ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

苦しみまくった今年の新潟シティマラソン(3)~想定外の早くて深いダメージの到来~

2017-10-11 21:23:07 | 生き方
新潟みなとトンネルの先は、海岸線を走る。
暑苦しいトンネルを抜けたから、あとはさわやかに走れるかと思っていた。
海の向うには、佐渡が見えるはずだが、この日は目を凝らさないとよく見えなかった。
すぐに、3年前に強制収容されたポイント(当時は36㎞ポイント)を通過する。
去年までのコースの逆走だが、少しのアップダウンがやけにこたえる。
体力的な限界を感じ始めていた。
スピードが上がらないばかりでなく、太ももがやけに重い。

ところが、まだ42kmの半分にも至っていないではないか。
「あと半分だよー。」などという声援は、かえって気持ちを落ち込ませる。
この辺りからは、顔を上げ声援に応える余裕はなくなっていた。

⑳6分59秒㉑6分48秒㉒7分28秒㉓6分54秒㉔7分45秒㉕7分45秒。

給水所が2か所あったこともあり、1km7分台が普通になってきた。
サブ4.5も、自己新も、おそらくサブ5も難しいだろう。
楽に走ってきたはずなのに、もう無理、という苦しさになってきた。
もう、この時点で、目標を「単なる完走」に置き換えることも仕方ないと思った。
そのくらい、体は悲鳴を上げ始めていた。

ようやく25km、関屋分水の河口にたどり着いた。
ここは、かつて30kmの通過地点。
初めてフルマラソンに挑戦したとき、体力が尽きてここまで歩いたが関門にかかった。
この先1kmに厳しい上りがある。
そこで、思わず歩いてしまった。
きつくて足が上がらないし、息も苦しい。
完走に目標を変えた以上、上り坂で歩くことも、一つの選択肢だ。
目の前に同様に歩いているランナーもいるが、懸命に走って追い越していくランナーたちに対して、引け目を感じてしまう。

坂を下ってから再び分水の河口に戻るまでの往復の5kmは、松林の中の道。
完全に歩くと走るの繰り返しになった。
この道は、初めて出場した年に、最初飛ばし過ぎて歩くしかなくて30kmで関門アウトになった道。
あの時以来久々に歩いてしまっている、この道。

情けないなあ、本来はここから勝負をかけるはずだったのに。
これでは、戦う前から負けを認めているような悔しさだ。
しかし、目の前の悔しさがすべて。
歩いては走り、走っては歩く。

28km付近で、女性2名のランナーの面倒を見ている人がいた。
おお、誰かと思えば、様々なレースで会うSIさんではないか。
SIさんには、今年初めの村上元旦マラソンや関川マラソンでも姿を見ている。
村上では、レース後に話を交わしたりもした。
彼は、歯科医関係だったが、それでも「メディカルランナー」というゼッケンをつけていた。
メディカルランナーゆえに、レース途中でああして世話をしていたのだろう。
ただのサブ4だけではない、SIさんの別のすごい姿を見た気がした。
それなのに、私は自分一人の面倒も十分に見られないという、へぼランナーだなあ。
SIさんにひと言声をかけ、しばらくは走った。
㉖7分56秒㉗7分24秒㉘7分53秒㉙9分54秒。

さっき初めて歩いた坂道の上りにたどり着いたが、やはり歩きを選択。
越えてからしばらくは下りを利して走る。
関屋分水の川沿いの堤防上の細い道になる。
もう陽射しはきつくないのだが、やはり暑く感じてしまい、沿道に応援する人もいるが、答えられず歩いたり、走ったりを繰り返すのみ。
㉚8分36秒㉛9分3秒㉜9分21秒㉝10分57秒。
当然だが、タイムはどんどん悪くなっていった。

せめてもの支えは、同様に苦しみながら歩くランナーの多さであった。
苦しんでいるのは、自分だけではない。
そんな思いで前の人の背中を見つめながら、歩いた。

抜いて行く人たちを、どうぞ、がんばって行ってください、と思いながら見送った。
私は、悲しいけど、後からゆっくり行くことしかできなくなっていますから…。
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苦しみまくった今年の新潟シティマラソン(2)~新潟みなとトンネルが調子を狂わせた?~

2017-10-10 20:18:07 | RUN
並んだ時からわかっていたけれど、参加者が多い。
なにせ、ファンラン(10.6㎞)の参加者3,300人とフルマラソンの参加者9,600人が一緒に並んで同時スタートなのだ。
12,900人もの人が一斉に並んだのだから、いくら走力順だとしても、すごい混みようである。
だから、列をなす人たちがいくらかばらけるまでは、無理せずに行くことにする。
最初の1kmは、想定より30秒くらい遅い6分22秒、まあ仕方がない。

2km地点の近くには、目の前に、手を振るなど周辺にやたら愛想よく走っていたランナーがいた。
ゼッケンには、「米山隆一」と書いてある。
おお、県知事じゃないか。
県知事の半袖からのぞく腕は、意外と鍛えた人のものだと見える筋肉がのぞく。
息子が近くで走っていた時には、「知事、速すぎるよ。そんなんじゃ、県民はついて行けねえよ。」と、ユーモアたっぷりの言葉をかけた輩もいたとか。
私にとっては、まったく速いスピードではなかったので、「知事さん、がんばりましょう。」と言って、先に出て行った。

3km地点あたりの女池交差点に出て、ようやく少し道幅が広がった。
後ろにいた息子が、「やっと上げていける。」と言って、私を抜いて行った。

この頃、私は、異常に汗が噴出していた。
周囲にも汗をかく人がいたが、私ほどではなかった。
全身から汗が出ていて、もうびっしょりになっていた。
気温が案外高かったのだ。
おまけに、トイレに行って小用を足したい気分になって困りながら走っていた。

やがて信濃川沿いの、去年も走っていた川沿いの道に出た。
少しずつ見えていた息子の姿も、見えなくなっていった。
7.4km関門過ぎの万代シティの交差点では、ファンランとフルマラソンのコース分けをする標示が立っていたのだが、右折するのか左折するのかまぎらわしく、たくさんのファンランのランナーが迷っていた。
地元の人たちは、迷いは払拭できるだろうが、土地勘のない人は困って、戻る人もいた。
ファンランのランナーの数は、フルを走る人たちに比べて圧倒的に少ないから、目の前にランナーが少なくなるのだ。
だから、困っていたのだ。

さて、新潟市内を象徴する場所の一つ、萬代橋を渡る。
ここで、急に「50foxさん、がんばれ!」と固有名詞で呼んで応援してくれる人がいた。
9年前に一緒の職場で仕事をした女性だった。
たぶん、今年も旦那さんが走るので、声援を送っていたのだろう。

ここまで8km、とりあえず順調である。
①6分22秒②5分52秒③6分9秒④5分52秒⑤6分2秒⑥5分47秒⑦5分50秒⑧6分6秒。
(丸数字は、そこまでの1kmを走るのに要した時間)
今までの1kmずつのタイムは、予定通りおよそキロ6分で行けていると言える。

やがて、柾谷小路を折り返し、先に行く息子とタッチを交わす。
再び信濃川沿いに行くと、トイレを見かけて駆け込む人がいた。
あ、自分も行きたいなと、ここで抑えていた欲求が再び強くなった。
新潟市歴史博物館みなとぴあの曲がり角11㎞地点に仮設トイレがあった。
幸い並んでいる人はいないぞ、今がチャンス!
駆け込み、用を足すと、ホッとした。
身が軽くなった気がした。
⑨5分48秒⑩5分53秒⑪5分56秒⑫7分13秒(トイレに入ったから)⑬6分6秒。

やがて、新ガタコース1つの目玉、「新潟みなとトンネル」を迎える。
この全長1,423mのトンネルの歩道は、雪の降る荒天の冬には、多くのランナーが練習場所として走っている。
しかし、車道を開放するのは、このマラソンが初めてである。
新コースは、13㎞近くからトンネルの往復を含む、およそ6kmの折り返し。
実は、新コースで最もアップダウンが多いのは、このトンネルの区間であった。

トンネルに入ると、ムッとした空気に包まれた。
汗をたくさんかく私には、この空気はつらかった。
蒸し暑くて蒸し暑くてまた汗をたくさんかくはめになってしまった。
そして、トンネル内は、急激にダウンし、そしてまたアップする。
暗くてよくわからないが、アップダウンがボディブローのように効いてくる。
トンネル内でウオッチのGPSが正常に働くかどうかは不安だったが、折り返す手前のトンネルを出るまでは、まず順調に行けていた。
⑭5分53秒⑮6分8秒。
ところが、トンネルから続く上りで、体力を使ったようである。
結構きつくなってきた。

15.9kmの折り返しを終えた息子とハイタッチ。
他に、2人の知り合いを見つけ、同様にタッチ。
折り返し近くの給食・給水地点では、バナナや塩分補給のタブレットをいただいて、またみなとトンネルに戻っていった。
外気が心地よかったのに、トンネル内はランナーたちの熱気でさらに空気がよどんでいた。
蒸し暑いし、息苦しさも増していた。
後続のランナーには、歩いている人の姿も多く見かけた。
暑苦しいトンネルの復路は体力が奪われるばかりであった。
⑯6分53秒⑰6分17秒⑱6分15秒⑲6分21秒
汗はかいてもここまで1km6分を守って来れたのに、それができなくなった。
先への不安が頭をもたげてきた。
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苦しみまくった今年の新潟シティマラソン(1)

2017-10-09 21:01:32 | RUN

新潟シティマラソンを走り終えた。
昨日立てた目標は、かなえたい順に4つあった。
これに最後に1つ加えて、
さて、今日の私は、どれだったでしょう。

①4時間30分を切ること。
②なんとか自己新記録を出すこと。
③5時間以内にゴールすること。
④とにかく完走すること。
⑤すべてかなわなかった。

さすがに、「走り終えた」と書いたから、⑤はないのです。
正解は、①?     …ブブーッ!×
じゃあ、②?     …ブブーッ!×
では、 ③?     …ブブーッ!×
なんだ。④?     …ピンポーン!(^^)!!

練習では手ごたえがあったと思ったが、実は厳しい結果となったのであった。
5時間15分台でのゴールになろうとは思ってもみなかった。


朝は電車で行ったが、バス待ちの列に横入りしたと後ろの人に難癖をつけられ、ムッと来た。
腹が立ったが、無用の争いをしたくないので、場を後ろに移したが、難癖をつける人がいるくらい、長い人待ちの列。
これでは、いつバスに乗れるのかわからない。
遅れたくないので、息子と共に歩こうかとも思ったが、距離が結構あるので、タクシーに乗った。
この後タクシーに乗りたい人は多くなっただろうなあ、あの列でバスが来ないと。

予想外の出費は痛かったが、タクシーの運転手がよい人だったので、気持ちよく行くことができた。
ビッグスワンスタジアムに着くと、いつものサッカー場とは全く違う雰囲気。

集まる人の姿が違う。

久々にSスタンドに行って、スタジアム内を見てみると、色とりどりのウエアに包まれた人たちが走っていた。

タクシーで来たおかげで、トイレに行く余裕があった。
後からでは、大混雑だったはず。
だが、行くのが少し早過ぎた、と後に後悔することになる。

手荷物をトラックに預けてトラックに並ぶ。
開会式には、お決まりのように、新潟県知事、新潟市長、サトウ食品社長、ゲストランナー高橋尚子、そして、Negiccoの3人が並んでいた。

ただ、今回は、米山知事やNegiccoのMEGUが走るのだ、注目!

参加者がトラックに並んだビッグスワンスタジアムから、スタート地点まで移動する。
わたしたちのDグループは、スタートの号砲が鳴ってから、スタート地点まで4分もかかった。

スタート地点の高台(?)には、高橋尚子そしてNegiccoの走らない2人がいた。
だから、出発する時には、「NegiccoのBEST、買いましたっ!!」と叫んだのであった。
後ろから、「ありがとうございます。」の声が追いかけて来た。

さて、いよいよスタート。
今年一番の冒険が始まった。
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いよいよ明日は、新潟シティマラソン

2017-10-08 21:24:34 | RUN

いよいよ明日に、新潟シティマラソンが迫った。
朝8時30分スタート。
早朝電車に乗って出かけ、駅からバスに乗ることを考えると、朝は4時半起きだな、と思う。
今は、遠足の前日のような気分だ。
しっかり準備をしておかなくては。

今年は、新コースを走ることになる。
そのことが多少不安だ。
スタート地点が、日頃サッカーの応援に行く、デンカ・ビッグスワンスタジアムである。

特に、新コースでは、10.6㎞のファンランの人たちと別れるまで、道幅が狭いところを行く。
走りにくいのではないかなあと思う。
また、新しいコースなので、どこでつらくなるのか予想できない。
そして、気温が少し高めだという予報がつらい。

しかし、今回は、新コースに伴い、7時間の時間制限となった。
去年までの5時間制限とは異なり、最後は歩いてでもゴールができる。
それを心の余裕にして、完走を目指そう。

目標は、
①4時間30分を切ること。
②なんとか自己新記録を出すこと。
③5時間以内にゴールすること。
④とにかく完走すること。

こんな順に目標を定めた。
できれば①がかなえられるように、がんばろう!
いざ!!!

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若き日の手紙たちにサヨナラを

2017-10-07 18:13:48 | 生き方
定年退職を機に、片付け作業も少しずつ進めている。
今までも、ここに書類やカセットテープの件などについて書いてきた。
ところが、幼いころから片付け・整理の苦手な私。
定年後、3か月で片付いた、という話なども聞いてきたが、私にとっては、そんな簡単な話ではない。
なかなか片付かない。
ともかく、気長にやっていくしかないなと思っている。

ところで、私は、捨てるのが下手だったので、何でも取っておくことが多かった。
それで、今になって様々なものが見つかって来る。
今日は、時間をかけても片付けが進まなくて、困ってしまった。
なぜか。
手紙の束の入った箱を開けてしまったのだ。

今日見つかったのは、まず、大学生時代にもらった年賀状があった。
高校時代や学生時代の当時の友人たち。
高校時代の人々の中には、共に文化祭の仕事に取り組んだ時の実行委員会や生徒会の役員だった女子たちからの年賀状もあった。
その頃の思い出と離れたくなくて、大学時代になっても年賀状を送っていたのだった。。
大学時代初期に会った人たちで気が合ったのは、変人ぞろいだったから、年賀状に住所も書いてなく、その後は行方も分からなくなった奴らが多かった。
20歳前後なので、いかにもおちゃらけて書いてあるものが多かった。

また、社会人になったばかりの年にもらった手紙も多くあった。
大学時代のサークルの後輩から来たものが多くあった。
そして、多くは「50fox先輩、バースデーカードありがとうございました。」と書いてあった。
そんなことはすっかり忘れてしまったけれども、大学卒業後クニに帰った私は、心をかなり東京に残してきたことがわかった。
そんなふうに、後輩一人一人にカードを贈るようなことをしていたなんて。
若くないとできないなあと、とても恥ずかしい気がした。

大学時代のゼミの友人や先輩からの手紙もあった。
その文章を読むと、皆、大学を卒業して直面した社会の厳しさや冷たさについて、悩んでいる。
そして、生きることに真剣に悩んでいた。
恋の悩みの相談もあったりした。
あの頃は、誰かに自分の思いを分かってほしい気がずっとしていた。
その思いをいろいろな人に訴えながら、わかってもらえない思いばかりを味わっていたように思う。
だが、今、その文面を読むと、自分以外の人々もそのように悩んでいたのだということが伝わっていた。
思わず抱きしめたくなるような愛しいものばかりだ。

それらの一つ一つに感傷をいだきつつ、細かく破っていった。
この手紙を出した人たちも、きっと今こんな手紙を自分が書いていたなんて知ると、きっと恥ずかしくつらいばかりだろう…そう考えた。

それにしても、若い時の思いは、本当に甘酸っぱい。

サヨナラ、若い日々の自分、そして私を支えていてくれた人たち。

そう思いながら、一つ一つの手紙に別れを告げたのであった…。
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新潟シティマラソン前の最後の調整RUN

2017-10-06 22:25:11 | RUN
9日(月)に迫って来た新潟シティマラソン。
今日は、夕方に、その前の最後の調整で、RUNに出た。

8月から今まで練習で走った総距離は、250km余り。
自分にしてみると、走るようになってからの最長距離となった。
去年の同時期の総距離が、140km弱だったから、今年はそれよりも100km以上走ったことになる。
そして、走りに出た回数も、去年は10回。
ふくらはぎ痛もあったから、回数は少なかった。
今年は、20回と、倍の回数走ってきた。

距離と回数に自信をもちたいところだ。

そうはいうものの、自分としては無理してまではやらなかった。
日を連続して走ることはなかった。
必ず2日以上、少なくとも1日は間をおいて走り、休みを入れるようにしてきた。

今日は、5kmを1kmを5分40秒から50秒くらいで落ち着かせたかったが、5分30秒から6分と安定しなかった。
まだまだ十分な力がついていないということだろう。

それでも、今は、以前に比べて気持ちはゆったりして、落ち着いて走れているように思う。
3日後は、42kmを楽しんで来たい。
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白い雲が浮かんだ青空がいい

2017-10-05 22:38:45 | 自然・季節

青空がいいなあと思う。

昨日は、昼前にザッと雨が降ったこともあった。
が、今日は、青空が広がった。
うれしくホッとする。

この頃、本当に青空がいいなあと思う。
抜けるような青空もいいが、白い雲が浮かんでいる空がなおいいと思う。

こちらでは、やがて冷たい雨の降る晩秋を迎える。
そして、雪に閉ざされ、暗い雲の下で、半年近い長い冬…。
青空にお目にかかる日は少なくなる。
だから、非常に青空が恋しくなる。


青空と白い雲を見たいなあと思うこの頃である。
今は、青空を見上げ、白い雲の流れゆくのを見ていても、ずうっとあきることがない。

陽射しを浴びてこんなふうに思うのも、年のせいかもしれないな…。
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季節の変わり目だもん、痛みが出るのはしようがない

2017-10-04 22:02:47 | 生き方
10月、衣替え。
めっきり涼しくなった、というより寒くなって来た感がある。。
今日の1日の気温と言ったら、最高気温が17℃で、最低気温が15℃。
本来の予報は、1日中くもりだったのに、一時期はザッと強い雨が降った。
急激に気温が下がると、体もついていけないのだろうか、体のあちこちで不調を感じる。
熱いもの、冷たいものを口にすると出てくる歯痛。
腕を後ろに引くと、右肩甲骨下にツンとした痛みが走ることがある。
突然右膝の裏が痛くなって、歩くと痛くなる。
走った後、太ももが筋肉痛のような痛みが出る。
腰痛が出ることもある。

…まあ、痛みを探したら、枚挙にいとまがないほど!?

しかし、最近は、痛みにはめげないことにしている。
歳がトシになってきたから、少しぐらいは痛みがあるのは仕方ないのじゃないか、と。
寒くなって来ると痛みが出てくるのは、季節の変わり目だからしようがないじゃないか、と。
まあ、そんなことを思うようになってきた。

昨年は首痛や頭痛があったし、その前には腕全体の痛みがあった。
「本当は、どこか悪いところがあるのではないか?」
「何かの深刻な病気なのではないか?」
などと思ったこともある。
それで医者に行ったこともあった。
飲み薬や塗り薬をもらったり通院して電気治療を受けたりはした。
だが、医者に、
「まあ、年齢も上がって来たから、こういう痛みが出ることもある。」
と言われて、なんとなく気分が落ち着いた。

そうか。どこか痛みがあることは、普通のことなんだ。
そう思ったら、心が落ち着いた。
だから、少しくらいどこかが痛くても、走ってしまえ!
…とまあ、そんな気分で今はいる。

次の3連休最後の日には、新潟シティマラソンがある。
それを考えると、体のあちこちの痛みは不安につながるだけだが、深く考えずに走ってしまおう。

季節の変わり目だもん、痛みが出る季節、しようがないじゃないか。
そう思っているここ数日である。

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赤ソバ畑はなかったけれど…~秋の花見~

2017-10-03 20:20:31 | お出かけ
去年の今ごろ、新発田市上赤谷へ赤ソバ畑を見に行ったことを思い出し、また行ってみたくなった。
もうそろそろ満開の時期ではないかな、と期待して、この前の日曜日に出かけてみた。
ところが、今年は…。

なんと、種をまかなかったようで、赤ソバ畑は、なかったのだった。
ガッカリ。
…それでも、去年落ちた種から育ったのだろう。

何本か、赤いソバの花がちらほらと咲いていたのだった。
記念にそれらを撮影。

でも、花見としては、見足りない。
それならば、赤ソバではなくとも秋の花が咲いているのを見たいなと、さらに山の方へ車を走らせた。

滝谷森林公園。
去年見つけた場所に、同じ秋の花があるかな?
期待半分に行くと…
ありました!
試験管ブラシのようなイメージのサラシナショウマの白い花が。

満開でした。

キバナアキギリも、その近くに文字通り黄色い花を咲かせていました。

さらに、タイリンヤマハッカの紫色の花も。

クサギの実は、エメラルド色っぽく美しいものもある。

ここには、去年と同じ、期待通りの花たちに会うことができた。

そして、帰り道の途中で、道をそれたところに、ツリフネソウの仲間、キツチフネの群落を見ることができた。

同じところに、ツリフネソウも咲いていた。

兄弟のようでもある。


どちらのシッポのような部分がクルンとしていて愛らしい。


急に寒くなって来た。
紅葉は進むだろうが、咲く花は少なくなっていく。
まさしく季節は中秋だ。
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曲の入ったカセットテープを処分していく

2017-10-02 22:24:12 | 生き方
歌が好きな私は、たくさんの曲を録音しては聴いてきた。
われわれの世代は、録音と言うと、たやすくできるのはラジカセやステレオなどを通じてのものだった。
レコードは、持ち歩きながら聴けないが、カセットテープだと持ち歩くことができた。
だから、レコードを買って、その後はカセットテープに録音してから繰り返し聴いたものだった。
また、俗に「エアチェック」と言う方法、つまりFMやAMのラジオ放送で歌を流しているのを録音するのも、好きな曲を手に入れる方法だった。

歌が好きだったから、いったい何百本のカセットテープに録音したことだろう。
その数は数えたことがないが、おそらく千本は越えているのではないかな、と思う。
今は、部屋の中で、引き出されたりすることなくほこりをかぶったり、ケースの中にしまわれたりしている。

定年退職を機にいろいろ片付け始めたが、文書や書籍も簡単に処分できない量がある。
そのうえ、このカセットテープも処分しなくてはいけないと、ようやく決心がついた。

部屋の中に放置してあるカセットテープ。
まずは、CDから録音したものは、あらかた処分することにした。
一時期乗っていた車には、CDを聴ける装備はしなかった。
カセットでしか聴けなかった何年間があったのである。
CDが残っていれば、カセットは捨ててもいいなと思ったのである。
レコードからテープに録音したものは、ものによっては、残しておきたいと思う。
また、ラジオ等から録音したものの中で、珍しく貴重なものは、残したいと思っている。

さっそく、処分することにしたテープを100本余り片付けた。
テープには、昭和50年ころのものもあった。

20年くらい前に、ワープロでラベルを活字印刷して貼ったものもあった。


おおむね、新しいカセットテープばかり。
1,2度しか聴いたことのないものも多くあった。
もったいない!
しかし、ここ数年聴かなかったように、これからもテープで聴く予定はないものばかりだ。
もったいないけど、捨てる。


ただ、10代の終わりころから40代前半までのカセットテープがある。
1つ1つに感傷も生じてくる。
だけど、捨てていかなくてはなあ…。
今日の分は、またCDで聴けるものが多いけど、残っている分には、さらに青春の思い出が多く残っている曲が多いはずだ。
そう簡単には手放したくないものばかりになっていくだろうなあ…。

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