礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

樹を養う法を聞いて人を養う術を得た(問養樹得養人術)

2021-03-23 02:48:14 | コラムと名言

◎樹を養う法を聞いて人を養う術を得た(問養樹得養人術)

『漢文講義録 第四号』(大日本漢文学会出版部、一九二四)から、柳宗玄「種樹郭橐駝伝(しゅじゅかくたくだのでん)」のところを紹介している。本日は、その四回目。〔訓読〕のあとに〔字義〕があるが、これは割愛した。

〔白文〕問者曰以子之道移之官理可乎駝曰我知種樹而已理非吾業也然吾居鄕見長人者好煩其令若甚憐焉而卒以禍旦暮吏來而呼曰官命促爾耕勗爾植督爾穫蚤繰而緖蚤織而縷字而幼孩遂而鷄豚鳴鼓而聚之擊木而召之吾小人輟飡饔以勞吏者且不得暇又何以蕃吾生安吾性耶故病且怠若是則與吾業者其亦有類乎問者喜曰不亦善夫吾問養樹得養人術傳其事以爲官戒也

問者曰、以子之道、移之官理可乎、駝曰、我知種樹而已、理非吾業也。然吾居鄕見長人者、好煩其令。若甚憐焉、而卒以禍。旦暮吏來而呼曰、 官命、促爾耕。勗爾植。督爾穫。蚤繰而緖。蚤織而縷。字而幼孩。遂而鷄豚。鳴鼓而聚之、擊木而召之。吾小人輟飧饔以勞吏者、且不得暇、又何以蕃吾生、安吾性耶。故病且怠。若是則與吾業者、其亦有類乎。問者喜曰、不亦善夫、吾問養樹、得養人術。傳其事、以爲官戒也。

訓読〕問ふ者曰く、子の道を以て、之を官理に移さば可なるかと。駝の曰く、我れ種樹を知るのみ、理は吾が業に非ざるなり。然れども吾れ鄕に居【を】つて人に長たる者の好んで其の令を煩にするを見る。甚だ憐むが若くにして、而も卒【つひ】に以て禍【わざわひ】せり。旦暮【たんぼ】吏來【きた】つて呼んで曰く、官命爾【なんぢ】が耕を促す。爾が植を勗【つと】む。爾が穫を督【たゞ】す。蚤【はや】く而の緖【いとぐち】を繰【いとく】れ。蚤く而の縷【いと】を織れ。而の幼孩を字【いつくし】め。而の鷄豚を遂げしめよと。鼓【つゞみ】を鳴らして之を聚【あつ】め、木を擊つて之を召す。吾れ小人飧饔【せうじんそんよう】を輟【とゞ】め以て吏者を勞【らう】し、且【まさ】に暇【いとま】を得ざらんとす、又た何を以て吾が生を蕃【しげ】くし、吾が性を安んぜんや。故に病み且つ怠る。是【かく】の若くんば、則ち吾が業の者と、其れ亦た類する有るかと。問ふ者喜んで曰く、亦た善からずや、吾れ樹を養ふことを問ひ、人を養ふ術を得たりと。其の事を傳へて、以て官戒と爲さんと。

大意〕橐駝の言。其の三、遂に民を養ふの術に及ぶ。因つて問者【もんじや】嗟嘆の語を以て結べり。

講義〕そこで問う者の言うよう、ではお前さんの植木道を、それを移して官吏の治民法に応用できようか、できそうに思うがと尋ねた。すると橐駝の云うに、ワシは植木法を心得ておるばかりで、政治などはワシの仕事ではない。けれどワシは村にいてよく知っておるが、百姓の長になったお役人は、とかく好んでオフレをメンドウにする。ちょっと見るとひどくかわいがっておるようではあるが、結局はそれで以て禍いを及ぼしておる。朝な夕なにお役人が来てよばっていうには、オカミの命令でお前たちのスキカエシを促す。お前たちの植えつけをはげます。お前たちのトリイレをとりしまる。早くお前たちのイトグチを繰り取れ。早くお前たちのイトを織りなせ。やれ子どもを可愛がれ。それ家畜を育てよ。と、こういうありさまで、そしてオフレのあるたびに、まるで戦争のごとくである。めいめいにしごとの用意のあるものを、攻め太鼓の如くに鼓を鳴らし、賊でも来たようにヒョウシギをうって召集する。ワシらカイショウナシは、朝夕の食事をやめてお役人のホネオリに挨拶をして、それが為にほとんどヒマがないくらいであるから、この上どうしてミイリをゆたかにしたり安心してヒャクショウしたりできようか。それゆえみな病みついて仕事をせぬ。まあこんなふうであって見れば、お役人の仕事もワシの同業の者とだいぶ似たところがあるらしい。と橐駝がこう答えた。問うた人は喜んで、善く言ってくれた。僕は木の培養法を問うて人民撫養の術を会得した。その話を文章に書き伝えて、官吏の訓誡にしたいと云った。

 以上、柳宗玄「種樹郭橐駝伝」の全文に対して、『漢文講義録 第四号』がおこなった解説を紹介したわけだが、同誌同号が、この文章そのものについて、あるいは、その筆者についておこなった解説は、まだ紹介していなかった。次回は、その紹介をおこないたい。

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