◎高橋伸夫氏はアルグレン『日本の経営』をどう見たか
『虚妄の成果主義』(日経BP社、二〇〇四)の著者である高橋伸夫氏は、アベグレンの『日本の経営』(ダイヤモンド社、一九五八)をかなり高く評価している。『虚妄の成果主義』の第二章から引用してみよう(七七~七九ページ)。
アベグレンは、非欧米国でしかも一貫してアジア的なものを残していながら、当時既に工業国といえるようになっていた日本に注目した。1995年から1956年にかけて日本の19の大工場と34の小工場を訪問調査し、その結果を基にして著したのが『日本の経営』であった。1958年のことである。原題はThe Japanese Factoryつまり『日本の工場』だった。この『日本の経営』は、原著でわずか150ぺージほどしかないコンパクトな本であったが、日本的経営に関する海外の文献でこの本を引用しないものはほとんどないというほどの記念碑的業績になったのである。
まずアベグレンは「米国式の組織および管理の制度は、工業化に対する数個の可能な方式の一つをなすにすぎない」(「日本語版への序」)と考えた。実際、当時から、日本の工場では、組織等が欧米とは著しく異なっていたらしい。しかし、その事実にほとんど何の注意も払われないままに、欧米の生産方式や機械がそのまま導入されているのは、おかしいというわけである(Abegglen,1985,ch.1)。
そしてアベグレンは、米国の工場との決定的な違いとして、日本でみられる「終身コミットメント」に着目する。これは、日本の工場では、雇い主は従業員の解雇や一時解雇をしようとしないし、また従業員も辞めようとしないということを指している。それに対して、米国の会社では、逆に高い移動率は望ましいものと考えられていた。
ただし、終身コミットメントがあるために、そのままでは、日本の工場は景気変動や需要変動に適応できなくなってしまう。そこで、環境の経済的・技術的変化に対するバッファーとして、日本の工場では、現在でも広く観察される次の二つの方法が既にとられていたという。
①終身的な正規の従業員の他に臨時工員を利用する。
②大工場に結合した形で、かなりの子会社、関係会社をもち、下請けが行われている。下請けは時には親会社の工場内で行われている。
これはどちらも現在もみられる方法である。今でも日本の工場では、終身コミットメントがあることの証拠であろう。工場をちょっと見ただけではわからないが、②の後半部分、すなわち親会社の工場内での下請けもよく用いられる方法である。実際、ある企業の一つの工場の建物の中で、一つの生産ラインに何社もの下請企業の従業員が張り付いて仕事をすることは、ごく普通に行われている。これを「内注」と呼んでいる会社もあって、雰囲気がよく出ている。バブル期に日本国内の工場が極端な労働者不足になって、外国人労働者を雇い入れた際も、多くの日本企業ではこの方式がとられていた。つまり、正確には外国人労働者は下請け企業の従業員として雇われており、下請け企業が丸ごと工場に働きに来ていたのである。
いずれにせよ、アベグレンによれば、こうして、この終身的なコミットメントは、求人や採用の制度、動機づけと報酬の制度との間に相互に密接な関係をもっており、まさに日本の工場組織全体の基本的な部分をなしていると指摘するのである(Abegglen,1985,ch.2)。【以下略】
昨日も述べたように、高橋氏の『虚妄の成果主義』は、鋭い問題提起をおこなって、話題になった本である。その本のなかで、アベグレンの『日本の経営』は、このように高く評価された。そのことが、アベグレンに、『新・日本の経営』の執筆を促した可能性も、完全には否定できないと思う。【この話、もう少し続く】
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