礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

塚本哲三の漢文独習書(1925)を再読する

2021-03-09 00:01:54 | コラムと名言

◎塚本哲三の漢文独習書(1925)を再読する

 二〇一五年五月、当ブログで、塚本哲三著『漢文初歩学び方考へ方と解き方講義』(考へ方研究社、一九二五)という本を紹介したことがある。
 本年になって、この本を読み直してみたが、やはり面白かった。たいへん勉強になる本だと、改めて思った。
 本日は、同書から、『国史略』を引いている部分(一一六~一一九ページ)を紹介してみたい。ここで「正之」とあるのは、会津藩の初代藩主として知られる保科正之(ほしな・まさゆき)のことである(一六一一~一六七三)。また、小櫃素伯(おひつ・そはく)というのは、その保科正之につかえた儒者である(一六〇五~一六六二)。

例五】正之嘗与侍臣語問其所楽小櫃素伯対曰臣有二楽家貧而不知奢侈楽天安貧是一楽也正之問其一素伯曰言之恐触忌諱正之曰第言之素伯曰臣幸不生而為諸侯是二楽也正之問其故曰臣視今之所謂諸侯者左右群臣率皆阿諛迎合務順適其意莫復一人献逆耳之諫者於是驕益驕而愚益愚雖有聡明之資不学無術其何以得甄別淑慝哉独至於卑賤之士則異此良師規之其前益友誨之其後日得聞其過失此臣所以幸不生於諸侯為楽也

 漢文が「白文」で示され、そのあとに「考へ方」と題した注釈がある。そのさらにあとに、「解」があって、その前半で、句読点、返り点、送り仮名を付した漢文が示される。後半では、その漢文を現代語訳したものが示される。
 ここでは、「考へ方」は省略する。「解」の前半も省略し、その後半にあたる現代語訳の部分のみを示す。この現代語訳は、原本ではカタカナ文になっていたが、ひらがな文に直した。

 考へ方 【略】

  【前半は略】
 正之が嘗て侍臣と物語をして、侍臣たちが何を楽みにするかを問うた。小櫃素伯がその問におこたへして、「拙者に二つの楽みがあります。家が貧しくして奢侈贅沢【シヤシゼイタク】を知らず、天命を楽み貧に安んじて居ります。これが第一の楽みであります」と曰うた。正之は更に他の一つの楽みを尋ねた。素伯が曰うやう「それを申上げたらば恐らくお気にさはりませう」と。正之は「何でも構はぬから只言ひなさい」と曰うた。素伯が「拙者は幸にも諸侯として生れませなんだ、これが第二の楽みであります」と曰うと、正之ななぜそれが楽みかと其の理由を問うた。素伯は「拙者が今日の所謂諸侯といふものをよく見まするに、おそばの臣達は、大抵皆おもねりへつらつて、只々君主のお心に合ふやうにと務め、一人として君主の耳に逆ふやうな諫言を申上げる者はありません。そこで驕【オゴ】るものは益々驕り、愚かな者は益々愚かになり、よしやすぐれてえらい天性を持つてゐても、学問もなく何の能もありません。そんな事でどうして善悪を見わけて、立派な臣を用ひ、よくない臣をしりぞける事が出来ませう。所が只身分の賤しい者になると、それとは違つて、よい師が前【マヘ】の方からたゞし戒め、為になる友人が後【ウシロ】から教へ導いて、日々自分の過ちを聞くことが出来ます。これが私の諸侯に生れなかつた事を幸福とし、それを楽みとするわけであります」と曰うた。

「おそばの臣達は、大抵皆おもねりへつらつて、只々君主のお心に合ふやうにと務め」(左右群臣率皆阿諛迎合務順適其意)というところを読んで、最近の「忖度官僚」を連想してしまった。
 この『漢文初歩学び方考へ方と解き方講義』という本は、漢文の初心者に「白文」を読ませて、その解釈を求めるという、実にハードな独習書である。しかし、実に行き届いた参考書でもあって、本腰を入れて、この本に取り組んだ学習者は、かなり実力がついたのではないか。【この話、続く】

*このブログの人気記事 2021・3・9(9位に極めて珍しいものが入っています)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする