◎牧野富太郎と「すえ子笹」
本日も、牧野富太郎『わが植物愛の記』(河出文庫、2022)の紹介である。本日、紹介するのは、第一部「想い出すままに」の中の、「すえ子笹」という文章である。
すえ子笹
昭和三年二月二十三日、わが妻寿衛子は五十五歳で永眠した。病原不明の死だった。病原不明では、治療しようもなかった。世間には他にも同じ病の人もあることと思い、その患部を大学に寄贈しておいた。
妻が重態のとき、仙台からもって来た笹に新種があったので、私はこれに「スエコザサ」の名を付し、「ササ・スエコヤナ」なる学名を付して、発表し、この名は永久に残ることとなった。この笹は、他の笹とはかなり異なるものである。
私は、このスエコザサを妻の墓に植えてやろうと思い、庭に移植しておいたが、今ではそれがよく繁茂している。
妻の墓は、今、下谷谷中の天王寺墓地にあり、その慕碑の表面には、私の詠んだ句が二つ、亡き妻への長【とこ】しなえの感謝として深く深く刻んである。
家守りし妻の恵みやわが学び
世の中のあらん限りやスエコ笹
妻は、今、私の棲んでいる東大泉の家に、ゆくゆくは立派な植物標品館を建て、これを中心に牧野植物園をこしらえてみせるという理想をもって、大いに張り切っていたのであったが、これもとうとう妻のはかない夢として終わってしまった。今の家ができて、喜ぶ間もなく妻はなくなってしまつたからである。
しかし、私は、いつの日にか、妻の理想が実現できると信じている。
「スエコザサ」は、牧野富太郎が、1927年(昭和2)に、仙台市で発見した笹の新種。イネ科アズマザサ属のササ類で、学名は Sasaella ramosa var. suwekoana だという。
なお、牧野富太郎が遺した約50万点の植物標本は、現在、都立大学の牧野標本館に保管されている(ホームページ「東京都立大学 牧野標本館」)。
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