フクロウは夕暮れに

接触場面研究の個人備忘録です

言語バイオグラフィーのポテンシャルについて

2009-05-14 23:35:05 | research
今日は涼やかな風のすがすがしい日。しかし風が強い。
仕事の合間に言語バイオグラフィーの方法論を論じたネクバピル氏の論文を読んでいた。

Nekvapil, J. (2003) Language biographies and the analysis of language situations: on the life of the German community in the Czech Republic. International Journal of the Sociology of Language 162, pp.63-83.

この論文は、1920年代に生まれ、チェコに育ったドイツ人のこれまでの生活をインタビュー調査する質的な研究をもとにして、当時から現在までの言語環境を語りの中からすくい上げるための1つの方法である、言語バイオグラフィーの信頼性を検証したものだ。ナラティブ・インタビューの方法的な問題、1年の間を置いた場合に語りは変わるのか、調査者がチェコのマジョリティの人間か、調査協力者と同じ言語を話せるドイツ人であるかによって語りは変わるのか、そして調査の目的の提示の仕方が違う場合にはどうか、などいくつもの論点について検証が行われている。

興味深いのは、人生についてのインタビューをする形を取り、調査協力者に言語にフォーカスさせないままに語ってもらうことによって、言語がその人の人生においてどのような役割をもっていたかが分析できるという点。逆に言語使用や言語習得自体に焦点をあてたインタビューをすると、そうした言語環境の位置づけが見えてこなくなるという。

また、個人の語りから得られる言語バイオグラフィーを重ねていくことで、「典型的」な言語バイオグラフィーが抽出できるということ。もちろん、そうした典型的な言語バイオグラフィーが1つだけかどうかは議論のいるところ。1つになってしまうのは、調査協力者が共通した背景をもっている場合だろう。

最後に、ある言語に対する語りには、その言語の話し手たち(とそのコミュニティ)に対する態度の表明が分析できるという点。ナラティブ・インタビューという構築物を作っていく上でそれはまるで規則のように影響しているという。

こうした言語バイオグラフィーの方法は、歴史の中で人々が置かれていた言語環境とそれに対する認識や態度を研究する上で有効な社会言語学的方法になりうるというのがネクバピル氏の主張なわけだ。とくに最後の点、もしもそれほど古い時代までさかのぼらずとも自分の出身地域から現在までの言語バイオグラフィーの中から言語とその話し手のコミュニティに対する態度が抽出できるのであれば、それは実際の場面における言語使用と言語管理の傾向に何らかの影響をもつメタ的な意識をさぐる試みに使えるのかもしれない。

さて、どうだろう?

強い向かい風の中、海岸線を帰宅。風が強いので海岸には人は少ないけれど、夕陽を背景にして幾人かが一人で砂浜を歩いていたりする。ぼくらはそうやって個にもどる時間をつくるわけだ。
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在日ベトナム人文献

2009-03-11 23:41:41 | research
ここ数日、在日ベトナム人に関する文献を探したり、目を通したりしている。とりあえず、文献のメモをつけておく。

まず一番印象的なことは、ベトナム人に関する文献は日本語教育学でも社会学でもベトナム難民に関するものがほとんどだということだ。ベトナム難民は1970年代後半から日本政府が受け入れ、さらにその呼び寄せ家族や、二世などで1万人弱が日本に住んでいる。しかし、現在はニューカマーとしてのベトナム人が増加していて、すでにベトナム難民の数をはるかに越えている。

探した中で基本的な知識が得られる文献には次の2つがあった。

*川上,郁雄 (1999) 「越境する家族 : 在日ベトナム人のネットワークと生活戦略」民族學研究 63(4),359-381, (日本民族学会 〔編〕/日本民族学会/日本文化人類学会)

この論文は、文化人類学的なアプローチからベトナム難民家族の適応戦略を個人個人の事例とその背景となる社会的歴史的文脈の中で論じたもの。ベトナム難民の社会的・歴史的文脈について非常に参考になる。ベトナム難民と言っても簡単に1つの集団としてはとらえられないその対立を含んだ多様性が理解できる。また、ベトナム人の移民をディアスポラとしてとらえようとする点は、多言語使用者と通じるかもしれない。

*倉田良樹、津崎克彦、西野史子(2002)「ベトナム人定住者の就労と生活に関する実態調査:調査結果概要」Technical Report, 一橋大学機関レポジトリhttp://hdl.handle.net/10086/14488、
*西野史子、倉田良樹(2002)「日本におけるベトナム人定住者の社会的統合」Technical Report, 一橋大学機関レポジトリhttp://hdl.handle.net/10086/14485

この2論文は社会学の社会的統合の視角から、質問紙調査を試みたもの。最初の論文では関西地区(神戸、姫路)のベトナム難民に対する調査を、次の論文では関東地区(横浜)が対象になっている。神戸では鷹取カソリック教会が舞台になっていて、一度、阪神大震災の後に牧師さんを訪ねてお話を伺ったことがあるので懐かしい。社会的統合とは、EUでは「外国人の社会的な底辺化(marginalization)を防止あるいは阻止する過程」と考えられており、同化や共生とは異なる。このポイントは重要。

他に、以下のような論文が参考になった。
吹原,豊 (2002) 「ライフコースとしての日本語学習:ベトナム人日本語学習者の事例」日本語国際センター紀要 12,1-18,151,157, (国際交流基金日本語国際センタ- 編/国際交流基金日本語国際センタ-/独立行政法人国際交流基金)
福留, 伸子; 増井, 世紀子 (1997) 「インドシナ難民の日本人とのコミュニケーション:国際救援センター退所後1年未満のベトナム人の追跡調査」 筑波大学留学生センター日本語教育論集 (12),171-196, (筑波大学留学生センター非常勤講師,東京国際大学附属日本語学校講師/筑波大学留学生センター)
丹野,勲; 原田,仁文 (2004) 「ベトナム人従業員の仕事・価値観に対する意識調査(1)」国際経営論集 28,145-193, (神奈川大学経営学部出版委員会 編/神奈川大学経営学部/神奈川大学)および(2)
中川,康弘 (2008) 「第3者国環境に住む多言語使用者の調整行動とその規範 : バンコクに滞在するベトナム人女性の事例から」 神田外語大学紀要(20),185-206

まだまだ勉強中なのでえらそうなことは言えないが、やはり最後の中川(2008)を例外としながらも、ベトナム人は1つの方向からしか見られていない、つまり、最初から枠がはめられている。そこが問題なわけだ。
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言語管理研究会第3回年次研究発表会そのほか

2009-03-08 23:45:03 | research
一昨日、金曜日。一日中雨。今年度の大学院プロジェクト報告書『多文化接触場面の言語行動と言語管理』が刷り上がる。クリーム色の上品な表紙にみんなうれしくなる。これで接触場面と言語管理シリーズは7冊目である。

昨日は奇跡的に晴天。しかしおかげで花粉が飛びかう。
年次研究会の第3回を神田外語大で開催する。5名の個人発表、そしてワークショップで4時間あまりの長丁場となる。

(発表者の皆様、そしてワークショップのためにフォローアップ・インタビューの限界と可能性を実験し、まとめてくれた院生の皆さん、ご苦労様でした。かなり密度の濃い発表会になったと思います。)

ぼくらにとって重要なことは、思念やイデオロギーに舞い上がったり、大きな声を出すことではなく、あくまでも事実の追求によって思考を磨くこと、その磨いていく思考によって世界を描いていくことなのだと思う。事実は聞き返しの中にも、不一致の中にも、あるいは小さな他称詞にもあり、またネットワークの中にもあるもので、思いこみや先行研究の理解をなんとか突き破って、事実をとらえようとするところに研究の意味があるだろう。

今日、日曜日は朝鮮族のコードスイッチングに関する共著論文の修正が完了した。言語政策学会の学会誌の次号に掲載予定。こちらも実際の会話データは取れていないので研究道半ばだけれど、多言語使用の管理について多くのことを学んだと思う。ご興味のある方はぜひ手に取ってみてください。たぶん5月頃に手元に届くはず。

午後から娘の楽譜を買いに楽器店に行くと、ヤマハの小さな中古グランドピアノが99万で売っていて、試弾させてもらう。来週の土日は10パーセント引きですよ、5年の中古で、とてもしっかりしています、なんて言われて心が動きそうになるけど、あぶないあぶない。いそいで店を出て、庶民の味方マクドナルドで心を落ち着かせた(笑)。
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上野千鶴子の多文化共生

2009-02-23 23:23:56 | research
上野千鶴子「共生を考える」(朴鐘碩・上野千鶴子ほか『日本における多文化共生とは何か』新曜社、2008年)を考えているところ。上野の論点をまとめるとおおむね次のようになる。

1. 多文化共生は統合モデルではなく分離モデルである。
2. 多文化共生によって持ち上げられるマイノリティは、その本物らしさが問われることになる。
3. 多文化共生も、共生も、それ自体に確たる意味はなく、文脈、言う人の意図によって、逆のことを指すこともできる。

多文化共生がいっしょに仲良く暮らそうと言うことだとすれば、それはハタノが言うように、マイノリティ側からの主張ではなく、支配者側の思惑であると言わざるを得ないだろう。マイノリティにとっては、社会的、政治的参加、そして機会の均等、言語権などが要求の中心にあり、仲良く暮らすことが大切なのではない。

多文化共生がマイノリティの生活を支援しようとするとき、必ずといってよいほど、民族や外国出身者やある言語の母語話者であることをそのカテゴリーに結びつけてしまう。だから、多言語使用者や、ハイブリッドなアイデンティティは、多文化共生の支援対象にはならない。また、日本国籍を取得した外国人についても、顧みることはない。

多文化共生がネオリベラリズムと結びつくと、そこでは外国人の区別につながっていく。1つのグループは日本人と同様の日本語を操り社会参加が許される人々、そしてもう1つは日本語もできず経済的にも不安定な人々のグループ。後者は社会的統合の対象とされず、単に生活者として存在することが許されるだけにすぎない(経済状況が悪ければ帰国を余儀なくされる)。

さて、ここからベトナム人について考えていきたいのだけど、それは次回に。
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銀座の夜の科研グループ打ち上げ

2009-01-24 23:30:01 | research
金曜日はゼミのあと、銀座のキハチ本店で授業コーパス科研の打ち上げ。1日だけ寒気がゆるむ。

9月末に報告書が完成してから、なかなか全員で集まる日がなかったが、ようやく打ち上げとなる。新年感謝コースで金目鯛やパイ包みのシチューや3種類のデザートなどおいしい料理をゆっくりいただくという贅沢な時間だった。

5年近くの時間が流れて、科研代表としてはデータ整理に追われてしまい力のなさを恥じ入るばかりだが、グループの方々はそれぞれ新しい仕事や研究を開拓している。

これまでは環境を変えて自分を更新してきたけれど、そろそろウィトゲンシュタインの真似でもしなければならないのかもしれない。彼は、教え子には大学に残らないで職につくように言うのが常だった。大学にいたら窒息してしまうというのがその理由だ。そして、彼自身は、自分で酸素を作り出しているから窒息しないと言ったという。酸素の作り方を練習しよう。

10時にレストランを出るが、銀座の小径はまだまだ人でいっぱいだった。われわれもそうだけど、ジョブレスの話はいったいどこにいったのだ?と思う次第。
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第18回言語管理研究会あるいはオリオンの星の下

2008-12-20 23:49:14 | research
今日は今年度2回目の研究会を千葉大で開催。午後は学部3年生の卒論題目発表会、その後、6時まで延々と会議。

暗くなった西の空には金星が輝く。東にはオリオンが昇りはじめたところ。オリオンは何か懐かしい記憶を刺激してくれるが、それが具体的に何の記憶なのかまでは呼び覚ましてくれない。木曜日は、中井貴一と尾形拳の「風のガーデン」最終で、今日は「家族が語るターシャの最後の日々」だった。美しい花のガーデン、庭。「まずは庭を耕そうと思います」と言ったのは、天災や戦争の中を生き延びたカンディードだったっけ?ディドロを書棚から探してみよう。

さて、研究会は、前回の続きで「文献に見る接触場面の現在2」ということで、ヨーロッパ、韓国、日本の接触場面と文献紹介を行った。ぼくが興味深いと思ったのは、ヨーロッパではヨーロッパ人を規定することが難しく、韓国では単言語社会とディアスポラが裏腹の関係にあり、日本では日本人と外国人の境が問題になっているというところ。つまり、こうした指摘には共通してNS-NNSの二項対立に対する強い反証が見られるのだ。そしてぼくはそういった接触場面から見られる問題群に、社会内のマイノリティや多様なヴォイスも含めるにはどうしたらよいかと課題を挙げてみた。考えていることが少しはあるが、ここではまだ書かない。それはきっと、データによって、鍛えなければならないから。

と、ここで今年も終了ならいいのだけど、年末までまだまだ仕事が続く。オリオンでも眺めて心を温めよう。
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"ポーランドの親戚が遊びに来ていて"

2008-12-07 23:39:49 | research
ウィーン続きというわけではないけれど。

ウィーンで外国人と言えば出稼ぎ労働者であったり、当時は東欧と言われていた地域からの人々であったりしたわけだが、しかしそれ以外のオーストリア人が均一的かと言ったら全然そんなことはない。

第1、かつてのハプスブルグ帝国の時代からの多民族国家として遺産が残っていて、電話帳を見れば、ドイツ語以外のさまざまな名字が溢れている。それだけでなく、ちょっと話をすると、先週からポーランドの親戚が遊びに来ていて、などといった複雑な家族・親戚関係が仄聞されることになる。

しかし、だからといってその人がポーランド人であるとか、オーストリア人ではないとか、そういう話にはならない。そして市民権を持っている、持っていないということですら、じつは大した問題にはならない。

つまり、言いたいのは、ヨーロッパでは歴史的に純粋な国民とか民族といった概念は成立せず、さまざまな出自が織り込まれて社会が成り立っているということなのだ。

こんな当たり前のことをわざわざ書いたのは、最近、日本の接触場面について考えている際に「在日」の問題をどうとらえるべきか悩むことがあったからだ。

調べれば調べるほど帰国事業など不条理としか言いようのない歴史が見えてくるし、「在日」のさまざまな背景の違いから自分たちの呼び方も複雑であるような事情も見えてくる。そして「日本人」側の相も変わらぬ敵意もまた無視できない。

しかし、ぼくが思うに、そうした複雑さも含めて日本にともに暮らす仲間にはなれないだろうか。もし日本が土着思想を整理して、開かれた市民社会を保証することに成功すれば、こうしたことは驚くほど容易に実現するのではないだろうか。ちょうど、ウィーン人が先週の親戚の訪問を話すように、在日の人もあっけらかんと「先週から釜山の親戚が遊びに来ていて」と言える日がくるのではないか。

そんなことを夢見ている師走ではある。
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第17回定例研究会

2008-11-23 23:18:17 | research
昨日の22日は今年度(9月から)最初の言語管理研究会が神田外語大で開催される。

朝から素晴らしい天気。

今年は「接触場面の変容」というテーマで、外国人居住者の出身社会やその他の外国での接触場面を背景にすることで、点としての接触場面研究から線あるいは面としての研究へと拡大していきたいと思っている。そこから我々が接触場面をどのように管理していこうとしているかを理論的にさぐっていくことも考えてみたい。

昨日は、フィリピン人、ベトナム人、香港人を対象に、それぞれゆかりの深い3人の発題者にお願いして、国の概要、言語状況、接触場面の研究文献などについて紹介をしてもらった。当たり前のことながら、こうした背景からアプローチをしていくと、言語外のさまざまな事実、とくに歴史的要因が目立つことになる。個人の言語バイオグラフィーにもこの歴史的要因が色濃く反映している様子が感じられることだろう。それはそれで意図してきたことだし、とても重要な側面だと思う。

しかし、ぼくなどが思うのは、そうした歴史的・文化的特殊性を一時括弧に入れて、ぼくらは接触場面に入っていくことが出来るし、接触場面は参加者によってさまざまに築かれていくということのほうが、当事者にとっては現実的で重要なのだ。

というか、言いたいのは線や面に広げる中で、歴史などの言語外事実に足をすくわれるなかれということなのだけど。
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メルボルンでNS-NNS paradigmを考える

2008-09-14 23:56:20 | research
8月のメルボルンは雨の多い平年の気候だった。大家さんはジャマイカ出身で、そこはイギリス連邦の1つなのだそうだ。1973年に治安が悪くなったジャマイカを去り、子供たちのためにオーストラリアに移民したそうだ。イギリス人がそんなところにも住んでいたことは知らなかったので、彼らの人生について考えることも少なくなかった。

もう1つメルボルンで考えていたのはタイトルの件。言語管理ワークショップがモナシュ大学で開催され、私も司会をしたり発表をしたりしていたけれど、日本人もオーストラリア人も、それからプラハから来たアメリカ人も、母語話者ー非母語話者を対象にして、そこでの接触場面の相互作用を前提にものごとをとらえようとすることが印象的だった。考えてみれば、英語話者には、英語母語話者として、英語非母語話者と対すること以外の場面がほとんどないのかもしれない。それが世界語を母語にしてしまった人々の運命なのだとも言えそうだ。だから、自分たちがたまたま他の言語を使う立場になると、非母語話者の立場や経験を強く意識してしまう。どちらにしてもNS-NNSのパラダイムから逃れられない(もちろん、例外的な人々はたくさんいるけれど)。

そして日本人は、オーストラリアのような英語圏にいて、英語母語話者を相手に英語非母語話者として対面することを当然視するだろう。なぜなら、日本人もまた、日本語母語話者と他の言語の非母語話者との間しか役割を行き来させる経験がないから。だから英語母語話者と日本語母語話者は、同じコインの裏と表の関係となり、じつはとてもその立場が理解しやすいのだと思う。(アメリカで学んできた日本人研究者には接触場面概念の重要さが理解できないという傾向も、こうした事情が隠れている)ついでに言えば、さまざまな言語に囲まれているヨーロッパ大陸の研究者たちはこのNS-NNS paradigmを表に出すことは少ない。

こうした事態は普通の人々の間でのこととしてはよくわかることだけれど、研究者もまたこのパラダイムを無意識に前提としているとすれば、それはちょっと待ってくれと言わなければならないだろう。というか、それは、取り上げて考える価値のある問題ではないかと思う。

多言語使用者について研究をすることは、こうした英語母語話者や日本語母語話者が前提とせざるを得ないNS-NNS paradigmに異議を唱えることに他ならないのだと思う。
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授業コーパス科研報告書をようやく入稿

2008-09-13 23:06:52 | research
久々の書き込みです。千葉に戻ってから5月に提出するはずだった報告書の編集を延々としていましたが、昨日、ようやく印刷会社に出すことが出来ました。ちなみに目次は次のようになっています。

第1章 日本語授業コーパス研究の概要
1.1 研究の目的
1.2 研究組織
1.3 研究経費
1.4 研究活動

第2章 研究発表
2.1 ICJLEパネルセッション
2.2 PanSIGパネルセッション
2.3 日本語教育学会パネルセッション
2.4 日本語教育学会個人発表

第3章 共同構築的情報インデックスに関する事例研究
研究1 非規範的な授業参加の役割としてのfooting―授業コーパスの
    共同構築的情報インデックス試案―(村岡 英裕)
研究2 教室内イベントというコンテクストの情報インデックス化(齊藤 眞美)
研究3 発話に表れる教師の教育観と学習ストラテジーの共同構築
    ―経験のある教師の読解授業を事例として―(田中 亜子)
研究4 初級集中日本語クラスのダイナミズムと共同構築的情報インデックス(山下 早代子)
研究5 語彙学習にみられる共同構築性インデックス(横須賀 柳子)
研究6 日本語授業における教師の「笑い」の機能的分析試論(吉野 文)

第4章 日本語授業コーパス・システムの開発
4.1 Corpus Basic Informationの作成
4.2 日本語授業文字化システムの開発
4.3 最終版授業文字化システムの記号類と凡例

第5章 データ収集およびデータ共有の基準
5.1 データ収集における倫理的基準
5.2 依頼書および承諾書
5.3 第三者への公開とデータ共有
5.4 日本語授業データ共有のための原則

第6章 Corpus Basic Information
6.1 Muraoka-Tanaka Corpus
6.2 Tanaka-Muraoka Corpus
6.3 Saito Corpus
6.4 Yamashita Corpus
6.5 Yamashita-Matsuo Corpus
6.6 Yokosuka Corpus
6.7 Yoshino Corpus

添付CD資料リスト

コーパスというのは、研究のために一定の基準と体系のもとに集められた言語資料のことをいいますが、今回の報告書では日本語授業の文字化資料をまとめたものということで、ユニークかもしれません。教師評価のための教室研究や、主義や主張から教室の断片を取り出してみせる社会文化アプローチなど、教室研究はほそぼそと行われていますが、そうした流れとはべつに、教室で実際に起こっていることを一つ一つ確かめていくための基礎作業、というようなことを4年前に考えて、データ収集と文字化という作業を続けてきました。

ただ、欲張って非言語行動や話しかける相手(アドレス)なども含めた細かな文字化規則をつくったために、夏休み中、延々と修正作業に時間をかけざるをえなくなってしまいました。この文字化資料の修正作業というのは、コンピューター・プログラムのバグ修正と同じで、終わりがないのですね。たぶん、修正のためには、できるだけオープンにして、多くの人からバグの報告をしてもらうという形しかないのではないかとつくづく思いました。

編集作業に時間がかかってしまって、資料を並べた部分が多くなってしまったのが残念ですが、事例研究はみなさん力作ぞろいといった印象で、とてもグループの先生方には感謝しています。

しかし、研究自体はここから出発、ということなんだと思います。
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