ろうばのつぶやき

もはや逆らえないわが身の老化と世の中のIT化、パソコンを前にひとりつぶやく昨今。

北の大地の病院

2015-12-01 15:22:19 | 追想
M子さんとのランチ(28日)のあとで地下鉄を一駅経由し、Tさんの
お見舞いに北大病院へ向かった。

いろいろ懸念はあったが、30分ほどの内視鏡手術で済んで
経過も順調とのこと、本当に善かった。

隣の病室には幼い男の子がいて、よく泣き声がしているとか。
紹介してもらい入院できるまで1ヶ月もかかったらしい。

全道各地から患者さんが集まるだろうから、それが常態なの
だろう。

北大病院は、わたしにとって札幌の原風景なのだ。

”1949年5月 - 北海道大学医学部附属病院と改称”されたそうで、
奇しくもわたしが生まれたころ。

そして5,6歳になったころ、3歳上の兄がここに長期入院し、
当時としてはかなりの難手術を受けることになった。

わたしは縁あって、今は義姉になっている人と一緒に6時間
汽車に揺られて、兄に付き添っていた母に会いにやって来た
記憶がある。

当時とは全く違う建物、あのころも大きいと思ったが、
さらに比べ物にならないほどの大きさに改めて驚く。



わたしが辛うじて憶えているのは、昔の病院でも子供には
広大すぎてトイレにひとりで迷わないで行って返ってくるのが
ちょっとした冒険だったこと。

病棟(だったと思うが)の一隅に標本室みたいな部屋があり
いつもドアが開いていて、すぐ前にあった摘出した
胃がんの病巣が大きな瓶に入って2個並んでいたのが
見えていたこと。

まだひらかなしか読めなかったはずだが、何故解って
憶えているのか謎である。

多分母から教えてもらったのだろうが、その記憶はない。

わたしはどのくらいの間、母と離れて暮らしたのだろう。
まだ幼く寂しかったはずだ。

やっと母と会えても、機嫌の悪い兄に邪険にされて居心地が悪く、
母に思い切り甘えることもできず、ほんの2,3日で帰ってきた
と思う。

兄は60代で腎臓がんに罹ったとき、札幌の病院に来ることは
厭わなかったが、辛い思い出しかない北大病院は嫌だと言って
避けた。あのころの兄は全然わたしにやさしくなく、気難しくて
嫌な存在だった理由が、病気知らずだったわたしはそのとき
やっと理解できた。

札幌駅は当時南口と北口しかなくて、デパートなどがあって賑わい
開けていた南口とは対照的に、暗くてみすぼらしい北口を出ると
主要な建物は北大くらいしかなかったと思う。

表玄関と裏口くらいの違いがあった気がする。
線路と改札口が直結した地方の無人駅みたいな印象だった。

北口に降りるときはいつもうら寂しい思いになった。
大学受験期のころまでまだそんな雰囲気だったはずで、その後、
30代で久しぶりに札幌駅に降り立ったときは、駅構内が
様変わりしていて、新宿か!とびっくり仰天した。

それでも今はうそのように発展した北口方面でも、少し歩くと
かすかに当時の鬱蒼とした雰囲気が残っているような感じがする。

道民にとっては最先端医療の象徴みたいな北大病院も、幸か不幸か
兄のとき以来60年間、一度も足を踏み入れたことがなく、札幌に
住むようになっても間近で見る機会もなかった。

それにしても何基もあるエレベータからは、どの基からも満員の
人が吐き出され、休診日なのに人の多さに驚かされる。

Tさんから聞いた話では、手術当日の朝、何組もの担当スタッフと
患者さんが一堂に一旦集められ、それからいっせいにそれぞれの
手術室に向かうのだと言う。

私「へぇ~、 工場(のライン)みたい!」 

T「アハハ、奥さん 上手いこと言うね」


見ると60年前にタイムスリップしてしまう家にあった当時の写真。
誰が撮ったのだろう?

屋上は広い感じだが、田舎の長期療養所みたいな雰囲気。
付き添い家族とスタッフさん、今ならこんな写真は撮れないかも。

母↑ 右から2番目 ↓

守衛さんみたいな人も写っている。

今でも温室植物園があるはず。

60年も経ち医学は格段に進歩しても、患者や家族の思いや心労は
昔となんら変ってはいないだろう。

現在の医療技術を持ってしても、救えない症例は無数にあるのも
現実だが、荒涼とした北の大地に、これだけの医療施設を根付かせた
先人たちの積み重ねた歴史を考えると、しばし感慨を覚える。

内視鏡手術で、術後の痛みも全くなく、手術を受けた実感が全く
ないというTさん。明日にはもう退院できる。

今回のTさんのケースのように、冗談も言えてめでたく退院できる
ことは本当に喜ばしく感謝してやまない。


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2 コメント

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Unknown (山猿)
2015-12-03 11:25:39
母上様のお写真・・白いエプロン姿、懐かしいです。
あの頃の母達は着物姿で白いエプロンでしたよね~
今の私は日常的に着物を着るという事が億劫ではなかったのかしら・・と思ったりします。
兄上様は大変なご病気をされたのですね・・
でもご両親の賢明な医療に対する姿勢が救った・・という気がします。
屋上で母上様は何を思って遠くを眺めておられたのか・・・
きっと早く良くなることを願っていたのでしょうね~
最高の医療で子供を救いたい・・その思いの一念が感じられます。
尊いお写真ですね!!

内視鏡手術・・患者さんに対するダメージが少なく早く退院出来る・・と言われていますが本当にそんなに楽なんですね~
内視鏡と腹腔鏡手術とは違いがあるのでしょうか?
先日お話した奥様は明日大腸癌の腹腔鏡手術をするそうですが、退院は2週間を要するそうです・・
お腹を切らないとは言ってもやはり手術は手術なんだな~と感じています。
大腸癌手術は『虎ノ門病院』が良いと薦められてそこでされるそうですが・・・

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Unknown (5656rouba)
2015-12-03 13:09:13
>山猿さん

母の普段着の着物がまだ残っていて、家で着て
過ごしたいと思うんですが、やっぱり無理ですね~。
母はパッパと手品みたいに着ていたので、とても真似
できないです。
父が商売をしていて来られなく、母ひとりで不安だった
ろうと思います。
お腹に内視鏡を入れて手術するのを、腹腔鏡主手術と言うと理解しています。
Tさんの場合も、最初内視鏡を入れてみて、万一病巣が深いと判れば開腹手術に切り替え、膀胱を全摘することになると言われていたそうです。
夫のときは、膵臓・肝臓の一部摘出ですが、どちらも
開腹手術で最低でもひと月は出られませんけど、
内視鏡手術で経過が良ければ、10日前後で済む
みたいですね。
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