礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

政治的な変革に伴い、言語にも著しい変化が現れる

2022-06-18 04:44:25 | コラムと名言

◎政治的な変革に伴い、言語にも著しい変化が現れる

 濱田敦『古代日本語』(大八洲出版、一九四六)から、「序説」を紹介している。本日は、その二回目。

 さて本書に於いては、斯くの如き「日本語的性格を有する言語」の凡て〈スベテ〉の面ではなく、その中〈ウチ〉、時代的に近代或は現代などと区別される如き「古代」と云ふ一面から之を考察せんとするものである。然らばその所謂「古代」とは如何なる意味を有するかと云ふ問題であるが、一般に言語が時と共に変遷することは明らかな事実であるが、其の変遷の状態は法律規則の改変の様にはつきりと或る一定の時期に於いて前後を画する事が出来るものではなく、例へば或る一つの音韻の変化が発生した場合に於いても、それがはじめは或る特定の語に限られてゐたものが徐々に多数の語を襲ひ、遂に凡ての其の音韻を含む語に及ぶと云つた風に行はれるものであり、而も尚地方的に見れば、或る特定の方言に於いては当該音韻変化が全然行はれず、もとの音韻が依然として行はれてゐると云つた様な事さへも珍しくはないのである。従つて我々が日本語の変遷を論ずるにあたつても、文献について溯り得る限りの古代より、現代に至るまでに音韻、語法、語彙の各方面から考察して多くの変遷のあつた事は厳然たる事実として認めなければならないであらうが、それ等の個々の変化が何時〈イツ〉起つたかと云ふ事になると文献の不備等の原因よりしてはつきり之確める事が出来ない場合が多く、又たとひそれが出来たとしても、その個々の変化は決して突然或る一定の時期に於いて同時に起ると云ふ性質のものではあり得ないから、政治史に於けるが如く、截然〈セツゼン〉たる時代区分を為すことは不可能と云はねばならないのである。然しそれにも拘らず一般に日本語の歴史を説くにあたつては幾つかの時期に之を分つ事が行はれてゐる。それは一つには単なる便宜上の理由からであるが、又一つには、たとひ截然たる区分は不可能であるにしても、例へば風俗、習慣等の変化がやはりさうである如く、言語も亦社会の一つの習慣である以上政治的に大なる変革があればそれに伴つて言語の変化も殊に著しく現れるのが常であり、又その変化の境界は恰も〈アタカモ〉ぼかし模様の如く曖昧であるにしても、その両極を比較対照する場合には明らかに相違が認められるのであるから、その両極の中間を以て大体の限界として便宜上時代区分を施すことは決して不可能ではないと云はねばならない。然し此の日本語の歴史の時代区分の方法は、文献の不足調査の不充分、或は見解の相違等の原因から、学者によつて必ずしも一致してはゐない。【以下、次回】

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