◎被告人相沢三郎を訊問する事左の如し(訊問調書)
小坂慶助『特高』(啓友社、一九五三)から、「Ⅱ 相沢事件」の部を紹介している。本日は、その八回目。
型の如く、殺人、持兇器上官暴行、傷害琪件として、訊問調寄が作成されて行く。
訊 問 調 書
昭和十年八月十二日、麹町憲兵分隊に於いて、殺人、持兇器上官暴行、傷害事件に関し、被告人相沢三郎を訊問する事左の如し
問 本籍
答 宮城県仙台市東六番町一番地
問 出生地
答 福島県白河町以下不詳
問 住所
答 広島県福山市御門町〈ミカドチョウ〉千五百三十七番地
問 所属
答 台湾歩兵一連隊附台湾総督府府立台北高等商業学校服務
問 位偕勲等
答 正六位勲四等
問 前科
答 なし
問 氏名年令
答 相沢三郎 当四十七年
訊問は順調に進んで行ったが、原因と動機との点になると、壁に突き当り仲々進捗しない、相沢中佐の供述は、客観的情勢と精神上の問題にばかり捉えられて、具体的問題に触れると、大声を出したり、喚いたり〈ワメイタリ〉、飛んでもない神懸りの事を言い出して手古擢らせた〈テコズラセタ〉。午後四時頃一応の取調べを打切って、特高室に帰って、ホット一息入れた。
憲兵隊はこの陸軍創設以来、始めての大事件で、ごった返していた。相沢事件を契機として、急進青年将校や極右団体の蹶起策動を、阻止防遏しなければならない。全国に厳戒の命令が飛び之等の動向視察に大童〈オオワラワ〉である。茜〈アカネ〉倶楽部(憲兵司令部記者倶楽部)の連中は、鵜の目鷹の目で私を狙っていた。此の事件の真相を握っているのは、私以外には分隊長と草間伍長の二人だけである。食堂にも便所にも付きまとって来る。日頃親しくしているので、こういう時は都合が悪い。対手〈アイテ〉はそこを付け込んで何処迄も追っ掛け廻す。
「陸軍省発表以外は禁止だよ!」
断っても、断っても離れようとはしない。
「共犯者は居るのか?」
「取人以外に関係者はあるか?」
「相沢中佐は気狂ではないのか?」
「いつ軍法会議に護送するのか?」
「取調べ中は神妙にしているか?」
質問攻めに苦しめられる。各社の写真班は表門、裏門、裏庭等に侍機して、あわよくば窓越しにでも相沢中佐の姿を撮りたい、手錠姿の護送の模様を撮らんものと、眼を光らせて待機している。司令部前の広い道路には、社旗を飜した自動車の洪水であった。
午後五時には、警務主任の萩原〔弘司〕曹長が担任した、兇行現場の検証も終って、実況見分書、屍体検案書、証拠品の押収、現場写真等、軍法会議に送致する、一件書類は殆ど完成した。後は事件に対する取調べ主任官の意見書を書くばかりである。【以下、次回】
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