ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

好ゲーム一転、…認めたくないが事実上の…だけど、前を向く!

2017-10-21 22:01:21 | アルビレックス新潟
残り5節。
今日、新潟は、アウエーで磐田との対戦。
去年も、残留争いの中、新潟は10月のアウエー磐田戦で勝利し、残留につなげたのだった。
しかし、今の磐田は好調。
6位に位置しながら、ACL出場権のある順位をうかがえる。

前節でガンバ大阪に勝った新潟の勢いは、本物だった。
今日も、前半からよく走ってよくプレスに行き、ボールを奪った。
何度目かのチャンスで、ホニが先制ゴールをあげた。
今季現在、リーグ最少失点の磐田から堂々とゴールを奪った。
しかし、相手は、アダイウトンと、かつて新潟に所属していた川又が脅威だ。
おまけに、フリーキックの名手中村俊輔がいる。
案の定、中村のフリーキックから、新潟で主将を務めた大井に同点ゴールを決められてしまった。
こら、大井、新潟に世話になった恩を忘れたのか!?
…勝負の世界は非情だ。

だが、新潟の闘志はしぼまない。
前半のアディショナルタイムに、ホニが中村俊輔からボールを奪取し、ゴール前へ速いボールを送った。
そこへ飛び込む河田が、逆転のフライングヘッドを決めた。
2-1で前半を終えた。

後半になっても、いくらか守勢に回ったが、新潟の選手たちはよく走っていた。
小泉は、アダイウトンに自由にプレーさせなかった。
ついには脚を痛めて矢野と交代した。
ソンジュフンも、川又を抑えていた。
前線では、河田が疲れ知らずの動きを見せ、前から守備に行っていた。

90分を回る前に、新潟は攻撃の小川から守備の大野へと選手を代えた。
そして、アディショナルタイムは、5分。
まもなく4分が過ぎようとしていた時、ゴール前でフリーキックを与えてしまった。
大丈夫、中村俊輔はもう交代して引っ込んでいる。
このピンチをしのげば、勝利だ!
…というところで、磐田のフリーキックはゴール前へ。
点取り屋アダイウトンのヘッド一発。
再び同点のゴールが決まってしまった。

…あの試合終了直前の被弾は、「ドーハの悲劇」を思い起こさせた。
ただ、違っていたのは、新潟の選手たちは、あのときの日本代表のようにくずおれてしまわないで、すぐに勝ち越し点を取ろうとしたところだ。
結局、相手ゴール前まで迫れたが、さすがに再度の勝ち越しゴールは生まれなかった。
新潟、勝ち点3を逃す。

引き分けに終わってしまった新潟は勝ち点1を加えたのみになってしまった。
この結果、
15位 ヴァンフォーレ甲府 勝ち点28 得失点差 -15
16位 サンフレッチェ広島 勝ち点27 得失点差 -17
17位 大宮アルディージャ 勝ち点24 得失点差 -23
18位 アルビレックス新潟 勝ち点16 得失点差 -36
となった。
残りは、4試合。
どんなにがんばっても、勝ち点は28にしかならない。
得失点差で、甲府と21も離れている以上、これを4試合でひっくり返すことは、まず不可能だ。

…認めたくないが、事実上の降格が決まった、と言える。

でも、今日も現地へ行ったサポーターたちが、試合を終えた選手たちを拍手で迎えたように、
本当にいい試合をしたと思う。
泥臭く走り回り、最後まであきらめないで勝利を目指す。
新潟のサポーターたちは、前節や今節のような試合を見たかったのだ。
惜しむらくは、この戦い方が固まるのが遅かった。
だが、このような戦い方ができれば、J2から再びJ1に上がるのにも多くの時間はかか
らないだろう。
まだJ1での試合は4試合残っている。
次節には、ホームに帰って来る。
拍手で迎え、闘志ある選手たちの闘いを見たいと思う。
声援は、ずっと送り続けたい。

顔を上げ、前を向こう、アルビレックス新潟!
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次は胎内マラソン(ハーフ)

2017-10-20 22:35:12 | RUN
11月は、新潟県内で市民マラソンとして主要なマラソン大会が行われる最後の月になる。
新潟は、11月になると、時雨れる季節となるのだ。
だいたい11月上旬の五泉市の「ごせん紅葉マラソン」が市民マラソンとしては最後の大きな大会になるのだ。
去年初めて出てみたが、五泉市上げての歓迎ムードを感じて、とてもいい大会だと思った。

今年は、フルマラソンの部も設けて、種目を拡大したと聞いて、それはすごいなあと思った。
それ以外に、去年までのハーフマラソン等も行っている。
知り合いも多く参加したり、ボランティアとして活動を支えたりすると言っていた。
何もなければ、11月5日に、2年続けてここでハーフを走りたいと思っていた。

しかし、8月の下旬になって、もう1つ参加したいマラソンが参加者を募集し始めた。
それは、「胎内マラソン」だ。
11月3日に開催するという。
私には、3日に走って、1日後の5日にも走るような体力は、残っていない。

仕方がない。
胎内市は自分の出身地でもあることなので、五泉よりこちらでハーフを走ることを選ぶことにした。
この大会は、従来の胎内市ロード大会が、名称と種目、場所を変えて行うことになったのだ。
胎内市ロード大会は、一昨年まで4年連続して走り、そのたびにここでも紹介してきた。
特に、そのコースは、自分の育った場所を通るので親しみがあったのだ。
しかし、今までは平地だった出発点が、今度はなんと胎内スキー場発着になるのだ。
自分になじみのあるところは通らないし、当然コースはアップダウンが激しくなる。
アップダウンは、関川マラソンでこりているが、苦手である。
うーん、今いち気が重くなる。

しかし、装いを新たにして行うマラソン大会だ。
参加して大会を盛り上げようじゃないか、と思ったのである。
ごせん紅葉マラソンに比べて、いささか寂しいかもしれないが、11月3日の胎内マラソン目指して、体調を整えていくことにしよう。
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満月のような実を発見

2017-10-19 22:14:15 | 草木花

満月?
…いいえ、違います。
フラッシュを光らせなければ、こうなります。

なんだ!?柑橘系?そうなのです。

この通り、3cmくらいはありそうな、すごいとげのある植物の実なのです。

じつは、今まで意識してこの植物の実は見たことがなかったのです。

この植物の花は、歌になっています。
①北原白秋作詞、山田耕筰作曲のものあり。
②井上陽水作曲で樋口可南子が歌ったものあり。(井上陽水が自分で歌ったものもあります)
③遠藤実作曲で島倉千代子が歌ったものあり。

正解は、①②とも曲名は「からたちの花」で、③は「からたち日記」。

…ということで、この写真の実は、カラタチの実だったのです。
柑橘類なので食べられそうに思うのですが、酸味と苦味が強いため食用にならないのだそうです。
…残念!

このたび、カラタチの実を見つけたけれど、同じ場所にあったのに、花が咲いている時期は気がつかなかったので、これまた残念!
花のことは、上記のように歌になっているくらいだから、見たかったなあ。
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2つのスポーツタオル

2017-10-18 20:21:50 | RUN
頭痛は、今朝なんとかおさまっていた。
1日、気分も悪くならずに過ごせて、ホッとした。


さて、「RUN」というジャンルで記事を書くのが多くなっている最近の私。
ところで、何らかの大会に出て走るようになったのは、実は、まだ10年ほどでしかない。
10年前に、この駅伝大会に出たのが、大会の初出場であった。

(上掲写真の阿賀町駅伝大会のスポーツタオルは2008年のものであるが。)

当時のこの阿賀町駅伝大会は、10kmの距離を6人で走る、というものだった。
10kmを6人で走るのだから、1人が2kmにも満たない距離を走るのだった。
ただ、6番目の最終走者だけは、2.7㎞という最長距離を走ることになっていた。
その最長距離を走ったのが、私の大会デビューであった。

10年たって、少しずつ目標を大きくしてきた結果、こんな「FINISHER」というありがたい横文字が入ったタオルをもらえるくらいにまでなった。

「FINISHER」の意味は、「やり終えた人」「仕上げ工」などの意味もあるが、これはもちろん「完走者」の意味。
「本当の完走は、完全に走り通した、という意味ではないのか!?」
「お前は途中で歩いたりしたじゃないか!」
…などという野暮な話をするのは、やめてくださいませ。

2.7㎞を走るのにもドキドキしていたのが、今は、42.195㎞を走ることを前提にしながら走りだすこともできるようになっていることが、われながら驚きでもある。
憧れをもちながら、いつかは、と思ってやっていると、やれるものだなあと思っている。

さて、今回タオルを持ち出したのは、バスタオルとして数年使ってきたもの(2008年からではないが)を、新しいものに取り換えるという話なのだ。

タオルの大会名から思いを新たにする。
たかが10年。
されど10年。
走れるようになった距離が、そのことを思わせる。
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青空のち頭痛

2017-10-17 22:02:22 | 生き方
ここのところ寒い日が続いた。
わが家では、ガスストーブを出した。

今日は、久々に、秋晴れ。

青空が気持ちよかった。
なかなか晴れないので、このお天道様を待っていた。
だから、やりたいことがいろいろあった。
まずは、家族のふとんを干した。
娘のウオーキングにつき合って、買い物に歩いてきた。
そして、苔やかびまで生えていた植木鉢のいくつかの土を変えた。

気持ちよくやっていたはずなのに、午後から頭痛がし始めた。
寒い日が続いたから風邪をひいたのか?
張り切り過ぎたのか?
熱があるような気がして計ってみたが、なんと…。
35.4℃。
余りの低さに驚いて2度計ってみたが、2度とも35.4℃。
なんてこった。
まず、熱はないことがわかった。

夕食で、頭痛を緩和するのがねらいで、焼酎の薄いお湯割りを飲んでみた。
…逆効果だった。
かえって、口にして飲み込むたびに頭痛がした。

仕方なく、食後に頭痛薬を飲んだ。
約1時間後、薬が効いてきた。
ようやく頭痛が緩和した。

せっかくの青空、気持ちいい日だったのに…。
明日は、仕事に出る日。
明朝までに元気にならなくては。
…ということで、今日は早く寝ます。
おやすみなさい。
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娘よ(88)~どっちが短期記憶の障害?~

2017-10-16 22:19:55 | 生き方
娘とは、軽いリュックを背負って、近くのスーパーへよく買い物に行く。
車で行くのは簡単だが、トレーニングを兼ねてということで、わざと回り道をして歩数を稼いでいる。
買い物をする際には、チラシをよく見た妻が買うものを書いたメモを持っていく。
また、娘がそれを見て買うのも、日常化へのトレーニングの1つだと考え、私は娘の買い物を補助している。
すべてかごに入れた後、レジで支払いをするのは私の役となる。

少し前のことだが、こんなことがあった。

その日も、同様に、メモを見て買い物を済ませた。
ただ、レジで商品の金額を1つ1つ声を出して確認している店員さんの声を聞いて、私は「あれっ?」と思ったのだ。
安売りの徳用チョコの袋を2種類買ったのだが、1種類が値引きされていなかったのだ。
そこで、私は、店員さんに「このチョコ、安売りのはずなのに、値段が違います。値引きされていません。」と申し出た。
今日の特売品であることを確認するために、店員さんは、少し役職が上なのかなという店員さんを呼んだ。

新たに来た店員さんたちは、二人で何度か確かめてみたが、機械を通すと、その袋は金額が高く打ち出される。
「どうやら、消費期限内ではあるけれど少し古い袋が混じっていたようで、金額が違っていたようです。」ということだった。
そして、「クレジットカードでのお買い物でしたが、データは変更できないので、差額を現金でお返ししてもいいですか?」と言うので、「はい、いいですよ。」と答えた。

さっき駆けつけた店員は、今度は、自動支払機を操作して現金を返金できるようにしようとした。
ところが、新しい自動支払機はなかなかうまく操作できない。
「お客さん、すみません。サービスカウンターへ行って、現金を持ってきますので少し待ってください。」と言って、サービスカウンターの担当者に説明するために、チョコの袋を持って走って行った。

私は、思わず娘と顔を見合わせ、首をすくめた。

少しした後、件の店員さんが、戻って来た。
「お客さん、ご迷惑をおかけしました。何度も何度もすみませんでした。」
そう言って、私に差額の小銭を渡し、何度も謝った。
「いやあ、機械が悪いんだからしようがありませんよ。かえって、いろいろとありがとうございました。」
と、私は店員をなぐさめ、現金を財布に入れて立ち去ろうとした。

その時、娘が言った。
「チョコは…?」
ん?
そうだ。差額は受け取ったが、肝心のチョコの袋はもらっていなかった。
店員さんは、「あらー、本当だ。申し訳ありません。」と言って、またサービスカウンターまで走って行って、チョコの袋を持って来た。

差額も大事だが、買ったはずのチョコが手元にないのでは、買い物にならない。
笑ってしまった。
普通に仕事をして働いている店員さんたちより、付き添いでついてきている私より、病気になった影響で短期記憶に難がある娘が、一番しっかりしていた。

まったく、どっちが記憶障害をもっているんだろうねえ…。

「お前のおかげで助かったよ。」
何度も苦笑いをしながら娘に感謝した私であった。
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身近に感じるRUNNER人口の広がり

2017-10-15 13:59:36 | RUN
新潟シティマラソンから5日もたった。
この間に、出先の職場で、「私も歩いたけど、ゴールした時は高橋尚子のそばでした。」という男性に会った。
彼も、走ることができなくなって歩いていたら、高橋尚子さんの気合につられて一緒に走り、ゴールするまで引っ張ってもらったのだそうだ。
お互いに、あのオーラというか気合には、感嘆したのだった。
その翌日の出先でも、「隣接するところで働いている人が、タイムは悪かったけど、完走したんだって。」と聞き、名前を入力して調べてみたら、確かに出場していることやゴールタイムも知ることができた。

私の次のレースは、来月3日、胎内マラソンでハーフを走る予定である。
昨日は、自分の体と相談して(?)そろそろいいかな?と思った。
それで、シティマラソンマラソン後、初めて走りに出た。
アルビレックス新潟の勝利に気をよくして出たのである。
といっても、今回は、トレーニングではなくジョギングを楽しむ気分であった。

途中で、笹川流れマラソンや村上元旦マラソンのTシャツを着て走っているランナーたちとすれちがった。
おお仲間だ、と思った。
それ以外に、若者や中高年ランナーとも数人すれちがった。

ゆっくり走りながらも10kmを走ったのだが、5kmくらいで両脚に疲れを感じた。
まだ十分回復していないことがわかり、10km走るのは早かったかな?と思いながら家に帰った。
家のそばでジョギング後のストレッチを行っていると、薄暗くなったところを隣家の息子さんが同様にランニングスタイルで帰って来た。

2度ほど彼が走っている姿を見かけたことはあったが、今までRUNの話をしたことがなかった。
「どのくらい走ってきましたか。」と聞くので、今日は10㎞と答え、同様のことを聞くと20km走って来たとのこと。
新潟シティマラソンは、今年から参加料が高くなったから「卒業した」そうで、今年はその半額以下の参加費で来月のマラソンでフルを走るのだとか。

真っ暗になってしまったので、「お互い、がんばって走りましょう。」と言って話を終えた。

それにしても、こうして身近なところでランナー人口が増えているのだなあ、と感心した。
そして、フルマラソンに挑戦する人も多くなっているのだと心強くなった。
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新潟、今季一番の試合 ― なんと5か月ぶりの勝利!

2017-10-14 22:49:55 | アルビレックス新潟
アルビレックス新潟、5月以来の勝ち星。
17試合ぶりの勝ち星。
…って、どれだけ勝てなかったんだよ。
これだもん、最下位独走になっているわけだよなあ。

アウエーガンバ大阪戦。
今季一番の試合だった。
選手たちは、皆よく走っていた。
そして、相手選手へのプレスのかけ方もとてもよく見えた。
攻めにも守りにも、選手たちの気迫を感じた。

前半から、多くのチャンスを作ったのは、新潟だった。
特に、山崎の動きがキレキレだった。
相手に囲まれても、自ら突破してゴールに迫ったり、すばらしいパスを送ったりと、本当に素晴らしい選手だと思った。
その素晴らしさを上回っていたのが、相手GKの東口だった。
数年前に新潟のゴールを守り、その堅守から日本代表にまで上り詰めている。
前半に、新潟は決定的な場面を3回も迎えた。
それをことごとく防いでいた東口だった。

また、今日も前半は0-0だったから、後半に入れられてしまうのか、とも懸念した。
その通り、後半は守勢に回ることも多くなった。
相変わらず東口の決定的な好セーブで、新潟に得点は入らなかった。
しかし、67分、右を突破したホニがゴール前に入れたボールがこぼれた。
そこに、小川佳純が走り込み、ゴールへけり込んだ。
ボールは、防ごうとした東口の足に当てられたが、ゴールネットを揺らした。
先制、1-0。

しかし、まだ時間は25分以上残っている。
ハラハラドキドキしながら、画面の前で応援した。
戦いぶりで好ましかったのは、1点リードしているからといって、守り一辺倒にならなかったこと。
もう1点取ろうという意思が見え、攻めの手も緩めなかった。
弱気にならなかったから、大きなピンチも2回ほどあったが、防ぐことができた。

そして、アディショナルタイムの5分を経過し、試合終了の笛が鳴った。
勝った!
うれしかった。
大阪まで応援に行ったサポーターは、1,500人ほどもいたという。
泣いている人たちが結構多くいた。
そう、それだけ勝利がうれしいのだ。
敗れると、今節にもJ2落ちが決まってしまうという窮地であった。
土壇場で踏みとどまった勝利に泣けた。

しかし、他チームとの勝ち点差は大きい。
あれほどよい動きを見せていた山崎も警告の累積で出場停止だ。
しかし、田中達也が3か月ぶりに出場できたし、大野も交代出場して勝利に貢献した。
矢野貴章もベンチ入りした。
私は、今日のように躍動している新潟の選手たちの姿を見たい。
そうすれば、きっと勝利はついてくる。
残り5試合、力の限りがんばって勝利を続けてほしい。
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苦しみまくった今年の新潟シティマラソン(5;おまけ)~総括編~

2017-10-13 22:26:52 | RUN
「4」で新潟シティマラソンは終わったのだが、書き足りないので、新潟シティマラソンの総括編を。
総括なんて言えば、やっぱり、「苦しかった!」であった。
いくつかの点から、今年の新潟シティマラソンを振り返ってみよう。

まずは、新しいコースについて。
コース自体について言えば、難点が2つあった。
1つ目は、スタートから何kmか道幅が案外狭いこと。
そのため人が混んで、前の人が近すぎて走りづらい。
2つ目は、1つの目玉だった新潟みなとトンネルが苦しさを助長する以外の何物でもなかったことだ。
アップダウンが厳しい。
暗くて走りづらい。
換気が非常に悪く、暑苦しく、空気が悪い。
あとは、折り返しが3つもできてしまったことが印象的だが、これについてはまあいいだろう、とは思う。

次に、制限時間の延長について。
これは、すごくよかったと思う。
制限時間5時間は厳しくて、「甘い考えで参加するなよ。」と忠告されているような気がする。
だから、過去5回のうちゴールにたどり着いたのは、2回半。
制限時間内2回、グロスタイムだと×でネットタイムだと〇が1回あったからそれが「半」。
あと2回は、関門の制限時間に引っかかり、強制収容。
これすべて5時間の時間制限だったから。
今回は暑さにやられたが、それでも制限時間が7時間だったから、ゴールを目指す気になり、完走することができた。
そして、よりたくさんの人が、ゴールする人ができたのは、7時間の制限時間のおかげのはず。
私の知っている人たちが、何人も6時間台のゴールだった。
特筆すべきは、70歳になろうかという知り合いが、ちゃんと6時間台でゴールしていた。
たくさんの人が、自分もフルマラソンを走ったぞ、走れるぞ、という勇気や自信をもつことができた、よい大会になったと思う。
これは、あと10年、私もやれるかもしれないという勇気を与えるものだった。

そして、運営面について。
第一に、駅からのシャトルバスが少なすぎ。
ピークの時間にもっと多くのバスを手配してほしい。
だから、トイレに行く時間もない人が続出した。
ビッグスワンの仮設トイレの数も少なすぎたようだし。
さらに、いつスタートになるのか、なったのかもよくわからない、案内のなさ。
第二に、ファンランとフルと選手をごちゃごちゃに混ぜて一斉にスタートさせ、渋滞に輪をかけたこと。
第三に、(と言いながら最大の不満はこれなのだが)ゴール後の手荷物引き換えのまずさ。
ディズニーランドも真っ青の列がくねくねと続く。
皆がんばって完走した後なのだから、一刻も早く休みたいのに、それを許さずに長蛇の列にするという、非常に酷な事態は勘弁してほしい。
せっかく給水・給食所が増えて、内容も豊富でよかったのに。

ゲストランナー。
今年も、高橋尚子さんだった。
今年は、この方の偉大さを知った。
長い時間、ハイタッチを繰り返し、ランナーを激励していた。
そして、残り5kmから歩いていたランナーを叱咤激励し、次々と拾っていき、ゴールさせていた。
私も、その恩恵に預かって、ゴールにたどり着くことができた。
彼女の励まし方、ランナーたちへの影響の及ぼし方は、他の人にはなかなかできないものだ。
だから、来年も、来ていただきたいと思う。

スポンサーのサトウ食品。
毎年、餅の提供はうれしい。
そして、美味い。
今年は、手荷物を取りに行く選手たちの行列のために、あまり食べに来てもらえなかったはずだが、配り歩くなどがんばってくれていた。
パックごはんの方が先になくなったから、もう少し多く用意しておいてほしい。
さらに、Negiccoの起用がよい。
彼女たちの明るさと清廉なイメージは、新潟にとって最適だ。
ゴール後のファイルもよい。
私は、もらってうれしかった。

さて、教訓は?
その日の気象条件を考えて、レースをコントロールすること。
最初に、2kmあたりで大汗かいたことから、もう少しペースを落とすべきだった。
年に一度のフルマラソン挑戦だからと、張り切り過ぎた感は否めない。
冷静に気象条件と自分の体調を考えたレースができるようにしたい。
年齢は上がっていくが、その辺りは賢くなりたいなあと思う。
もう一つあって、それは、走らない日もストレッチ等を行って、筋肉の衰退を防ぐこと。
特に太もも周辺の筋肉からダメージがひどくなった。
そこが極端に力が落ちないようにしたい。

…とまあ、いろいろな面から新潟シティマラソンを総括してみた。
みなとトンネルと運営面をのぞくと、まあよかったのじゃないかなとは思っている。
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苦しみまくった今年の新潟シティマラソン(4;最終)~高橋尚子さんの引き上げる魔力、恐るべし!~

2017-10-12 21:58:07 | RUN
30kmからの川沿いの道は、すでに走り続けることはできなくなっていた。
とにかく太ももが筋肉痛になっているし、時折深呼吸もしてみたが息苦しさがある。
しだいに歩きが多くなってきた。


33㎞の平成大橋のガード下に、高橋尚子さんがいた。
ハイタッチをしながら、「あきらめちゃ、だめ。まだいける、まだいける。」と声をかけ続けていた。
タッチを交わしたものの、脚が上がらない私は、ここからはひたすら歩く方が多くなった。
そして、「5時間ランナー」として走っている人が、「私と一緒にがんばりましょう」と呼びかけながら背後から抜いて行った。
この辺では、歩いている人は私だけではなかった。
だけど、走ろうという気のある人は、私を次々に追い抜いていく。
目の前に見える人の大半が、歩く・走るの繰り返しなのだ。
みんな同じように苦しんでいる。
㉞11分8秒㉟10分10秒。

川沿いの土手道を降りてすぐ下の道を戻るようになっても、私は苦しさを味わっていた。
背中が痛い、息が苦しい、太ももが痛い、目の前がちかちかする。
異常に暑くなったり寒気で震えたりした。
時折眠気まで襲ってくる。
早く家に帰って、横になりたいな。
だけど、ゴールは遠い。
制限時間が7時間だから、歩いていればゴールにはたどり着ける。
そんな消極的な考えで、ひたすら歩き、時々走る、を繰り返した。
㊱9分56秒㊲11分14秒。

36kmポイントに戻ると、高橋尚子さんは、まだ人々を励まし続けていた。
私がほとんどを歩き続けていた33分余りの間、彼女は、声をかけハイタッチを繰り返しながら、ランナーを励まし続けていたのだった。
きっと1時間以上そうしていたのではないか。
そのプロ根性に、頭が下がった。
ただのゲストランナーではなく、この励まし方は、なかなかできることではない。
感心した私だったが、それ以上に感心するのは、もう少し後のことになる。

平成大橋を渡り、37kmを越えた。

1km余りの関屋分水沿いの道となり、風が気持ちよかった。
㊳10分48秒。

「あと5km」の看板を見てしばらくたった辺りだった。
後ろから、にぎやかな声が聞こえて来た。
「ほら、あと5km。このままゴールまで行くよっ。」
「今まで歩いていたあなた方を、もう歩かせないよっ。」
…高橋尚子さんの声だった。
彼女は、残り5kmあまりの地点から、歩いているランナーを拾い、「一緒にゴールまで行くよ!」と声をかけながら、集団の先頭で走っていたのだった。

私は、もう自分は歩くと走るの繰り返しでないと進めないから、この一団をやり過ごそうと思った。
ただ抜かれていくのがしゃくだから、少し一緒に走ってみることにした。

すると、不思議なことについていけた。
ウオッチを見ると、走るペースは、きっちり1km7分ジャストのペースだった。
「これなら、行けるかも。」そう思って、もう少しついていくことにした。

給水所を見ると、尚子さんは、「給水取ったら、すばやくちゃんと戻って来るんだよ!」と完全に姉御肌の口調でランナーに命じ(?)、自身は何も取らずに走っていた。
私も水は口にしたが、少し離れた尚子さんとの距離を取り戻そうと、少し速く走ったりした。

「あと3km。ゴールするぞー!」「オー!!」
尚子さんの声に、ランナーたちは勢いづき、どんどん集団がふくらんでいった。
だが、こぼれるランナーもいるようになった。
私も少しずつこぼれ落ちそうになりながら、ついて行こうとした。
不思議なもので、難儀だが、まだ走れていた。
高橋尚子さんのもつ魔力、恐るべし。
気力体力の折れたランナーを走らせてしまう。
ただ、こぼれ落ちそうになるのも当然で、ウオッチを見ると、尚子さんのペースはしだいに上がっていっていたのだ。
㊴8分5秒㊵7分5秒㊶6分35秒㊷6分25秒。

「みんなで一緒にゴールするよー。」「オー!!」
最後には、尚子集団から10mくらい遅れながら、ゴールの新潟市陸上競技場に入った。

そして、ようやくゴールにたどり着いた。
日本文理のチアガールズとタッチする余裕も出た。
そして、ゴール。
目の前にいた高橋尚子さんと、2度目のハイタッチ。
「ありがとうございました!」と思わず叫んだ。
そばの時計表示は、5時間19分を示していた。
去年までなら、ゴールどころかどこかの関門で強制収容されている。
しかし、今年は、7時間制限だ。
だから、堂々のゴール…ということにしておこう。

そう思えど、最後のペースを上げる走りは、最後の体力を奪っていた。
歩くのもきつく、トラックのそばにしゃがみこんだ。

係員が、「大丈夫ですか。担架も用意していますよ。」と言って来た。
笑って断ったものの、まだ簡単に歩けるほどではない。
ふらつきながら、何とか記録発行所へ行き、記録証を受け取った。
去年と違うファイルで、Negiccoが笑っていた。

それを見ても、歩くのが苦しく、競技場のトラックにへたり込んで座った。


そんなに苦しかったのに、完走賞のおにぎりをもらってから競技場を出てみると、手荷物受け取りのための長い行列が、まるでディズニーランドの行列のように蛇行しながら、できていた。
その中の一人とはなってみたものの、あまりの長さと苦しさに、何度かしゃがみこみながら列が進むのを待った。

手荷物交換所で息子と再会した。
息子は、自己新記録を出していた。
同じように、暑さに参った、とは言いながらも、
若さでがんばり切れたようだった。

近くの体育館でもたもたと着替えて、恒例のNegiccoパネルで記念撮影をした。


歩き始めると、「まもなく制限時間となります。」というアナウンスが競技場に流れていた。
まだまだたくさんのランナーがゴールに向かっているのを見て、「7時間制限になってよかったなあ。」と思った。
走り切れなくても、歩いてでも這ってでもゴールに向かおうとした皆さんの姿は美しい。
改めて、そう思った。
私自身は、本来の目標を達成できずに、敗者の気分ではあったけれども、とにかく完走はしたのだ。
そのことには胸を張って帰ろう。
そう思いながら、息子と共に近くの白山駅まで歩き、帰路についた。

苦しみまくった今年の新潟シティマラソン、これにて終了であります。

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