昨日の午前中、まめがお世話になったどうぶつ病院からのお花を届けたいと花屋さんから連絡を受けた。
午後から火葬に向かうが、霊園に
届けるのは時間的に無理とのことで、夕方自宅で受け取ることに。
お骨は持ち帰らないつもりでいたので、お花を置く祭壇とまめの遺影を
用意しなければと、火葬中にスマホにあるまめの写真を夫と選んだが
決められない。
帰宅後疲れていて、プリンターが
スマホに未接続のままだし、あったはずの写真用紙が見つからない。
でもご飯とお水もあげたい思いが
湧いてきて、Mac なら有線でプリンターと繋がっているのを思い出し、
写真も同期されてあるはずと。
写真用紙も何度も探すうちに
見つかった。
そしてMac で見つけたこの写真
まめがこれだよと言ったようだった。
スマホで殆どの写真は、何度も何度もしょっちゅう見ていたのに
不思議にこの写真は印象に残らず
びっくりした。
こんな眼差しのまめが写っているのは唯一これだけ。
なんて穏やかでやさしくてかわいいの❤️
何かわたしに問いかけているネ。
昨年の10月にとっていたものだった。
撮った時にも当然見ているはずなのに、何故それほど感じなかったのか
未だに不思議だ。
まるで今この時に使うべき写真
だったとしか思えない。
本当にこんな一枚があったとは
思わなかった。
夫も「あ、いい写真だね!」と言った。
まめのケージの上にお花と一緒に
飾った。
生前のように、リビングのどこに
居ても目が合う。
嬉しそうに笑っている写真は逆に
悲しくなるのに、この写真は
わたしのこころを無条件で癒して
くれる。