ろうばのつぶやき

もはや逆らえないわが身の老化と世の中のIT化、パソコンを前にひとりつぶやく昨今。

父の残像

2005-11-30 19:06:01 | 追想
今日は父の祥月命日・・

84歳で亡くなってからもう18年ほど経つ。
母は父より4年早く先立ったが、晩年夫婦二人の生活になったとき
チクリ、チクリと昔、父に浮気された鬱憤を晴らしていた。

わたしは鈍な子で、まったく気が付かずに育った。
かなり大人になってから母に聞かされて驚いたが、いまいちピンと
こなかった。

表面的には母は父には頭が上がらないという感じで、言い争う
こともなくけっこう仲がよかった・・はずだ。

しかし母にとってはかなり深刻で、「神サマ」に見てもらうと
言ってなんか占いか祈祷師みたいなひとのところに、幼いころ
連れていかれた記憶があるので、おそらくその件で相談に行った
のだと思う。

結果的には離婚しないでくれて母に感謝している。
ただ母には悪いが、今でも母の「悩み損」だった気がしない
でもない。

女として母の気持ちは解るが、父は妻子はもちろん、長男と
して親、兄弟姉妹の面倒を見た上、母の兄弟・姉妹にも
よくしていたし、さらさら家庭を壊す気などなかったはず
である。

ついでにお水のおねえさんたちにも気前よくしていたのが、
狭い町内でいやでも耳に入るのが母には耐えられなかった
のだろう、しかもかなり長い期間のことだったようだから。

家ではまったくお酒を口にしなかったので、父が外で楽しく
遊んでいた姿をイメージするのは難しい。小柄で美男子でも
なくハゲっぽかったが、かなりお洒落ではあった。

晩年、明治生まれの男らしく淡々と死を受け止め、亡くなった
年のお花見では「実にきれいだ!今生の桜だ」と語り、亡くなる
数日前には「人生終り!」と言い切った。

わたしは母を悩ませたかも知れないが、父が、働くばかりでなく
楽しく遊んだこともある人生でよかったと思っている。

母にも、もっと人生を楽しんでもらいたかった。
だから、母に似てすぐ深刻になる超ド真面目な姉にも、「楽しめ!
もっと楽しめ~」とハッパをかけている。

誰それのせいでこんな人生だったと、ひとのせいにしてグチを
こぼされるのは嫌だからである。

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魑魅魍魎

2005-11-29 21:07:40 | 世間
耐震強度偽装問題のニュースを見ていると、改めてマンション
選びの大変さが浮き彫りになってきた。

結果論かも知れないが、あのデベロッパーの社長があのお人だと
知っていたら、誰も買わなかったと思う。

あの社長、オジャマモン!?って、あの場でどういう神経?
あれだけでもう終わっている。

昨今は、たとえ不名誉なことでも知名度を上げたもん勝ちみたいな
風潮なのかなぁ?

関係者がみな魑魅魍魎ちみもうりょうに見えてくる。

そう言えば、数週間前、会社に突然来た人が名刺一枚出して、
いきなり「ここ、何台駐車できますか~?」

近くに建てた賃貸マンションの検査(?を通すために、実際は使用
しないが車数台分の駐車場を契約してあることにして欲しいと言う。

「全く知らない悪徳会社の人と、そんな面倒なことに巻き込まれる
リスクのある話にのるわけないでしょう」と言ったら「そうですよね~」と
出した名刺を回収!してそそくさと帰ってしまった。

実際に駐車できるスペースが確保されてないのが判ったとき、入居者に
何と説明するつもりなのだろうか。

あるいは実際は使用しないと口約束しておいて、契約を楯に取り強制的に
使用するのかも知れない。

あ~あ、いやな渡世だ(ーー゛)
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軽薄に箔はつけるべからず!

2005-11-28 18:01:45 | 本・映画
今朝のTVのワイドショー

この本の著者が事件の主役になっていた。
数年前、わたしも買ったクチだった(^^ゞ

仕事で旭川に行ったとき時間つぶしに読む本を物色、目にとまり(嫌でも目に
とまるところに山積みしてた)ちょうど住宅ローンに喘いでいた(今でもだが)
わたしは、ひとつ読んで見習うべぇか・・と買ったのを覚えている。

著者が無名な場合、著者略歴とか読んじゃうよ~。
立ち読みでパラパラとめくって“ドイツに滞在”なんて書いて
あると買っちゃうよ~。

へっ! ドイツに滞在していなかったって?!

引っ張り出して読み直してみると、なるほど“ドイツ”としか
書いてない、ドイツたって広いのだから、五年間の往来・滞在が
事実なら都市名もふつう書くだろう!と今なら言える(-_-;)

と、なるとゴーストライター本か合作(寄せ書き?)か、よく判らないが・・
けっこうまとまった読みやすい本だよ(負け惜しみ)

実際、この本を買った時点で節約になってないし、住宅ローンも減らせ
なかったができるものは手作りするという気にさせてもらったのは事実。

別に公務員だったとかドイツに留学したとか「箔」をつける必要ないと
思うが出版社の戦略か、わたしのようなアホな外国かぶれの読者狙い?

まあ露呈した偽装結婚とかのほうが問題なんだろうけどねぇ~。

 ** 追記 **

 リンク貼るの忘れてますた^_^;
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食いしんぼ

2005-11-26 12:52:02 | 
16年前、夫と結婚したとき、この漫画本がすでに数冊あった。→
 「美しんぼ」 作・雁屋 哲 画・花咲アキラ

むむっ!食べることにうるさい人か!と心配になったが、ぜ~ぜん杞憂であった、夫もわたしと同じ、単なる食いしんぼなだけだった。

現在92巻まで揃っている、わたしもだいぶ協力した、半分はわたしの
ものかも^_^;

夫は仕事のついでによく産直野菜や地鶏の卵、手作り豆腐などなど、、
目に入ったものを買ってきてくれる。

今朝は以前、二人で出かけたときに寄ったパン屋さんを覚えていて
また買って帰ろうと言う、(わたしはまったく場所を覚えられない)



ほかのパンもおいしいと思うが、ここはバゲットがピカ一と思う。

外・パリパリ、中・モッチモチ~
小さなお店、店内にさりげなくある小物類で店主がフランスで修行した人と想像できる。

焼きたてはもちろん特においしい!
ひざの上に置いているとポカポカする。

会社につくまで待てない!
車の中で手を洗えない!






←ゆえに、こうなった!
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喫煙所

2005-11-25 18:29:45 | 世間
数年前のある週刊誌に「おじさん改造講座」という連載があった。
若いOLが職場のおじさんの生態をおもしろおかしく紹介していた。

うちの会社に来る数少ない営業マンの中にも、何年経っても必ずや
ひとりふたり、コテコテのオジタイプの人がいるものである。

わたしのほうが年上になってるはずなのに、思わず「おっさ~ん!」と
呼びたくなるタイプのひとたちだ。

まず決まって夕方4時ころに現れる。
うちあたりに来ても受注が増えるわけはなく、5時に自分の会社に
戻るまでの時間かせぎである。

お茶を出して相手をするが、話がくそおもしろくない
自分の会社に戻っても誰にもお茶を淹れてもらえないヤツだと
わたしは睨んでいる。

携帯が鳴り、会社の人と話しているのを聞いていると、やたらいばり
ちらしている。

タバコを必ず5本以上吸って行く。
ここならいくら吸っても文句は言われない。

こういうタイプのひとが妻から熟年離婚されるんじゃないのかな~と
思ったりもする。

しかし案外すっごい恐妻家で、自分の会社のOLと零細な取引先の
おばんにデカい態度とってうっぷんばらしをしているのかも知れない。

いずれにしてもとても改造する気にはなれない・・・。
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イタリアーノな休日

2005-11-24 17:01:20 | 
昨日は「勤労感謝の日」、でも午前中仕事(泣

10時頃姉から携帯にメール
「TV東京で南イタリアやってるよ」
「残念、車の中じゃ」と返信。

イタリアか・・そうだお昼はスパゲティにしよう!
夫「いいね!アサリを入れた、ほれ!あれ!・・」
私「ナヌ?!あんたの世代はナポリタンミートソースでしょ?」

スーパーに寄ったら道内産のアサリがあったので作るしかない、
砂出しの時間がどうかな?
「早く吐け! 吐けばラクになるゾ」とアサリに話しかける。

13時になって夫もう腹ペコ、よし空腹なら多少ヘマしても大丈夫
白ワインをぶっかけ(笑 “ふぁいあー!”

何とか自己流で完成! いちおうボンゴレビアンコのつもり。
パセリがなくルッコラで代用したり、好みの醤油風味にしたりとかなり
いい加減。

夫をバカにしたが、わたしもレストランではいつもペスカトーレ?
カルボナーラ? ペペロンチ・・???どれがどれ?

で、ワインは最近はもっぱら国産の無添加ワイン、外国産の銘柄には
まったく無知だし、これなら酸化防止剤(亜流酸塩)のキツさがなく
千円以下で買える。

もともとお酒にはめっぽう弱い、一杯で酔っ払い、おなかも満たされ
いつのまにか(-_-)zzz

気がついたら国際千葉駅伝の男子が終ってて、女子のラドクリフが
猛スパートで走っていた。
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ひとつ屋根の下

2005-11-22 16:53:46 | 
今日は「いい夫婦の日」だそうである。

商業ベースになど乗らずいつもと変わりない日である。
結婚記念日なども別にどうでもいい、結婚した日はおめでたいと
思うが別に記念日にするほどのことではない。

夫は基本的には一人で生活できる人であり、わたしとでなくても
たいていの人と合わせて暮らせる人だと思う。

わたしはわがままだから妻を疎んじる人は論外で、いわゆる「主人」と
「お世話係」的な関係の夫婦はまず考えられない。

ひとつ屋根の下、お互いくつろいでストレスなく暮らしたい。
無理をしない、健康もお互い自己管理だ、子供や病人じゃないのだから。

友人知人に「よく平気で旦那様を放っておけるわね」と呆れられるが
わたしも放っておかれても平気なほうなのである。

しかしひょっとしてかなり「ダメ嫁」かも知れないと思って、夫に時々不満が
あるか正直に言って欲しいと聞いても「ぜ~んぜん!」と意に介さない。
ありがた~いお人である!

お互い不満を抱えて我慢してまで一緒に暮らす理由はない、
嫌になるほど喧嘩もしたが、最近は何も気にならなくなってきた。

わたしがやっと少し大人になったのかも知れない。
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人がみな、我より偉く見ゆる日・・

2005-11-21 17:50:15 | Weblog
昨日の日曜・・
今年は早めにと裏の物置からママさんダンプ→
をズリズリズリ・・と引っ張り出してきた。

道南産のわたしとしては、札幌の雪の多さにこんなはずでは・・だった。
ママさんでなくババになってから使い始めたので、すぐ腰が痛くなる(泣

情けないわが身に比べ(比べるのがそもそもおかしいが)高橋尚子はやはりすごい!
見てよ(笑 この走りっぷりの小気味よさ!

アテネ五輪だって出られるとわたしは信じてたのに(泣 

野口なんとかさんも金メダル取ったけど、やはりシドニーの高橋尚子は鮮烈だった。

五輪二連覇が見たかった~と言うのがわたしの勝手な感想。


しかしいつもマラソンTVで見るんだけど、約2時間半ソファで
ゴロゴロしてしまうわたしは終わってるね (-_-;)

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ドライブスルーはでぶのもと

2005-11-18 19:12:18 | 
夕方5時ころはいつも小腹が空いてくる。

今日はその魔の時間帯、夫と車に乗っていて急にケンタが食べたくなった。
夫は鶏肉が苦手なのにケンタは好きだという変なヤツだから、すぐ賛成する。

しかし二人ともこれ以上でぶになるのは・・・何とか諦める理由をさがした。
会社へ戻る途中にKFCがあるが、「道路の反対側だから寄るの面倒だよね!」

夫「大丈夫だよ」とはや右折の構え、ああ!しかもドライブスルーだ。
首を横に向けるだけで用が足りる、車と一心同体民族のアメリカ人の発明だ。

30年前に銀行までドライブスルーがあったほどだからアメリカ人のでぶは半端
じゃない、バスの2人掛け座席が埋まるヒップの持ち主がザラだった。

ジャンクフードと運動不足を日本にもたらして・・なんてアメリカ人のせいに
したが、なんのことはない、おのれの自制心のあまりの弱さよ。

でも我慢するとストレス太りということもあるしね・・と言い訳にはこと欠かない。

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ブログの効用

2005-11-17 17:53:37 | Weblog

若き日(笑の・・・霧のサンフランシスコ→

ブログを始めたときは、いつまで続くか、取り合えず何とか
なるだろう・・てな感じだった。

最初は文章を書くだけで精一杯、写真なんてとてもとても・・と
思っていた。

それがいつの間にかブログに入れるための写真を撮り始めるように
なってるではないか! ところが過去のことを書こうとすると、そのままでは
載せたくない写真しかないことがある。

苦肉の策で画像編集でトリミングと切り取りを使って、白い帯で目隠しを
入れてみたが、な~んかカッコ悪いので没にしていた。

そんな時、グッドタイミングでBrewskiさんのブログの中の写真を見て「わぁ、これだ!」

さっそく “Please let me know ”
は~るばるシカゴから(ネットは時空?を超える)教えてもらってやってみた。

Photoshopにこんな機能があったのを知らなかった!
ブログっていろんな展開があって当分やめられまへん(^^ゞ
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嗚呼・・結婚

2005-11-16 19:50:59 | 雑感
昨日は紀宮様のご成婚一色だった。

TVカメラが神前結婚式場を映すと夫が「あ、うちと同じだ~」
「新郎の父が携帯の着メロ♪ 鳴らして神主さんに睨まれた結婚式と一緒に
するな~!」とわたし。

石原都知事が「結婚は賭け・・」とか言っていたと思ったが、まったくだ~(笑
女性は姓も変わるし(ちなみにわたしは旧姓の方が好きだ)、今は信じてないが
姓名判断も違ってきて、どうしてこの数はこんな人格になるの?!ってのも有り
だった。

やはり相性って大事なのかも知れない。
感性や価値観が近いだけでかなり楽だと思う。
若いときの結婚は恋愛の延長上で相手を冷静に見てなかった・・(泣

あ~、何か重たくなりそうなので、お笑いに逃げよう!


父 「いいか、お前。幸福というものは結婚しないと、わからないものなんだぞ」
息子「ほんと?」
父 「もちろん。もっとも、その時はもう手遅れなんだがね」

    ******

妻 「ねえ、あなた。愛のない結婚よりつまらないもの、あると思って?」
夫 「あるよ、お前。結婚のある愛だ」

                      出典:ラテンアメリカジョーク集
                               実業之日本社

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LA追想 滞在生活 その4

2005-11-15 20:02:00 | 追想
**通信・交通・英語・映画・その他日常ごと**

当時(約30年前)のLAは日本よりよい面もたくさんあった。
1ドル=250円前後の時代なので、やはり日本よりある意味かなり
豊かな国だった。

まず電話を引くのでも、日本なら何万円もかかるのが、五千円ほどで
簡単に引けた。

ダウンタウンの確かパシフィックテレフォンという会社名のオフイスへ
行けば、数色の電話機(ダイアル式ではあったが)の好みの色を選びその場で
持ち帰えれば、アパートでモジュラージャックにつないですぐに使えた。

車がないと暮らせないと言われているのは確かだが、バスは意外に便利で
わたしは郊外のサンタモニカ市や、帰国前には行ったことがないと
言う日本人の女の子を数人連れて“ユニヴァーサルスタジオ”や
“ナッツベリーファーム”などへもバスで行った。

どんな安アパートであっても、ひねればお湯が出た、水道の水はまずく
スーパーの自販機で買ったり、家に大きなボトルを備えて配達・交換の
水ビジネスを利用していた。

W氏一家との旅行で途中コロラド州でも水を買おうとしたら
「ロスから来たのね、ポリ容器もってるからわかるわ、コロラドの
お水はおいしいのよ」といわれてしまった。

最初に住んだアパートの近くにはスーパーとマクドナルドがあり便利
だった。マニアル通りに問いかけてくれるので、注文できるように
なれば日常会話をマスターしたようなものである。

わたしは結局、カタコト英語、おそらく3歳児程度の英語しか身に
つかなかったが、後々の海外旅行ではそれで十分役に立った。
人は3歳児とでも会話できるものだからである。

向こうで見た映画の主なものは「JAWS(ジョーズ)」とアガサクリスティ
原作の「ナイル川殺人事件」、日本のように字幕スーパーがなくても楽しめた。

そのうちホームシック気味になり「男はつらいよ」などの日本映画を
見たりしたが・・。TVでは当時でも大晦日に紅白歌合戦も見られた。

有名スターの手形・足型で有名なチャイニーズグロウマンズシアターは
たしかに手形・足型はあったが、周囲はスターとは程遠い劣悪な環境に
あって驚いた。

映画の都ハリウッドの雰囲気とは結局無縁で、ビヴァリーヒルズに
しても車に乗せてもらって行ったが、門が閉まった豪邸が並んでいる
だけで有名人も出歩いているわけもない。

気候もよく慣れると生活しやすい街ではあったが、やはり多種多様の人種が
混在し、いろいろな問題を孕んでいるアメリカは正直ずっと住みたい国
ではなかった。

肌に合わないというか、よほどタフでなければアメリカ人にはなれない。
わたしは一時滞在者で終わり、帰国後も再び訪れたいとは思わなかった。

最近になって、やっと又行って見たい気が起こってきている、陸続きなのに
メキシコへも行かなかったことも悔やまれる。

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LA追想 滞在生活 その3

2005-11-15 18:16:11 | 追想
一年か一年半後に再び渡米した。

今度はグリーンカード(永住権)が下りての滞在なので好きなだけ
住めるというのに、皮肉にも長くない滞在になった。

例の合弁会社は解散しO氏は帰国、W氏は一人リトルトーキョーの
オフイスに移っていた。

わたしは結婚相手と上手くいかず、悩みながら規模の大きいパブリック
スクールに通い始めた。

クラスも初級から上級まで分かれていて、上級クラスには大学に進む
つもりの人たちがいた。

わたしは、どうせなら基礎からと初級クラスに入った。
日本人がウジャウジャいて、次に多い外国人は当時はイラン人だった。

パーレビ国王体制下で豊かで自由なイラン人が日に日に増えてきている
感があったが、後にホメイニ師下のイスラム色の強い国家に戻ったとき
彼らは国へ帰ることができたのだろうか?と今でも思う。

そのパブリックスクールも州の予算が出なくなり閉鎖になり、教師だった
フェルナンドは校長と新しく英語学校を設立した。

それまでの間、時期的な記憶があいまいだがW夫人が、三人目のおめでたの
ためサンタモニカのW家に居候しながら離婚の決意を固め、帰国までの
数ヶ月は新しくアパートを借りて過ごした。

その頃は友人知人が急に増えていた。
デパートの高○屋駐在員のご夫婦とリノまで行ってカードでプチギャンブルを
したり、学校で知り合った日本人の男の子二人を従えて(笑、ビーチに肌を
焼きにいったりもした。

別なグループだった日本人の女の子数人の知り合いだったユダヤ人(また
ユダヤ人か!)のおじいさんに何故か気に入られ、フェルナンドの開いた
学校に顔を出しているとき、キャディラックで迎えに来て「こんな学校で
英語を習わなくても、わたしとランチを食べたり、買い物に付き合って
くれたりすれば英語を覚える」とか言われたり・・。

しかし浮かれてはいられない、わたしはLAでひとり生活して行く気には
なれなかった。

そこには留学生ビザが切れたまま、中途半端に滞在している多くの日本人
留学生がいた、大学まで進み卒業するにはかなりの英語力が必要なのだ。

日本の小学校教師の職を捨て、アメリカの大学で英語で心理学を学びたいと
やってきていたキ○コさんなど、悪いがとうてい無理だとフェルナンドと
話たりしてた。

そこには永住権があって一足先に働きだした韓国人の女友達のミュンジャが
買ったばかりの新車をその日の晩に傷つけられるというやり切れなさが
あった。

自由の国アメリカと言うが、たとえ車でも女性が夜自由に行動できない
治安の悪い場所が多い国は、不自由この上ない。

W氏もLAに滞在している日本女性を多く見ていて、わたしに帰国する
よう勧めてくれていた。

そしてまた帰国前にはキャンピングカーをレンタルして、ユタ州の
ソルトレイクシテイを皮切りにイエローストーン国立公園までの
夏休暇のご一家の旅に誘ってくださった。

つづく
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L.A.追想 滞在生活 その2

2005-11-14 18:58:31 | 追想
それは合弁会社とでも言うのだろうか?

現地側のユダヤ人2人組(しかもホモ?!)と日本企業の
駐在員2人組は個人的にもビジネスパートナーとしても
上手く行ってるようには見えなかった。

経理の腕を買われて来たというO氏のアシスタント的な
仕事だったが、わたしは殆ど遊んでいたようなものだった。

ランチにいつも連れて行ってもらい、中華料理や日本食を
ごちそうになった。うぬぼれかも知れないが毎日ホモのユダヤ人と
顔を合わせてうんざり気味の二人にとって、少しは気晴らし効果が
あったのかもしれない。

ナンシーさんは“ダイエット、ダイエット”がくちぐせで
同じビルのオフイスの、よくコピー機を借りにくるオネーサンと
出かけていた。 

当時は電動タイプライターとOA機器はコピー機だけだったと思う。
しかしそのオフイスのコピー機でナンシーさんが器用に両面コピーを
取って見せてくれたのを覚えている。

そのうちW氏の奥様が二人目ご出産予定で、引越しのお手伝いを
したのを機にサンタモニカにもよく遊びに行くようになった。

W夫人は、二世のドクターが言っていた駐在員夫人たちとは、全く
反対で英語が堪能で優秀な方だった。

お嬢さんの幼稚園の先生であるハリエット嬢(彼女もユダヤ人だった)が
身の上相談的なおしゃべりをしに来たりしていた。

彼女はお金持ちの住むマリナ・デル・レイにルームメイトとアパートを
借りていた、狙いは明らかである。

彼女は残念ながら魅力的には思えなかったが、後日マリナ・デル・レイの
レストランでわたしは初めて映画に出てくような目の覚めるような美女を
見た。

それまでダウンタウンやオフイス街で“美しいアメリカ人”に会ったことが
なく映画と現実はちがうもんだわい・・と思っていたのだった。

ビザの期限が近づき、デイズニィーランド(↑写真)くらいしか観光して
なかったが、W夫人のお母さまがいらして、わたしはまたラッキーなことに
サンフランシスコや

ライオンカントリーサファリなどの観光に一緒に連れて行っていただき、一旦帰国した。    

 つづく

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タイヤ交換の季節

2005-11-13 14:47:56 | 
一度、オフモードに入るとテコでも動かないゴロゴロろうばだが
冬将軍が待ったなしでやってくるとなると、動かざるをえない。

昨日、今日とブログもサボるつもりだった。
しかし天気予報は今日からまた雪、ラジオでもタイヤ交換は
土曜のうちに・・なんて言っていた。

何でタイヤ交換の仕方なんて覚えてしまったのか・・と悔やむ。
できなければとっとと迷わずスタンドへ行くものを。

よし、やっぱり夫にやらせよう!お昼は家に戻って食べるように言えば
エサに釣られてやってくる・・。

ところがしつこく鳴らしても携帯に出ない!
あんなに察しの悪かった人が・・いつの間にカシコクなったんだろ!?

観念して外へ出たら意外にポカポカ陽気である。
庭囲いに出ていたお向かいの奥さんとおしゃべりしながら
チンタラチンタラ・・。2個目までは早いが4個やると飽きてくるし
腰も痛くなる~、夫がいれば手伝うだけでいいので20分もあれば済むのに・・。

それなのに、もはやいっぱし(?のブロガーになった気分で写真まで撮って
しまったりして・・。
で、今日サボるつもりだったブログをアップしてしまうことになる。

昨日の夕方、夫は「ひとりでできたか~い~♪」と帰宅した。
で、今日もいい天気じゃありませんか!

しかし夫は以前は12時から囲碁番組だけだったのに、最近は10時からの
将棋番組から見始めて、14時までTVに張り付いている、半分はうたた寝
して気持ちよさそう~。

結局昨日やって正解だったわけで。
今、もう陽も陰って外は寒そうである、わたしって鬼嫁ではないな・・と
自分で納得・・してどうする!^_^; 
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