ろうばのつぶやき

もはや逆らえないわが身の老化と世の中のIT化、パソコンを前にひとりつぶやく昨今。

小樽追想

2006-02-21 13:56:25 | 追想
小樽は幼いころから馴染みのある街である。

最近は新興観光地をミーハー気分で訪れるが
当時の記憶は駅前近辺に集約されている。

→写真はメルヘン交差点(?)のあたり


4~5歳のころ、3歳年上の兄が札幌の北大病院に
入院していた。

付き添っていた母に会うために、わたしはあるときは
伯父に、またあるときは父母の知人にと、誰かが札樽
方面へ行く(帰る)機会に何度か連れて行ってもらい
その度に小樽へ寄っていた。

当時は函館から汽車で6時間くらいもかかったと思う。
今、飛行機に12~3時間乗ってもあまり退屈しないのは
そのころ鍛えたせいかも知れない(^^ゞ

伯母(母の姉)一家が小樽駅からほど近いところに住んでおり
幼いわたしは伯母の苗字も知らず、「オタル」といえば
それは「小樽」であり「伯母の一家」のことでもあった。

デパートの丸井今井の近くで迷子になったときも、何を
聞かれても「オタル」としか言えなくて、どうして無事に
戻れたのか未だに不思議である。

ものの本によると、北海道初の本格的ホテルができたのは
小樽だそうである。

伯父は恐らく旧北海ホテル(記憶があいまい)にコックさんと
して勤めていて、平凡な長屋暮らしではあったが、家には
当時としては珍しいリプトンの紅茶と、しゃれたティーカップが
あった。

ときどきホテルのレストランに呼んでくれて、わたしにはいつも
高い(笑 マスクメロンをふんだんに入れた特製パフェを作って
くれた。

小樽と言えばお寿司・・かも知れないが、当時はそんな
印象はない。同じ港町函館でお寿司はすでに馴染みがあった
せいかも知れない。

伯父は大酒飲みで伯母や一人娘(従姉妹)から疎んじられて
いたみたいだが、ハイカラ好きだった父より早く、わたしに
「洋食文化」と出会わせてくれた伯父のいた小樽が、わたしに
とっては忘れられない「オタル」のひとつである。
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