礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

朝に視て晩に撫で、去ってはまた振り返る(旦視而暮撫已去而復顧)

2021-03-22 00:01:29 | コラムと名言

◎朝に視て晩に撫で、去ってはまた振り返る(旦視而暮撫已去而復顧)

『漢文講義録 第四号』(大日本漢文学会出版部、一九二四)から、柳宗玄「種樹郭橐駝伝(しゅじゅかくたくだのでん)」のところを紹介している。本日は、その三回目。〔訓読〕のあとに〔字義〕があるが、これは割愛した。

〔白文〕他之植者則不然根拳而土易其培之也若不過焉則不及焉苟有能反是者則又愛之太恩憂之太勤旦視而暮撫已去而復顧而甚者爪其膚以験其生枯搖其本以觀其疎密而木之性日以離矣雖曰愛之其實害之雖曰憂之其實讎之故不我若也吾又何能爲哉

他之植者則不然。根拳而土易、其培之也、若不過焉、則不及焉。苟有能反是者、則又愛之太恩、憂之太勤。旦視而暮撫、已去而復顧。而甚者爪其膚以験其生枯、搖其本以觀其疎密、而木之性、日以離矣。雖曰愛之、其實害之、雖曰憂之、其實讎之。故不我若也、吾又何能爲哉。

訓読〕他の植うる物は則ち然らず。根拳【かゞま】つて土易【かは】り、其の之に培【つちか】ふや、若【も】し過ぎざれば則ち及ばず。苟【まこと】に能く是に反する者有りとも、則ち又た之を愛すること太【はなは】だ恩あり、之を憂ふること太だ勤む。旦【あした】に視て暮に撫【ぶ】し、已【すで】に去つて復た顧みる。而【しかう】して甚しきは其の膚【はだへ】に爪して以て其の生枯を験【けん】し、其の本を搖【うご】かして以て其の疎密を觀【み】、而して木の性、日に以て離る。之を愛すと曰ふと雖も、其の實之を害し、之を憂ふと曰ふと雖も、其の實之を讎【あだ】す。故に我れに若【し】かざるなり。吾れ又た何をか能く爲さんやと。

大意〕橐駝の言。其の二、人の培養の法を述ぶ。

講義〕ワシはこの通りに行っておるが、他の植木屋たちのほうは決してこうではない。のびねばならぬ根も曲ったままにしておき、前の土がよいのに新しい土をそのままに使うし、その土を寄せる時にも、大抵はうずめすぎるのであるが、うずめすぎぬと必ずうずめ足りない。平らかに培うことをせぬ。もし珍しくも、この不注意な植え方に反して、相応ていねいに植えつける者はあっても、そういう人に限って必ず後の世話を焼きすぎるので、木を愛するにもあまりに可愛がりすぎ、木を心配するにもあまり骨を折りすぎる。朝来て手入れをして晩方にまた来て触って見、すでに立ち去ったのかと思うとまた振り返って眺めておる。棄てたが如くにすべき者に対して、かように手出しをするのみならず、甚だしいのになると、植木の皮に爪を立てて、生きておるか枯れたかをためして見、木をゆすり根本をうごかして、根ぎわの固めの疎密をみる。生枯も疎密もそれで以てよくわかろうが、それと同時に木のモチマエは毎日毎日ようやくに離れていって、離れおわった時は、もはや木ではなくてタキギである。要するに口では可愛くて世話をするとは云っていても、そのじつ木を害しており、ことばでこそ心配で心配でならぬから手入れをするとは云っておるものの、そのじつ生きんとする木を攻め殺しておる。それゆえワシに及ばぬのである、ワシなどがこれ以上何をすることができましょう。と、こう橐駝が答える。

 ここまでが第三段落である。

*このブログの人気記事 2021・3・22(9位に珍しいものが入っています)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 能く木の天に順ひて以て其の... | トップ | 樹を養う法を聞いて人を養う... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事