京都でのパネルセッション。にいけなかった。

2007-10-12 00:10:26 | research
先週から後期の授業は始まりましたが、なんだかんだと低調。というか、けっこうボトムかな。

その中でも極めつけは、木曜日の1年生のゼミ(基礎的な入門ゼミ)の最初の授業ということで、人間関係とコミュニケーションのあり方を実感させようと少し頑張ったんです。大学のサッカー場を借りて、そこでボールの受け渡しをさせながら、コミュニケーションをするということはどういうことか、相手に合図を送る必要性はなぜあるのか、強いボールと弱いボールはどう受け止めたらよいか、などなど、まあ、ありがちな授業です。

で、準備もせず、練習試合に私も参加したのですが、最初にうけたボールをパスするところで、右足ふくらはぎがズリッと音がして、もう歩けないと思うくらい痛くなったんです。そう、肉離れ、ですね。結局、軽度でしたが、土曜日に京都の学会にいくはずだったのに、キャンセルせざるをえなくなったのが最悪ですね。

科研のグループでのパネルセッションのほうは、幸か不幸か、発表者の人数制限という、何というか世界の学会にはあり得ないような規則のせいで、私は発表者にはなっていなかったので、大きな問題もなく終わったようですが、グループの先生方にはとてもご心配をかけてしまいました。改めてお詫び致します。

パネルセッションは「授業における共同構築」ということで、社会文化アプローチによる協働・協同構築をもっと広い概念として捉えるとどのような諸相が見えるかという話でした。もしお聞きになった人がいたら、感想など教えて下さい。

他にもボトムの理由はたくさんありますが、まあ、言わぬが花ですね。
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授業コーパス科研研究会

2007-09-24 22:51:30 | research
今日は久しぶりに科研メンバーと研究会をお茶の水で行いました。

来週末は京都の龍谷大学でパネルディスカッションをするため、その発表内容についての検討をしました。私はオブザーバーとなったので、好き勝手なコメントをしていましたが、来週まで発表者は大変です。今回は今流行の「共同構築」という言葉をもっと広く解釈して、記述的な研究のアプローチと結びつけるとどうなるかといった内容になります。どうぞ関心のある方は10月7日に会場に足を運んで下さい。

授業コーパス科研も最後の4年目です。あとはまとめに入ること、そしてメンバーを中心に教室研究の入門書が作れるといいなあとみんなで話し合っています。99年に売れない教室談話についての本を出版してから、少しでも実証的な授業研究が日本語教育に拡がるようになればと思っていました。その思いは実現しつつある気がします。ほんとに少しずつではありますけど。
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授業コーパス科研のパネル決定(秋の日本語教育学会)

2007-07-22 22:13:04 | research
日本語教育学会秋季大会(龍谷大学)のパネルセッションに応募していた授業コーパス科研グループ(今回は吉野先生がパネルの代表)ですが、昨日、採択の知らせが来たそうです。

今回は、まさに科研のテーマから正面きって「日本語授業における共同構築の実際―授業コーパス研究のデータから」というタイトルで4組の発表を組みます。「共同構築」という概念には、ヴィゴツキーに端を発する教育理論からの演繹的な考察の場合によく用いられるのですが、科研グループとしては具体的なコーパスの検討から、どのような共同構築があり、どのような可能性があるのかを、帰納的に取り出していく予定です。

8月中旬までに予稿集原稿を作ることになるので、そろそろ科研に仕事を移していかなければなりません。
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第12回言語管理研究会

2007-07-15 08:16:09 | research
昨日は、びっしょりと雨に濡れた早稲田の日本語教育研究センターで第12回の言語管理研究会となりました。そこそこの人数が集まってくれましたし、なつかしい顔もあって、中身の濃い定例研究会だったように思います。参加された方々、ありがとうございました。

昨年10月から始めた多言語話者研究の第4回目となり、今回は早稲田の宮崎さんの発案で、言語政策的な視点からEUの複言語主義を中心に、福島さん(早稲田の博士後期)、宮崎さん、そして私で、話題提供をしました。

政策としての複言語主義がEUでは開始されていて、いまや言語の大所帯となってしまったEUとしては、地域共同体の中で言語レパートリーの共有度を高めたいという思惑なのだと思います。政策としては特にめずらしいとは言えないもので、文化基盤、コミュニケーション基盤が類似している地域共同体であれば、当然、考えることだと思います。しかしやはりこれは上からのエリート主義の臭いが強いと言わざるを得ない。EUに参加してしまった国々に住む母語をもっぱら使って生活している半分の人々にとってはほとんど無関係な話でしょうし、複言語主義はそうした母語話者を地域共同体メンバーの頭の隅に追いやることでもある気がします。

ただ、興味深かったのは、個人としての言語使用者の意識について、複言語主義の主張は、言語管理研究会で展開されてきた流動的な規範の考えと、大きく異なるわけではないということでした。異なるのは、複言語主義がその理念を地域共同体に広げようとするのに対して、言語管理研究ではあくまでもそうした言語使用者が参加する場面のディスコースから言語問題を理解しようとしていることにあります。ディスコースの言語問題から政策へとビルドアップしていくことこそ大切なのだと考えるわけです。

私の発表は、多言語使用者の管理から(1)日本の相手言語接触場面の特徴を再検討し、(2)言語管理モデルの「逸脱」のオルタナティブを検討するというものでしたが、そちらにはついてはべつなところでお話することにします。

話は別になりますが、早稲田では言語管理理論が習得理論の調整として理解されていることが、福島さんや出席した早稲田の学生さんの発言からわかったのは面白い発見でした。ご存じのように、第2言語習得理論における調整は言語管理モデルの調整とは似て非なるものです。もちろん、言語管理は言語問題に対する体系的なアプローチなので、習得についても扱う範囲に入りますが、習得理論に矮小化されるようなものではありません。言語管理がなかなか理解されないことの実例、という印象でしたが、正しいかな。

雨がいよいよ激しくなる中、急いで地下鉄までの帰路を歩きました。雨量の多い雨は悪いものではないです。いろんなものを洗い流してくれますし、雨の中に閉じこめられる感覚もたまになら面白い。モンスーン地帯に特有の気候を味わうことが出来ます。そうそう、発表の準備に疲れて少しだけテレビで見たアジアカップ、ベトナムのスタジアムの湿気と暑さとも、昨日の雨はつながっていたのだと思います。


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