◎日本語の助詞「が」と「は」、それに対応する朝鮮語
濱田敦『朝鮮資料による日本語研究』(岩波書店、一九七〇年三月)から、第二編の六「主格助詞가(ka)成立の過程」を紹介している。本日は、その二回目。
朝鮮資料がその様なことにも役立つべきことを証明してみたいと考えて、まずとり上げたのは、日本語の、主格を表わすと云われる助詞「が」および、それと用法の重なり合うところは多いけれども、国語学の立場では一般に「格」助詞としては扱われないところの「は」についてである。その理由は、この両言語は周知の如く、助詞、つまりpost¬position とも云うべき小詞を共通に持ち、しかも、一つの言語の殆んどすべての、個々の助詞は、それぞれに相対応するものを他の言語にも見出すことが出来るのである。この「が」と「は」についても、やはり朝鮮語において、ほぼそれぞれに対応するするka(‛i),num(‛um)が存在する。但し、その両者における意味用法の一致は、あくまで「ほぼ」に止まるものであることは云うまでもない。また、「は」と「が」および朝鮮語のnum とka それぞれの間にも、それぞれにおいて微妙な一致と差異とが存在するのである。その様な微妙な、「が」と「は」との一致と差異の、少くとも或る面を、それぞれに対応する助詞を持つ朝鮮語との対訳形式を採る朝鮮資料の幾つかを重ね合わせることによって、つかむ手がかりが与えられるのではないかと思うのである。
但し、ここでは、その様なねらいを正面からとり上げようと云うのではない。それは別稿に譲って(本書二二八ページ)、ここでは、その問題を考える過程において、はからずも得られた、私の専門外の朝鮮語史的事実について報告し、専門家の批判を仰ぎたく思うのである。何分専門外のこととて、現在この問題について、どの程度まで研究が進んでいるかを、特に「韓国」および「朝鮮」の学界の実状に全く疎い〈ウトイ〉私は知らない。従って、或は、既に論じ尽された常識的事柄を、事新しく述べると云ったこともあるかと思うが、その点については、内外の専門学者の叱正を賜りたいと思う。【以下、次回】
文中、「別稿」とあるのは、『朝鮮資料による日本語研究』の第一編の五〝「が」と「は」の一面〟を指す。