癒し系獣医師の動物病院開業日誌

アニマルセラピー団体で活動している癒し系獣医師。農業団体職員から脱サラし、動物病院を開業しています!

日高の馬産

2010年02月26日 | 動物一般
今日は日帰りで日高方面に出張でした。
凄い霧で釧路を思い出しました。でも、釧路の霧の方が凄かったなぁ。
日本全国そうだったと思いますが、お昼過ぎからの1時間は女子フィギュアに皆さん釘付けだったのでは。私は車のラジオで観戦ならぬ観聴?でしたが・・・・・
しかたないというか、浅田さんの銀は挑戦しての銀!すばらしい。
キム・ヨナさんは心・技・体ともすばらしかった。(相撲じゃないですがね)
スタイルの違いが、今回の大会においてキム・ヨナさんにずっと有利に働いたとしかいいようがありませんね。
ソチも楽しみです。

日高の馬産も景気の動向に影響を受けて大変そうですが何とか大変な時代を切り抜けてほしいものです。
2月も末になってくると、そろそろ馬のお産の時期到来です。
一時期は7月のセールに向けて早い時期の分娩も増えた時期もあったようですが、最近はそうでもないようです。
ただでさえ、この時期に子馬が生まれると寒さ対策で管理が大変ですし、慌てないでもう少しいい時期にお産させようという考えが戻ってきたのでしょうか?
今でも放牧している所もありますが、馬が寒そうです。馬服をばっちり着こんでいますがね。馬に着せる防寒用の服を「馬服」といいます。結構かわいいですよ。
今日みたいな霧の日は余計に寒く見えます。午後3時ころまで離しておくんでしょうか。
日高も中小の馬生産農家は大変だと思います。
大手の牧場は勢いがあり、もっぱらそれらの管理馬を扱う人も増えてきたようです。

日高は今日のような濃霧発生地帯であり火山灰地が厚く被覆しています。そのため、農業としては普通作物よりむしろ畜産に適切であり、古くから馬産地として位置づけられてきました。

「文化年間(1804~1818)の駅逓(駅馬)の配置に始まります。1858(安政5)には、幕府が元浦河に馬牧を設置しました。馬牧は明治になってから廃止されましたが、収容馬約500頭は三石・浦河・様似などの民間人に貸与されました。その後、1872(明治5年)には、小型馬を大型化して広い用役に適応する改良を認めた当時の開拓使・黒田清隆によって「新冠牧場」が開設されました。新冠・静内にまたがる約6700町歩のその土地にはミヤコザサなどの野草が繁茂しており、放牧にも好都合だったのです。新冠牧場が整うまでに約16年を要しましたが、この間に大きな役割を果たしたのが、開拓使雇いのアメリカ人エドウィン・ダンです。」
以上抜粋ですが、戦後は日高の馬産は全国的にみてもそう大きくはなかったようですが、千葉や東北の馬産が徐々に減り、一方で日高の占める割合が大きくなってきました。今では9割は日高ではないでしょうか?それなりの、技術、人材、施設となにより馬を生産する風土が定着しています。生産地に行くとそのことを肌で感じます。

日高の馬産には頑張ってもらいたいのです。